貴族会 2 -最終演説-

「遠路シュトロワに集われた忠義の者達へ、サンテネリ国王グロワスより心からの挨拶を贈る」


 もったいぶった素振りはやめた。

 アキアヌさんに全部言われてしまった感あるからね。ぼくは淡々とやろう。


 ぐるりと会場を見渡す。

 オイルランプと天窓の陽光を受けてなお、この会堂は薄暗い。蛍光灯では再現できない、とても濃密な陰影がそこにはある。


 浮かび上がる人々の顔に見知ったものはない。ほぼ全員、初めての出会いだろう。

 それがつまりサンテネリの現実だ。

 国家の統治階級である貴族達ですら、ぼくと直接言葉を交わした相手は100人もいない。その中で意味のある”会話”をした相手にまで範囲を狭めると40人かそこらだ。

 ぼくの意識の中に存在するこのサンテネリはつまり、40人の貴族達と4人の妃、母。そしてほんの一握りの平民の皆さん。これだけなんだ。


「先ほど我が国の柱石たるアキアヌ公爵が過分の言葉を私に寄越してくれた。感謝する」


 演台左脇に座るアキアヌさんはしきりに汗をふいている。ぼくが視線を向けると軽く会釈を返す。思えば素晴らしい”親戚のおじさん”だった。


「我が父祖の偉業はここで繰り返すまい。がそれを知っている。そして、私が大王達と比肩し得ぬであろうことは、がそれを知っている」


 軽い囁きが起こる。こういう時は普通謙遜するものだよね。王の作法は違うのかな。まぁ、もうどうでもいい。


「アキアヌ公は私の治世に生きることを誇りと称した。この上ない賛辞だ。だが正確には、私が思うところ、それはある種の苦行であろう。——皆も理解されるように、我が国は今、明白な危機の中にあるからだ」


 今度は右を向き家宰マルセルさんを見やる。ちょっと驚いているね。そういう話をするの?って。いつもの癖で髭を撫でてる。

 思えば彼には本当にお世話になった。彼がいなければ、地雷原のようなこの国でぼくは四年も生き延びられなかったよ。


「多年の戦乱を経て国庫は枯渇し、新大陸の動脈は断たれ、新たな産業は生まれない。アキアヌ公がいみじくも述べた明日。我ら貴族が容易に思い浮かべることができる”明日”をすら思い描けぬ者達の数は日々増加の一途だ」


 彼らは知るべきだ。これから真の”統治階級”となる以上、知る権利と義務がある。


「我々が今、こうして旧市に集うのには歴史的な意味があるだろう。我々は今、我々が捨て去り、目を覆った汚濁の中にいる。ここは明日をも知れぬ者達の住処。——これが私、グロワス13世の治世だ」


 どう反応して良いものか皆が戸惑いのただ中にいる。隣り合う同僚と目配せをしあっている。普段なら余裕の表情を崩すことなど想像もできないガイユール公ですら、眉間に深い皺を作っている。


「かくして我がサンテネリ、”世界の中心”と渾名された我が国は日没のときを迎える。夕暮れが迫っている」


 大仰な素振りで両手を広げ、ぼくは言い放つ。これは癖になるね。ぼくは今歴史の一場面を演じている。


 かのフランス革命もこうして始まったというね。

 政府が貴族への課税理解を求めて国庫の状態をばらしたら、それがやぶ蛇になった。

 もちろん知っているよ。分かっていてやってる。


「かつて大陸を席巻した軍は今や見る影もない。昔版図に収めたレムル半島は遙か彼方だ。我々は帝国やプロザンやアングランの顔色を伺い、ひっそりと息を潜めて暗闇を佇む。我々は”針鼠臆病者”だ」


