無能な王のルーティン 夜

 夕食の間にはいくつかの小部屋(当社比)が付属している。

 ぼくはそのうちの一つに向かう。


 ガイユール公は別室に。多分他の役員と仕事の話でもするのだろう。今流行りのビジネス本の話題とかかな?


 小部屋は相変わらず巨大で、天井がありえない高さ。そこから垂らされた小さなシャンデリア(当社比)。巨大なソファや椅子が絶妙な配置で並べられている。


「ゾフィ殿、久しいな」

「はい! 陛下もお変わりなくいらっしゃって、私ほっといたしました!」

「私の身体を案じてくださったのか」

「もちろんです! 陛下がご休養なさっていると父上から聞いたときは、馬車を飛ばして飛んで参ろうかと思ったほどですから」


 ゾフィ・エン・ガイユールは公爵家の長女。まだ14だ。

 長い濃茶の髪を結い上げて深緑の瀟洒なドレスをまとっている。財閥系企業創業家のお嬢様で女子校とか通ってる系。

 でも繰り返す。まだ14歳だ。


 小柄な背丈と相まって、大人びた格好の中に子どもがすっぽり入っている感じ。とにかく元気が良い。

 人なつこい笑顔、物怖じしない性格。

 先生にも気に入られていて、いつも話の輪の中心に居て。口癖のように「は? ウザ」とかいわない女子。クラスに居たよね。

 ちなみにゾフィさんはナイスミドルの血を存分に受けて、彫りの深い顔立ちの超美人なので、実際に学校にいたら色々騒がれるタイプ。


 で、それが大人になるとね。

 総務の小林さん(24)みたいになる。

 ガンガン来る。廊下とかですれ違うと明るく話しかけてくる。一若手平社員の女の子が社長に。

「社長、今日のネクタイちょっといいですね!」

 とか。

 これは勘違いしてもしょうがないよね。


 で、後で総務部長の吉永さん(48)に聞いたら、どっかの地元大手企業のお嬢さんだったらしい。だからあれか、秘書課の錚々たる面々とバチバチやりあって平気だったのか。

 ちなみに秘書課の三沢さんとは超絶仲が悪かったらしい。


 肝の据わった実家が太い女は強い。


「陛下、私、もう少しシュトロワにいられることになったんです。話題のルー・サントルにも参ります! お父様がお許しくださいました!」


 王都シュトロワの市街地を貫いて勝利広場に繋がる大通り、ルー・サントルは服飾や貴金属の商店(金持ち向け)が軒を連ねる一等地。要するに銀座。


 ぼくも行きたい。

 久しぶりに買い物に行きたい。もちろん行けない。

 王が気軽に町中に出ると問題が多い。そして実際に問題が起こると色々な人が(物理的に)消える。


 何とかお忍びで行けないものか。


 ぼくが持ってるこの時計。

 手のひらにすっぽり収まる金の懐中時計。

 手巻きの感触が絹のように滑らかで本当に素晴らしい。文字盤のギョシェ彫りも鋭いエッジの立ち方をしている。これ、100%ハンドメイドなんだ。


 これを作った職人さんの店に行きたい。

 ブラーグさんというらしい。


 ブラーグさんのお店にもシークレットルームとかあるんだろうか。

 銀座ブティックのそういう部屋でシャンパンを浴びるように飲みながら時計を選ぶのは最高に楽しかった。

 最高の「現実逃避」だった。

 しかも! 日本と違ってここサンテネリでは時計も服も宝石も、税務署案件になる諸々をすべて経費で落とせる。領収書もらっちゃうよ。


 でもね、今の立場を冷静に考えると、そもそも税務署の親玉がぼくなんだ。


 そして、お店に行くのはやっぱり無理だ。

 従僕のみなさんに「ブラーグの店に行きたい」と言ったとする。もちろんスルーされて、翌日、お茶の時間になってみるとブラーグさん本人が控えている。呼びつけてオーダーメイド。このパターン。

