通学路

ねぱぴこ

通学路

 今から、八年ほど前のことです。


 私が住んでいたアパートからの通勤路に、小学生の通学路と重なっている道があったんです。

 ちょうど時間も同じで、私は小学校と反対方向の駅に向かっていたので、何人もの子どもとすれ違って……特に横断歩道では、たくさんの子どもを見かけました。

 ひとくくりに小学生といっても、子どもたちの様子はそれぞれ違いました。

 通行人の邪魔にならないように歩道の端をきちんと歩いている子、友だちとふざけながらふらふらしている危なっかしい子、朝練に遅れでもしたのか、体操着であわてて走っていく子……。

 でも、どの子も表情が生き生きとしていることだけは共通していて、三十代なかばだった私にとって、彼らはとってもまぶしかったんです。

 

 けど、その中に一人だけ、妙なことをしている子がいました。――そうですね、名前は仮に、Sちゃんとしましょうか。

 Sちゃんは、横断歩道で信号を待つために立ち止まると、他の子どもたちがしゃべっているのには加わらず、私が立っている歩道に向かって、一人で手を振っていたんです。

 隣にいた子が首をかしげながら、手を振っているSちゃんに何か尋ねているのを見たことがあります。私は対岸から見ていたので、どう返事したかわからなかったんですが……Sちゃんは何か言うと、手を振ることをすぐにやめてしまいました。


 一度だけ、横断歩道をはさんで私とSちゃんが二人っきりになったことがあります。Sちゃんはいつも通り、私の向かい側の歩道に立って信号が変わるのを待っていました。ひょっとしたら今日も同じことをするんじゃないかと思って、私はSちゃんをじっと見ていました。

 すると、Sちゃんは口をぽかんと開けて飛びはねながら、私に向かってちぎれんばかりに大きく手を振りました。声はよく聞こえませんが、唇の動きを見ていると、「おーい、おーい」と言っているように見えました。

 念のために振り返ってもみましたが、私がいた歩道には、他に誰の姿も見当たりませんでした。当時の私は独身で、Sちゃんのような小学生の知り合いなどいるはずもありません。

 彼女は、誰に向かって手を振っていたのでしょう。


 ――ほら、よく子どもには、見えないものが見えるって言うじゃないですか。私は、大人よりも素直だからじゃないかって思ってるんです。大人に何かが見えたとしても、あれこれ理屈を付けたがりますから。

 ……それで、とにかくその時は、Sちゃんには霊的なものが見えてるんじゃないかって、私はちょっとだけ期待してたんです。

 でもね、それからしばらくして、手を振っていた相手がようやくわかったんですよ。


 Sちゃんがいた歩道の向かい側……つまり、私の斜めうしろに、とびだし注意の看板があったんです。黄色い通学帽をかぶった小学生が左手を上げている、あれです。

 Sちゃんはそれを自分の友だちに見立てて、看板に向かって手を振っていたんですね。気付いた時にはなあんだ、と拍子抜けしてしまいました。


 ……どうして急に、この話を思い出したのかって? あれから私も結婚して、子どもが一人できたんですよ。かわいい女の子です。

 夫がよそに家を買ったので、あの通学路にはしばらく行ってません。

 でも、懐かしくなっちゃって。私の子どもも小学一年生になったばかりなんですが、よく、んですよ。

 そういえば昔、母からも似たような話を聞いた気がしますが――気付いていないだけで、あの時の看板と同じようなものがどこかにあるんでしょうね、きっと。

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