朝でも夜でもない時間が永遠に

星多みん

お盆の寂しい午後七時。黄金色の空によく似合う塩顔の犬がいた。

 数年前に閉店した小さな野菜屋の軒下で寝転がりながら欠伸をした柴犬。私は何故か目が離せずに、ビニール袋をシャカシャカとさせながら近寄った。


「お前も待ち人かい?」


 私はそう言いながら柴犬の隣に座る。もちろん柴犬は何も答えず、ダルそうに立ち上がって日向と日陰の境目に移動すると、直ぐに立ち止まって私を見つめる。


「着いてこいってこと?」


 私がそう言うと柴犬は肯定したのか「フン」と鼻を鳴らすので、私は試しに柴犬に近づく。すると、柴犬はゆっくりと数十歩だけ前に行き、また立ち止まってこちらを見つめる。


「ああ、良かった正解だったのね。てっきりお前に嫌われたのかと思ったよ」


 私はそう独り言を呟くと、背後霊のように先頭している柴犬の尻尾を眺めながら離れすぎないように後を追う。


 一時間ほど歩いた頃だろう。一匹にお伴する私はいつの間にか、古い民家が点々と変わることを忘れた田舎に来ていた。


 ……反吐が出る。そう思いながらも沈む太陽の下を柴犬の案内に従っていると、前から老婆が近寄ってきた。


「可愛い犬だねぇ。首輪がないみたいだけど、お嬢ちゃんの犬?」

「違います。なんか案内してくれるみたいで」


 私は長話にならないように端的に答えるが、老婆は前を塞ぐように立つと柴犬を触ろうと手を伸ばす。それに対して私の足元に近寄った柴犬は威嚇で返すと、こっちを向きながら溜息を代わりに「くーん」と鳴いた。


「お嬢ちゃん以外は触らせない。ってことかしらね」

「はは、そうなんですかね」


 お互いに苦笑交じりの声で言うと、飽きた柴犬は私のスカートを引っ張って進もうとするので、仕方なく足を柴犬に歩調を合わせて進む。


「田んぼに落ちない様に気を付けてね進んでね」


 と、老婆は言うと真逆の方向に進み始めた。


 再出発してから二時間くらいだろうか。前を歩いていた柴犬は古い神社の鳥居をくぐると役割を終えたと言わんばかりに深い森に去っていく。私は帰ろうと色褪せた鳥居を眺めて二歩進むが、もう少し黄金色に照らされた神社を見たいと思うと社に方向転換する。


 参道の両脇は踏み固められた土道が出来ていて、中央には雑草が生えていた。手水舎からは湧水の心地いい音色。その奥には崩れた拝殿から本殿が見え隠れしている。


 そんな大切に寂びれた不思議な空間を、帰る時に物足りなさが残らないように丁寧に見回って本殿に着くと、酔いしれた私は目を伏せて大きく溜息をつくと口を開いた。


「私ね。呪われて殺されてもいいなって思ってるの」


 あくまで独り言として、でも誰かに反応してほしくてハッキリと発音する。だが返事をするのは蝉と鳩だけで、無駄な気遣いと立ち上がった瞬間、背後の社から物音が聞こえる。


「こんにちは。初めましてではなく、お久しぶりだね」


 低いガラガラとした声。私は飼い主と思って安易に振り返るのだが、袴を着た薄い塩顔を見て距離を取る。


「素っ頓狂な声出さないでよ。せっかくカッコつけて登場したのに結んだ。緊張感がなくなってしまう」


 彼は低い声で言いながら口元が緩まないように我慢していた。


「なんで居るの?」


 絞り出すように聞く私に、彼は葬式で見た時よりも眩い笑顔で近づき、


「お盆の深夜に不謹慎な妄言が聞こえてきたから、神様にお願いしてね」


 と、印象的で聞きなじんだ甲高い声の彼が鼓膜を刺激する。


「んで、呪ってほしいの?」

「いや。嫌、うん。呪って殺してくれないの?」


 私は都合がいいと思い直すと真っ直ぐな目で彼に問うが、それに対し彼は困った表情でも悲しくもない顔で押し黙ってしまう。


「ねぇ、早く呪い殺してよ。夕暮れ時は綺麗だったけど、もう飽きたよ。君が居たから『生きて』って言葉のろいも幸せの証だと思えたのに……」


 喉に突っかかりを感じるたびに目頭が熱くなるのを感じた。また彼を困らせた。最低だ』とこれからの行動を後悔する。


「ほら、これならいいでしょ。後は君が手を添えるだけだから」


――私は叫びながらビニール袋からカッターを取り出し首元に近づける。


「ごめんね。それは出来ない」

「なんで?」

「分からない。でも何と無く、それをしたら後悔すると思うんだ」

「なにそれ、私は君に酷いことをしたんだよ? 君と愛し合っていた夜も朝も覚えながら、他の人に体を許したんだよ?」

「そうだね、見ていたよ」

「なら何で今日まで私を殺さないの? 自分の命と一緒に私への愛を捨てたの?」

「そういうわけじゃない。だけど僕は口も手も足も無くなった死人だから」


 この一連の会話でも、彼は表情一つ変えずに愛おしい眼で私の目を見つめる。


「だから僕は君を殺せないんだ。永遠と明けない黄昏時で君が天命尽きる時まで覚えていてほしいから…… そんな酷い僕に君は恋したんだろう」


 そう言った彼はカッターナイフを奪って、代わりにぼんやりとした柴犬を残して消えてしまう。


「帰るから先頭よろしくね。私は盲目だから」


 私は軽く俯きながらそう言って帰路を歩いていると、彼氏の名前を柴犬に名付けようと考えていた。

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朝でも夜でもない時間が永遠に 星多みん @hositamin

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