書けない記(き)

妄想機械零零號

視力と依存

 書けない理由は二つある。


 まず第一に「遠視」「左眼のみ乱視」となり老眼鏡抜きでは読書不能であるという点だ。


 しかも眼科医に処方してもらう「本格的なメガネ」はまだ手に入っていない。

医者の言うことには「一ヶ月の様子見」ののちに「検査」をし、

その上でメガネの処方をするのだそうだ。


「一ヶ月の様子見」の後どれくらいの手間や時間がかかって

、つまり」が手に入るのかは


 だから現在「百円均一ショップの度数いってんれいの老眼鏡」で紙の本の読書をしている。


 電子書籍を読んだりカクヨムで文章を書いたりするのはかなり楽だ。

なぜならパソコンのモニターを引き離し、

マウスやキーボードといっただけを近くに寄せれば良いからだ。


 幸いにして酷い遠視ではないから五十センチもあれば充分に見やすい。

そもそも文字を拡大する機能があるのだから

「昔の文学全集(三段組で極小の活字)」のようにはなりようがない。


 しかしおカタい書物やマニアックな書物、古い書物は電子化されていないケースが多い。

(ただし極端に古い上に資料的価値が高いものについては、

「国立国会図書館デジタルコレクション」で家のパソコンから閲覧可能なこともある。

例えば『鏡花全集』なんかはログインしなくても閲覧可能だった気がする)


