番外編(リラ視点)4


「お嬢様、何か嬉しそうですね」

「うん!」

「公爵様がいらしていましたものね」

「うん!あ、そうだ。聞いて!今日ね――――」



 前回、初めてヴァレリオ様とお会いした日、私たちは婚約誓約書を交わして婚約者になった。

 本当は顔合わせだけの予定だったから、結婚までの諸々については、また次回話し合うことになった。

 その次回が、今日だった。


 私たちは、もう正式な婚約者。

 だからお母様が気を利かせて、最初に少しだけ二人で過ごす時間をくれた。

 もちろんまだ結婚前だしドアは開けっ放しだけど、初めてのふたりきり。

 それが嬉しくて、浮かれてしまう。

 はしたないと思われるかもしれないけど、思い切って隣に座った。


 今日、ヴァレリオ様がいらっしゃったら何を話そうかと前回からずっと考えていた。

 聞きたいこと、知りたいことは山ほどある。


 侍女によると定番の質問らしいけど、ヴァレリオ様の趣味。休日の過ごし方。好きな食べ物。逆に嫌いな食べ物はあるのか。好きな動物。結婚したらどんな家庭にしたいのか。どんなタイプの女性が好きなのかも知りたい。他にもたくさん。


 質問だけでなく、天気の話や庭の花が咲いた話や最近保護した猫の話など、私でも話せる話題も考えていた。


 それなのに、ご本人を前にすると、言葉が出てこない。

 話をしたいのに、天気や花の話なんてヴァレリオ様にはつまらないかもしれないと思い至る。

 それじゃあ猫の話をと思ったけど、好きな動物について聞いてからのほうが自然な流れかもしれない。

 だけど、そもそもいきなり好きな動物について聞くのは唐突すぎるのではないか。


 たくさんある聞きたいことを質問しようと思うと、こんな質問して変に思われないかと心配になって思うように聞けない。

 もっと二人の距離を縮めたいのに、話をしたいのに、もどかしい。


「リラ嬢は社交界の幻の花と呼ばれているそうですね」


 ヴァレリオ様からそんなことを言われたけど、何のことを言われているのか、わからなかった。

 でも、話しかけてくれるのが嬉しい。

 低く落ち着いた声をもっと聞きたい。

 もっともっと、早く仲良くなりたい。


 せっかく婚約者になれたのに、『リラ嬢』という呼び名が気になった。

 それに、敬語で他人行儀に話されるのが寂しく感じた。

 だから、敬語をやめて名前も呼び捨てにして貰えるようにお願いした。


 お母様に、ヴァレリオ様と早く仲良くなる方法を相談したら、『敬語をやめて呼び方を変えるのが近道ね』と教えてくれたのを思い出したから。


 私のお願いに、ヴァレリオ様は「はい」と返事してくれたのに、そのまま敬語を使い続ける。

 結構、勇気を出して言ったのに。

 これでは距離を縮められない気がして、つい、「敬語……」と拗ねたように言ってしまった。


 するとヴァレリオ様が、私も敬語を使わなくて良いと言ってくれた。

 名前も呼び捨てで良いと――――



「それから直ぐに、リラって呼んでくれたの!リラって!ね、すっごく仲よさそうに聞こえると思わない?」

「はい。仲睦まじそうに聞こえます。良かったですね」

「一応ね?婚約者とはいえ、公爵様と伯爵令嬢では格差があるから、私はちゃんとするつもりだったんだよ。ゆくゆくはそうなりたいとは思っていたけど」


 だけど、本当は私も敬語を使わずに、お互い呼び捨てで呼び合えたら、きっと距離を縮めやすそうと思っていたので、ヴァレリオの提案は本当に嬉しかった。

 私の考えていることが伝わったみたいで、ヴァレリオも同じように考えてくれているような気がして。

 そう思うと、もうすごく幸せな気持ちになった。


「呼び名が変わっただけで、ぐんと距離が縮まった感じがしますね」

「そうなの!お母様の言う通りだった」


 名前を呼ばれて、さっきまでいろいろ考えていた話のネタなんて、もうどうでもいいやと思えるくらい嬉しかった。


「でもね、病弱なのかって聞かれたの。噂を利用している理由を聞かれて、嘘ついちゃった……」


 二人の距離を一気に縮められた気がして、ふわふわした気分になっていると、病弱なのかと聞かれた。

 今日はなんだか迷っている色を纏っているし、歯切れの悪い感じがしていると思っていたから、そういうことかと納得。


 今までは病弱設定のほうが、私には都合が良かった。

 社交を断るのにも都合がいいし、悪い色を纏っていて怖い人がいても病弱のせいにして席を外すこともできた。

 けれど、公爵家当主の妻になるなら病弱設定はまずいのだと気付いて、すぐにそれはふりだと白状した。

 咄嗟に人見知りをしてしまうと言って…………。