 蒼白としか表現しようのないデルロワズ公の面持ち。


「私は旭日の王国をグロワス12世陛下から引き継ぎ、その日没を招こうとしている」


 今日は調子が良い。手の震えが比較的弱い。


 メアリさん曰く、ぼくがしょんぼりしている様は子犬に似ているらしい。今のぼくは彼らからはどう見えているだろうか。

 二十代の青年王が語るには少々悲観的すぎる内容だからね。

 事実とはいえ。


 ぼくは言葉を切って、じっと聴衆を眺めた。皆不安げだ。そして続きを求めている。

 そう、ぼくの言葉を待っている。

 王の言葉を。


 演台から離れ、ぼくは会場最下段に降りた。

 手を伸ばせば届く距離にぎっしりと貴顕の士が詰めかけている。皆一言も発することはない。人々の瞳がぼくを圧搾せんと頭上の四方から迫ってくる。覆い被さってくる。果たしてぼくは撥ね除けられるだろうか。


「さて、この事態は誰の責任であろうか。問うまでもないな。王たる私の責任だ。この四年間、私は何も出来なかった。だが…」


 肺と肺の間、心臓が爆発しそうだ。

 言葉が溢れている。


「だが諸君! 一つだけ、この暗愚な王を讃えてほしい。たった一つ、諸君の王は美点を持つ。——それは、諸君に助けを求める心根だ」


 ぼくは早足で演台に戻り、再び彼らと向き合った。





 ◆





 ここサンテネリで初めての目覚めを迎えた朝、ぼくは枕を幾度も確かめたよ。

 ふわふわの、恐らく何らかの動物の羽毛が詰まった巨大なそれは、謎の仙人がぼくに貸してくれたものなのではないか。ここは邯鄲かんたんか。

 その後も酷いものだった。

 今ではおなじみになったひげ面の侍従さんに世話をされながら服を着け鏡を見て、そこにを見つけたんだ。

 何かを尋ねる気にもならなかった。とにかく怖かったんだ。

 そして尋ねる必要もなかった。自分が誰で何をしなければならないか、全てことに気づいたから。


 割れそうな程に強く奥歯を噛みしめて、ぼくはここでの生活を始めた。


 ぼくを取り巻く人々。その視線、その態度は、皮肉なことにぼくが日本で慣れ親しんだものだった。

 利用価値を探るもの。そして、存在価値を探るもの。

 前者は分かりやすい。上司が自分に「利を与えてくれる」存在かどうかをじっと観察している。後者は少しやっかいだ。上司が上司に「ふさわしい」存在かを見ている。

 柔和な笑顔、従順な口調の下で、彼らは静かに眺め、判断を下す。


 ——果たしてこの若者は、我らが王たりうる存在か。


 コメディ映画や小説の題材に時々あるね。どこにでもいる若者が、何かの拍子でいきなり国のトップに祭り上げられるお話。最初は見当外れな動きをしていた主人公が、持ち前の才能と政治の世界の常識に縛られない行動で成果を上げ、いつしか人々の心を掴んでいく。

 ぼくは好きだよ。夢がある。若者は何も持たないし、何も知らない。彼らはこれから持ち、知るんだ。だからその蛮勇をふるい活躍する。


 残念なことに、ぼくはもう持っていたし、知ってしまっていた。

 人の上に立つことの意味を。


 王に近侍する貴族達は選りすぐりだ。

 彼らは雇われサラリーマンではない。一人一人が日本でいうところの大企業に近い大家たいかの経営者だ。彼らのうちの最も小身でさえ、ぼくが日本で社長の椅子を暖めていた企業よりも大きい企業を切り回している。

 抜け目なく、利にさとく、決断力がある。

 彼らは自家という大企業を立派に経営した上で、さらに宮廷という世界で競争を重ね、生き残った人々なんだ。


 ぼくは彼らに一挙手一投足を採点されながら生きてきた。

 昔、御前会議について説明したことがあったかな。ぼくは玉座の上でじっと黙って座っている。

 ぼくに何が言える?


