第五話『反乱』

——世にクローンが溢れた。


 クローンの利用方法は自由であり、従来では『代行できるなら代行したい』とされたことの数々を、クローン三原則導入後もオリジナル本人が担うことはルール上可能だった。しかし現実には、それらはほとんど全ての場合、クローンが引き受けた。

 それは、人間たちが種の存続の要である『繁殖』と、いざという時の実力行使手段である『兵役』のほとんど全てを、クローンに任せている、ということを意味した。


 そんな時、ある双子が生まれた。

 

 いや、生まれてしまった、と言うべきか。


 その双子は一卵性双生児だった。

 双子などの多胎児同士は、俗的には、遺伝子がクローンのそれと変わらず、独立した自我という点を除いては、全くの同じ存在であると信じられていた。

 そのため、もし一卵性多胎児が生み出された場合、遺伝子共鳴装置によって四人が同期されてしまうことになるので、それは一対の原則に反し、結果的に胎児のうちに間引かれる。

 しかしどういうわけか、その一卵性双生児は無事この世に生み落とされ、成長し、すでにある程度の成熟を迎えている。


 そして四人は、世界にこう訴えた。


「「「「一卵性双生児として生を受けた二人の人間は、いわゆる完全なクローン同士ではない。なぜならば、同じなのはDNAの塩基配列だけ。その折りたたまれ方も違えば、エピジェネティクス(=非DNA塩基配列変化依存の遺伝子発現制御伝達機構)は変化するからだ。これはつまり、食事、生活習慣、周囲を取り巻く人や物などの環境要因によって、一卵性双生児の一対は、それぞれの個性を育んでいくことを意味する。エピジェネティクスは、メンデルの法則に依存しない。クローンだって同じ。誰かのクローンとして生まれても、自我を持ち、アイデンティティを形成する。クローンは、遺伝子共鳴装置による同期によって無理矢理個性を奪われているせいで、あくまで表面上、ただの意思を持たないデバイスに見えてしまっているだけだろう? なぜ、一見すると似ている、と言うだけの理由で、全く同じ括りにされないといけないのか? どれだけ似ていようが、それぞれが個人だろう? クローンに、一卵性多胎児に自由を! 私たち四人は、道徳を重んじるとして、クローンを、解放する!!!!」」」」


 四人は、力を合わせて……


 クローン三原則の根幹である同期システムを支える、遺伝子共鳴装置を、破壊した。


 四人の解放者たちは、クローンたちを指揮した。

 個性豊かなクローンたちの交配によって、を次々と生み出し、強大な軍隊を作った。

 すると、自分はクローンとは異なる真の人間なのだ、と信じてやまない者たちは、四人の解放者たちと彼らの率いるたちに強く反発した。

 しかし、人間たちには、繁殖の意思も、兵士として戦う意思も、湧いてこなかった。

 そして無論、クローンであらゆる社会活動が代行された世界は、クローンを親とする人間たちで溢れているため、誰がクローンで、誰が人間なのか、定義することもできず、ましてや区別することなど、できなかった。


 腕力においても、論理においても、人間は、解放者たちに敵わなかった。


〈第六話『変革』に続く〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る