「お嬢様が人見知りなのは、嘘ではないかと思いますが」


 確かに。

 社交慣れしていなく、人付き合いは苦手だから、人見知りもある。

 完全な嘘ではない。


「でも、本当のことは言えなかった……嘘吐いていることには変わりないよ」


 本当は、本当の私を知って、受けいれてもらいたい。

 一方で、あんなに優しい色をしているヴァレリオでも、さすがにいきなり信じて貰えるわけがないと思ってしまう。


 もしも今、私には人の周りに色が視えると言ったら、気持ち悪がられるだろう。

 妄想癖や虚言癖のある変な女だと思われて、最悪破談になる可能性がある。


 昔、姉のように慕っていたメイドに秘密を話したら、気持ち悪がられた。

 まだ子供で、お父様やお母様でさえ初めは信じてくれなかったことだけど、他人から気持ち悪がられるとは思っていなかったから。


 自分の秘密を共有したいと思ってしまった。

 そのメイドのことが大好きだったから。

 あんなに拒絶されるとは思わなかった。


 ……あのときのような思いはしたくない。


 ヴァレリオには、まだ言えない。

 卑怯かもしれないけど、言うにはまだ早い。

 せっかくヴァレリオと話をしているのに、隠し事をしている後ろめたさから浮かれ気分が萎んでしまった。しかも。


「その後ね、贅沢な暮らしを希望していたらがっかりするというような事を言われたの。私はお金目当てなんかではないのに。そう思われているのかと思ったら、ちょっと悲しかったな」

「それは、一般論としておっしゃったのでは?実際、お金や地位目当ての結婚は多くありますから」

「うん。わかっているつもり。だから、私が結婚したいと思ったのはヴァレリオだけって伝えたの。そうしたら、ヴァレリオの色が優しい色に変わっていった」

「お嬢様のお気持ちが伝わったのですね」

「うん。そうだといいな。あっ!でも、あれって、好きだって告白しているようなものじゃない!?やだ、恥ずかしい……」


 疑われているのは悲しかったけど、私の言葉によってヴァレリオの纏う色が変化した。

 優しい色へ変わっていったのは、私を安心させてくれた。

 疑いがはれたようでほっとした。


 あのときは、この目があってよかったと初めて思ったかもしれない。

 でも、何も考えずにしゃべってしまった。


「ご夫婦になられるのですから、お嬢様が公爵様をお慕いしていると伝わっても何も問題ないのでは?」

「そ、そうだけど……」

「こういうことはきっと素直になったほうが上手くいきますよ。公爵様はどんな反応をされていましたか」


 侍女の言葉を受けて、昼間のことを思い出してみる。

 ヴァレリオはじっと私を見ていて、それで、少し目を伏せた。

 ただそれだけで、表情にはあまり変化がなかった。


「嬉しそうな色はしていたかも」

「やっぱり素直なほうが上手くいくのですよ。相手にとって嬉しく思うようなことは素直に伝えたほうが何かと得です」

「うん――あ、そうそう!それでね!今日は初めて笑ってくれたの!」

「まあ。公爵様が?良かったですね」


 両親を交えて結婚までの話し合いを終え、玄関アプローチまでお見送りしたときだった。

 馬車へ向かって歩き出したヴァレリオだったけど、くるりと振り返り私の前に立った。

 と言っても、数歩進んでから振り返ったから私との間には距離があったけど。

 一瞬迷うような色を出したから、どうしたのかと思ったら――


「俺は仕事柄家にいない時間も多く、結婚しても寂しい思いをさせてしまうかもしれない。だけど、大切にする。リラのことは俺が守るから」

「は、はい!私も!私もヴァレリオを守りたい!」

「……リラは、俺が帰る場所を守ってくれるか?」

「うん!必ず守り抜く!」

「ふ……頼もしいな。―――では、失礼する」


 それまで殆ど表情を崩すことのなかったヴァレリオが初めて見せた表情だった。



「――ってね、最後、ふって笑ったの!ふって!ほんの少しだけど笑ってくれたの!笑顔とはまでは言えないくらいだったけど、初めて!少しだけ表情が緩んだの!優しい色がふわっと広がって……あぁ、素敵だった!」

「それは良かったですね」

「ふふふ。思い出しただけで今日は幸せな気分で眠れそう」

「良い夢を見てください。それでは灯りを消しますよ」

「うん。おやすみ」

「おやすみなさいませ、お嬢様」


 瞳を閉じると、あの微笑みが思い出される。

 もっと仲良くなれたら、もっと笑顔を見せてくれるようになるだろうか。

 どうしたらもっと笑顔を見せてくれるようになるのだろう。

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