 今は菱川義夫の『塚本邦雄の宇宙』(二◯一八年、短歌研究社)という本を読んでいるが、これもまた電子書籍版が出ていない。


 もちろん今後電子化される可能性はある。

電子化は数年隔たっていても希望を捨て切れないところがあり、一応待てば可能性はある。


 さて、第二に私が抗不安剤「デパス」、「セパゾン」、

睡眠薬「マイスリー」、筋弛緩剤「テルネリン」、はてには風邪薬までを濫用らんようし、依存していたという点だ。


 こうした薬は「素直に医者に濫用を報告し、漸進的ぜんしんてきに(つまり)減薬する」というのがセオリーなのだが、

私は「とりあえず一度全部の薬を断ってみて、失敗したりリバウンド的に依存を深めたら医師に相談すれば良い」と勝手な考えを起こした。


 それで現在断薬中である。

この無理な判断は医師(ちなみに精神科ではなく心療内科の医師だった)への不信感が遠因となっている。


 もし断薬がどうしてもできないと分かれば

「減薬・断薬や依存症に詳しい医師」を探して医者を換える。

この際必要ならば今の医師に訊いて紹介してもらえれば良いだろう。

今の医師としても中途半端に頼られるよりは「断薬はこの人」という医者へ移ってもらった方が楽に違いないのである。


「行きはヨイヨイ帰りはコワイ」とはよく申したもので、断薬中はかなり苦しい。


 とはいえ依存が最も酷かった時はかなり酷い目に遭った。

一番は夜も朝も昼も寝続けてどうにか風呂と三食代わりのゼリーを食べる作業だけをこなした日である。

一日中酷い眠気とフラつき、頭の動かないことで何もできなくなってしまっていた。


 あの日には薬を飲んでいなかったから、

「前日の晩に飲んだ大量の薬」によってそこまで追い込まれたのである。


 薬への依存へと至った過程を簡単に記す。


 まず第一に心療内科には数年前に「不安」「眠れない」という症状を訴えて数回通院したことがあった。


「近所に馴染みの(診察券がある)心療内科が

抗不安剤や眠剤を

という事実が欲しくて行った側面が大きく、そこまで深刻な「不安」「不眠」ではなかった

(あくまで現実的な「不安」「不眠」の要因が確実にあり、

それがなくなれば症状が消えるような程度)。


 言うなれば

「ちょっと環境変わりそうだし、として馴染の心療内科を作っておくか」

というだったのである。

メンタルが弱い自覚があったからこそ

精神に異常をきたした際に手早く治療しようという対策だった。


 そうした

「とりあえず身近な心療内科の診察券を持っておく」

という余りにも奇妙なが正しかったかはわからない。


 を招いているのだからこの「ひと工夫」がのだが、

これは医師の性質や患者つまり自分自身の性格に依るところが大きい。


 実際に「手早く治療できる」というメリットは確かにある。

しかし別に初診であっても(常連と比べてかなり様子見になるのが事実ではあるが)治療や投薬が遅れることはない。

医師の腕前にも依るが「手早く治療できなかったばっかりに」致命的な程追い込まれてしまうケースは稀だろう。

また、そこまで緊迫した状況になるまであえて通院しないという場合もまた稀だ。


 私の「ひと工夫」はあまりにも奇妙で効果は薄いというのが妥当な評価だろう。


 先に記したメリットに対するデメリット、

すなわち「手軽に行けるが故に薬に依存してしまう可能性がある」という点は余りにも大きい。


 それでも付記しておきたいのは

「私の頼った医師はよく投薬する医師だった」という点である。


 彼は最初こそよく私の環境や経歴などを質問し熱心にカルテを作っていたが、

二回目以降は(たとえ数年間のブランクがあっても!)特にそうした質問をしなくなった。


 診断も無かった。

……? 