 趣が無い。


「おお、それは羨ましい限りだ、ゾフィ殿。私も少々気になっているが、この立場ではなかなか気軽に動けない。ゾフィ殿の類い希な行動力は素晴らしいな」

「でも、お母様にはいつもお叱りを受けます…。もう少しお淑やかにって」

「ゾフィ殿。それもまた然り。だが、その活力が私を照らしてくれる」

「本当ですか!?」


 いや、分かる。可愛いよね。飛び跳ねんばかりの喜びよう。

 ただ、14歳だからね。

 ぼくが「陛下」じゃなかったら、目も合わせず携帯みながら「こいつキモくない?」って周りの友達とささやきあうような年頃のお嬢さんだからね。


「陛下は明るい娘がお好きでいらっしゃいますよね! いつもお小言ばかりの方では息が詰まってしまいますもの。もし許されるなら、私、いつも陛下の側にいたいです」


 これで分かったと思う。

 ブラウネさんとゾフィーさんは、その、ね。

 ちょっと繊細な関係なんだ。

 彼女たち同士の関係もそうなんだけど、実家がね、その、ね。


 サンテネリの宮廷に必要なのは優秀な財務官僚と利害調整が上手い政治家、そして四方敵ばかりの状況をなだめられる外交官。


 そして、ぼくに必要なのは総務部長の吉永さん(48・男)だ。




 ◆




 この異世界サンテネリでぼくに出来ることは何もない。

 何の因果か二ヶ月前にここに放り込まれた異邦人に何が出来る。


 前職で事務のおばちゃんに魔法扱いされたエクセルショートカットも、親父の会社を継いでからちょっと本で読んだきりの造園技術も、何の役にも立たない。

 役に立つのは「傍観の技術」くらいだ。


 人は少し偉くなるとそれ相応の振る舞いをしなきゃって意気込むんだ。

 部活で部長になった。サークルの代表になった。部署の主任になった。係長になった。

 あるいは、社長になった。

 そうするといわゆる「リーダーシップ」とかを発揮しようと頑張る。でもリーダーシップとやらには向き不向きがある。

 そして、ガチガチにできあがった組織って思ったより固い。


 歴史に時々出てくるでしょ。部下を片っ端から粛正していく王様。

 なんて馬鹿なことをするんだって思ってた。

 でも、完成された組織を変えるってつまりそういうことなんだ。熱い思いをぶつけて共感を得て、とかそんなんじゃない。


 に壊さないと無理。

 だから、そういう粛正系の王様は分かった上でやってる。で、大体は失敗してエグい死に方してる。ただごく稀に大成功する人もいて、彼らが名君になる。


 ぼくには出来ない。

 出来ない場合、取れる行動は一つしかない。傍観することだ。

 自分より優秀な人間が全部やってくれる。だからぼくは判子係になる。ここではサインだけど。


 判子係を馬鹿にしてくれるな。

 自分の存在が無意味であると痛感することほど辛いことはない。その虚無感に耐えて判子係を続けられるのは一つの才能なんだ。

 だって大抵狂うからね。中途半端に部下の仕事に口を出すか、それとも全部投げ捨てて女に溺れるか、酒に逃げるか。

 自分は一度失敗している。今回もおそらく失敗する。


 前世(?)では残された人たちに結構迷惑をかけたはず。

 跡継ぎを残さなかったし遺言もない。社長がいきなり跳ぶとか、たかだか1億程度の生命保険ではとても割に合わない損害を会社は被ったはずだ。


 申し訳なく思う。でもね、衝動的だったから。

 計画的にやるならもう少しちゃんとしたよ。保険の掛け金も上げたし株の分配もしっかり考えたはず。


 でも衝動的だったんだ。

 高層マンションの32階、ベランダでワインを痛飲した状態で自分の価値のなさに気づいてしまったら、取れる行動は一つしかないでしょ。


 だから今回はできる限り迷惑がかからない判子係をやることにする。


 そんなことを考えながら眠りについた。


 身体が溺れてしまいそうなほどふかふかのベッドの中で。

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