 就職活動の面接で堂々と振る舞えるのはね、優秀さの表れではないよ。それは若さだ。能力と実績の証明を求められていない存在だからなんだ。

 若者はこれからそれを得ていくんだから当然だろう。


 不幸なことに、ぼくはそうではなかった。

 ぼくは怖かったんだ。

 日本でそうだったように失望され、お荷物になり、皆に迷惑をかける。


 ブラウネさんやメアリさん、ゾフィさんを会社の女性社員に例えたことがあったね。ぼくを値踏みするのは取締役たちだけではない。皆だよ。

 秘書としてなまじ身近に接するからこそ、彼女たちの判断は苛烈だ。値踏みは仕事のレベルを超えたところ、つまり人格にまで及ぶ。

 これは性別の問題ではなくてね。職位が下がれば下がるほど、上司の仕事の核心部分は見えづらくなる。すると、判断はそれ以外の部分を元に為されざるをえない。

「だらしない」「なさけない」「えらそう」「自信が無さそう」「ダサい」

 そういうやつだよ。これは仕方がないことだ。


 見目麗しのご令嬢方。

 誰しもが羨む理想の配偶者だ。いずれも名と権勢を誇る実家を持ち、いずれも美貌を備え、いずれも”まともな”性格を持つ。まともとはつまり”サンテネリにおいて”ということだよ。

 男性への品定めもしっかり心得ている。


 そんな彼女たちと対さなければならなかったぼくの心境を分かるだろうか。侮蔑を隠しきれていないブラウネさん、利用価値をじっと探るメアリさん、がんばって子どもの演技をするゾフィさん。


 かくしてぼくは、仕事においては重役の皆さんに無情の判定を受け、生活においてはご令嬢方に丁重な品定めを受ける存在となった。


 一月ひとつき、あるいは二月ふたつき、なんとか生き残ることだけに集中した。

 そしてある日、最後の残酷な気づきを得た。


 彼らは決してぼくから離れていかない。内心どうあれ、ぼくを最後まで丁重に扱う。彼女たちもまた同じ。ぼくから離れていかない。それどころか、ぼくが望めば身体すら捧げてくれる。


 なぜか。

 ぼくが王だからだ。

 サンテネリ王国の正統なる王、グロワス13世だから。


 つまり、「社会」が彼らにそう強いている。王に従えと。王に身体を捧げろと。自身より劣った、魅力の無い存在に、それでも尽くせと。

 彼らの心境を想像したとき、ぼくはより深く恐怖を抱いた。

 彼女たちがたおやかに紡ぐ「陛下」の呼びかけは、ぼくには怨嗟のうめきにすら聞こえた。


 ここまでの状況認識を終えて、ぼくは自分にできることを考えた。他人のためじゃない。徹頭徹尾、自分がなんとか生き延びるためにできることを。

 それはぼくが唯一持つ下手くそな特技。

 装うこと。

 王を装うことだ。

 大体において成功したと思うよ。ただね、時々どうしようもなく地が出てしまうこともあった。憎しみを抑えきれない瞬間があったからね。この境遇、この社会への。


 でも、なんとかやってきた。

 装ううちに、皆と少し打ち解けられるようになった。今ではね、信じられないことに、重臣の皆さんと対等に話せるんだ。

 そして信じられないことに、ご令嬢方はぼくの妻だ。

 まだ二割くらい疑っているけど、八割方は信じられるようになった。ぼくのは彼ら彼女らをそこそこ満足させているんだって。


 これがぼくだ。

 約4年かけて、ぼくはたどり着いた。

 今目の前に、約1000人の貴族たちが集っている。

 彼らの視線を一身に浴びて、壇上で、手を広げ、語りかけている。


 ぼくは恐れを抑えられる。

 ぼくは王だ。






 ◆






「諸君にこの愚王への憐れみなど求めない。私は諸君を招く。私のところへ招く。私は諸君に傍観を許さない。よくよく考えられよ。この旧市の城で酒を酌み交わしながら隣町を脅かす算段をしていた時代はもう終わった。300人の騎士が華々しく地をかける時代は終わった。いいか、騎士の末裔達よ。我々は3000万の人々に責任を持たねばならない。300人ではない。3000万だ!」