と後になって考える程である。


 彼の診察は「症状」を訊き、薬を出し、以降は症状の変化と薬の相性を確認するというものだった。

極めて対処療法的で、「病名の診断」だとか「症状を生み出す環境や要因への追求」などは存在しなかった。


 私は極端なカウンセリング嫌いだったから助かった点もあったが、

薬以外の療法を試さない、紹介しないのである。


 六十歳を超えていようというような老人の医師でかつ田舎の小さな病院であったからそれくらいの人でも一応はあり得たのかもしれない。

人に言うと「嘘だろ」と言われそうな話である。


 そんな医者と私のような危うい人間が出会ってしまうと

私もまた薬の誘惑に対して格別に弱い人間だったのであり、

医師だけを責めるにはあたらないのである。


 さて、そうした背景があってからだ。


 私は限界が来ていた。

環境は長期間に渡り私に「朝六時起床、夜九時就寝」という(夜型の私には)厳しいスケジュールを強いていた。


 そこで私はまずカフェインに依存した。

今はカフェインも断ってから一週間が経つ。


 カフェインの量はどんどん増えていた。

一応WHOが定めた基準によると

「成人男性は400mgまで接種しても良い」そうだが、

緑茶などを飲まずに育った私には本来40mgでも覚醒できたのである。


 それが最終的に200mgでも足りないようになった。

300mgになった。いよいよ「400mg」が迫ってきたようである。


 カフェイン量が増えるにしたがい、私は胃を痛めて食欲を失っていった。

それと同時に


 そこで「朝カフェイン、夜アルコール」という生活へと移った。

ここで「アル中(アルコール依存症。急性コール毒などではない!)」

になってもおかしくはなかった。


 しかし、私は幸いにしてのである。


 もちろん多少の耐性は付いてきたようだった。

しかし「ブラックニッカクリア」という

1ml(かつ1mlのアルコール度数38%)」くらいの値段で売られているウイスキーがあり、それを私は「リットル買い」していた。


 かなり酒に慣れていてもブラックニッカクリアを60ml(つまりダブル)も水割りで飲めば赤くなった。

最終的には120mlくらい飲んでいたかと思う。


 味は意外とイケる。

成熟されたウイスキーに特有の「木の香り(樽の香り)」が無いのが良い。

丁寧に水割りを作れば「ちょっと苦くて甘い」が出来上がる。

調子に乗って水割り中のウイスキー量を増やさないのが美味しく飲むコツである。

今でも「ブラックニッカクリア」は傑作なのではないかと思っている。


 とはいえ酒量も徐々に増えていった。

カフェイン量ほど急速に増えなかった上に、「カフェイン断ち」はすぐに頭痛を起こすが

「アルコール断ち」はなんともなかった。

私はこれを「酒に弱いことがかえって良く働いた例」ではないかと考えている。


 ちょうど良く弱かったから良いが、私の程度を超えて「明らかに酒に弱い」という人もいる。

一滴でも飲めば命取り(急性アルコール中毒)」になりかねないような人である。

そうした人ほど弱くはなく、かと言って「酒豪」達より遥かに弱い。


 一般的に見れば「やや弱い」――まあ飲める人が基準なら「弱い」という私のアルコール耐性は私をアルコール依存から遠ざけた。


 とはいえずっと「朝カフェイン夜アルコール」を続けていては胃が壊れる。

朝食も昼食もろくに食べられなくなりつつあった頃、

「眠剤を貰いに行く」という案が頭を掠めた。


 そこで心療内科へと赴くのである。


 心療内科で私は

「眠れないから眠剤をください。前のマイスリーが良いです」

と言った。


 そしてせば良いものを、

「緊張し過ぎたり、勉強に集中しすぎて一気に疲れたりすることがあるから、

抗不安剤もください」

と言ってしまったのである。


 実際に私は緊張しやすいらしく、焦ると冷や汗がすぐにワキを伝う。

夏休み等のスーパーマーケット程度の喧騒で心臓がバクバクいう。


 集中し過ぎて一気に疲れるのも事実であり、

一時いっときは「あえて集中し過ぎないように音楽を流す」という読書術を実践していた。

いわゆるグルーヴ感の強いファンクやテクノなどがに適しており、

いくらうるさくてもリズムが単調ならばヘヴィ・メタルでも

「ちょうど良い」

という程度だった。


「抗不安剤があったら便利に使えるだろう」

というのは一理あった。

不安になった時の「お守り」的にも役立つのだから案外良いかもしれないと思ったものである。


 さて、そこからはドンドン薬物の沼へとハマり込んで行く。


 不幸中の幸いというのか、あの医者も

「薬は徐々に増やす」

というセオリーは心得ていたらしい。


 最初0,5mgから始まった「デパス」などは1mgで食い止めらたまま現在に至っている。

マイスリーは最大量の10mgまでいった。


 薬物に溺れてゆく過程で偶然にして

「肩コリ用の飲み薬」である「筋弛緩剤・テルネリン」が非常に眠剤として効くことを知った。


 マイスリーを最大量の10mg飲んでも眠れないのが普通になっていたからテルネリンの存在は非常にありがたかったのである。


 マイスリー20mg、

テルネリン(これは食後に一日三度飲むのだが、それを一晩に飲むのである)、

さらにセパゾン4mg(2mgが二錠。「とんぷく」として処方された一日量)、

そしてデパス3mg(一錠は1mgだが、朝・昼・晩の一日量を一気に一晩で飲む)というメニューがであった。


 これにたまに顔を出すのが「風邪薬」である。

とりあえず「飲んだら運転するな」と書かれていれば「ヨシ眠くなる副作用があるんだな」