 勢い余って演台を叩きそうになるのをぐっと堪えた。


針鼠臆病者は常に恐れおののいている。だが、いみじくも我が国の栄光ある軍がその名を襲うように、針鼠スールは強くもなる。それはなぜか? 自身の弱さを知るからだ。弱さを直視する針鼠たちは、それを克服するために群れることを選択した。そうだな、デルロワズ殿。我が国の”黒針鼠”連隊はそうして生まれたのだな。獰猛で圧倒的、誇り高く、おごり高ぶった騎士たちを打ち倒すために平民が槍を握り密集した。鎧の煌めきも高価な突撃槍も、弱点を知り、一所に固まり、一丸となった針鼠を打ち破ることは叶わない。そうだな、デルロワズ公!」


 ぼくの強い問いかけに、ついにジャンさんが応じた。


「その通りです。陛下! 我らの兵は強く結び合うがゆえに無敵です」


「ありがとう。軍務卿殿。その通りだ。では、例えば商業はどうだ。我々は長年積上げ、今では誰一人全貌を理解し得ぬ、芸術的に複雑な税制を持つ。効率は悪く、不正は多く、汚職に溢れている。その上我が国内には事実上の独立国があり、あたかも右足と左足が別々の意志のもと動かされているかのようだ。右の足はあちらに、左の足はこちらに行きたがる。諸君、分かるか。試されるがよい。その者は一歩たりとも前に進めないだろう」


 目新しいことは一つも、本当に一つもない。全て皆が知っていること。そして、口にしてはならなかったこと。目を向けてはならなかったもの。

 それを満座に公言できるのはぼくだけだ。


「なんと幸せなことだろう! 諸君、我々は理解しているぞ! そして直視できる。我がサンテネリをおいて、他のどこの国がこれほどの知恵と勇気を持つだろうか? ヴェノンの宮殿で皇帝はこのような話を臣下に出来るだろうか。アングランの首相は王にこのような上奏をなし得るか。プロザンのフライシュ王はその名高い率直さを自国のひびに向けられようか」


 瑕瑾かきんを認めること。これだけがぼくの強みなんだ。


「ガイユール殿、貴殿はサンテネリ王国の財務卿となられる。貴殿はリーユの繁栄を第一とするか?」

「いいえ、陛下。サンテネリの繁栄を。ここに誓いましょう!」

「アキアヌ殿はこの国の舵取りをなさる。大船の主たる貴殿は、緊急避難用に誂えられた小舟を後生大事に磨くかな? どちらの舵を取られる」

「むろん、大船の!」


 一千の視線がぼくの身体を貫いている。

 彼らが見せられているものは一体なんだろう。

 多分想像と違っただろうね。ぼくが二枚ほど原稿の定型句を読み上げて終わり。そう思っていたかな。観光に繰り出そうと焦れているところを申し訳ないが、もう少し付き合ってほしい。


「さて諸君。百年後のサンテネリには再び日が昇る。それは偉大な王の力ゆえではない。諸君の力によってだ。この大陸のどこを見渡してもそれを成せる国はなかろう。それに耐えうる王はなかろう。——弱さを自覚することは怖い。さらけ出すのはなお危険だ。しかし私は敢えて為す。私が既にルロワのぬしたる意識をように、諸君もまた各家のぬしたることを止め、このサンテネリ王国のぬしたることを欲するとからだ!」


 国王顧問会を枢密院に改組するだけ。形の上ではそれだけのこと。

 実状はね、サンテネリ王国は巨大なルロワ公領から脱皮する。皆の国になる。王の国ではなく。


「王は諸君に忠誠を。王は諸君に愛を。ただ一つ、サンテネリへの忠誠と愛を求めたい」


 言いたいことはこれで全部。


「——よって本貴族会において、王の勅令に対する承認を求める」


 こうしてぼくは最後の仕事を終えた。


 拍手も野次もない。敵意も敬意もない。

 突然変な話を聞かされて戸惑っているのだろうか。


 いたたまれない思いだ。

 でも、俯くわけにはいかない。


 ぼくは来たときと同様足早に中央通路を歩いた。緩い上り坂を踏みしめていく。天窓の光がぼくの足下を掠めていく。


 来たときと同様に、沿道の貴族達に目を向けることはない。ぼくは彼らを飲み干す”器”を持たないから。

 

 通路の端にそびえる大扉を目指してぼくは歩を進める。



 そこが出口であると信じていたからね。

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