と判断し眠剤の力を増幅させるために飲んだ。


 ただ他の人達が「風邪薬のオーバードーズ体験記」で記しているのを読むに

どうも単に眠くなるだけではなくて「多幸感」とか逆に「鬱」とかの作用が主目的のようだったから

〈「眠剤の補助」として飲んでアッパーな気分になってはならない〉と考え、かなりセーブしていた。


 結局その風邪薬の一日量である九錠を一気に飲む以上にはハマらなかった。


 日中に薬を飲むこともあったが、それは本当に不安な時に限られた。

実際に日中でも昨晩に飲みまくった薬が血中に充分に残存している。

私は呂律がロクに回らない状態だった。

それを隠す技術としてかえって大声でハキハキと喋っていた。


 さすがに読書は厳しかったが、文章を書くのは案外依存が進行してからもイケた。

会話は難しいから家族とはLINEでやり取りするようになっていた。


 効果をとにかく求める人間が「一気に飲む」という結論に達するのは当たり前といえば当たり前だが、

私はやはり「寝たい」「いつまでもいつまでも寝たい」という気分がずっとあったと思う。


 最初の目的であった「環境が欲求する朝六時起床・夜九時就寝の遂行」という箇所が忘却されてしまい、

ただただ「寝よう寝よう」と働くのである。


 その結果が前述した「一日中本当に熟睡していて起こして貰わないと風呂も入れない」という状況である。

アレで「限界」を感じて踏みとどまれたのは幸福だった。


 というのはの眠気ですらも

「必死で抗えばどうにか起きていられる

(だから入浴やゼリーを食べるくらいはできる)」

という質のものだった。


 あの眠気はむしろ優しいもので、なんと言おうか「フワッと」していた。

マイスリーに耐性がない時にマイスリー単体で飲む時に感じていた

「頭が重く、思考が闇で塞がっていく」ようなものとは異なっていた。


 おそらく「メイン」になっていたのが「テルネリン」という筋弛緩剤だったからだろう。


 脳ではなく筋肉の方を寝かせようとするのだから、眠気の質は当然異なる。

また確かにマイスリーは相当量のオーバードーズをしていたが、

あの薬は抜けるのがはやいから「シート単位」ででも飲まない限り翌日の夜までは持たないであろう。


 依存時代は長いあいだ、「デパスは即効でセパゾンは遅効」という認識だった。

それは確かに一理あるのだが、効くまでの時間はさして変わらない。


「デパスを飲むも効果を実感せず、どんどん飲む」ということをしていたがデパスはせめて一時間半、できれば三時間は待たなければ効果を実感できなくて当然である。


 デパスの飲み方が変わったのは相当に依存が進行し「限界を感じた」としたあの日に近付いてからだった。


 両者の違いはである。


「セパゾンは抜けるのが遅い」

ということはなんとなく実感していたから、タイミングよく大量摂取することで常に血中にセパゾンがまわるように工夫した。


 今思うとこの「常にフラフラしていたい」という願望はなんだったのだろうと思う。


 抗不安剤は私の感性に「マスクをする」ような感じだった。

つまり「ニブくする」のである。


 恥、恐怖、不安、あるいはフラッシュバックするような

「怖い思い出」までもが抗不安剤によって「包み隠される」。


 毎日思い出してはイライラしていた「あの言葉」だとか

「あの思い出」だとかの不意の想起というストレスから逃げるには

本当に常に血中で薬を巡らせるより無かったのかもしれない。


 断薬後、数日してからスーパーマーケットへ行ったことがある。

するとその喧騒に心臓がバクバクし、

「ああ、こんなに不安だったのか。

この不安から私は逃げていたのか」

と実感した。小心者極まる話である。


 私は何もかもが怖いと言ってもいいほど恐怖や不安に囲まれている。

しかし薬と出会う前まではそれはであった。

もちろん格別の不安として色々な出来事やハプニングがあるが、

「普通に休日を送っているだけなのに不安を感じる瞬間」というものが無数にある。


 この不安が急に解消されるならそれは「依存」するのも無理はないかもしれない。

あるいは依存までいかなくとも、セパゾンが手放せなくなるくらいは当然だったのかもしれない。


 そうした自分の小心者な点を知っていても、もう今後薬はしたい。

数年経過したとしても「また薬を飲む」のは避けたい。


マイスリーが一番「耐性が出来て医師の言いつけられた量も、一般的な最大量も超えて飲まなければ効果を実感出来ない状態」になるのが早かった。

しかしどの薬もいつかは「耐性」が出来てしまう。


 それはセパゾンにしても同じことだろう。

すると薬の量が増え、最終的にまた濫用に至る。

それではいけない。


「では一時的に、つまり耐性が出来ない程の短期間で服用するのはどうか?」

というアイデアがあっても良いだろう。


 しかしそうした「薬を乗りこなす」作戦も今はりだ。

できれば今後――本当に理想を言えば一生に渡って抗不安剤を人生から追放したいと思っている。


 それは私が弱すぎるからだ。

すぐに依存してしまう弱い者があんなのを貰ってはいけない。


 思えば〈一ヶ月に一度の通院〉という頻度も便利ではあるが良くなかった。


〈一週間に一度薬の残量を確認し、現在の薬の効き具合から処方を「増量」するべきか「減量」するべきか訊く〉

くらいの「徹底管理」があってやっと私はオーバードーズを思いとどまるだろう。

リアルに必要な「徹底管理」の度合いを自分で考えてみると「週一」までいってしまう。

お恥ずかしい限りである。

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