番外編(リラ視点)1


 それは、社交界シーズンに行われる年に一度の王族主催の夜会の日。

 この国では毎年十六歳になる貴族の子女が社交界デビューをする日でもあった。

 この年に十六歳を迎える私も、緊張しながら両親と共に、初めて王宮の夜会に参加していた。


 五歳の時から急に人の周りに色が視えるようになり、それから人付き合いを避けてきたけど、デビュタントのための夜会は避けられない。

 期待に胸を躍らせることはなく、行きたくない一心だった。


 王宮に着くと、黒い靄を纏った人が多いことはすぐに気がついた。

 人の周りに色が視えるようになってから約十年。

 自分の目が人とは違うことや、清廉潔白で美しく正しい完璧な人なんていないことを理解するには充分な時間を過ごしてきたと思う。


 それぞれ程度は違うけど、短気で頻繁に黒い靄を出している人、喧嘩した後や嫌な事があって一時的に黒い靄が出てしまう人、特定の人に対してだけ黒い靄を出す人、いろいろな人や状況があるとわかった。


 私から見ると善良な両親だってそう。

 二人が私の前で喧嘩しているところは見たことがないけど、夫婦喧嘩をしたのであろう後はお互いに纏う色が悪くなる。

 悲しみの色になることもあれば、憎しみの色になることもある。


 自分自身の色は視えないけど、自分からもきっと黒い靄が出ることもあるのだと思う。


 それに、人はそれほど単純ではなく相反する色を纏っている人も多い。

 それが貴族になると、顔の使い分けをするので特に顕著になる。


 だから、貴族が一堂に会する王宮で行われる夜会には、私が恐怖心を感じる人も来るだろうと覚悟して来た。

 実際に王城に来てみると、予想よりも黒い靄を纏っている人がずっと多いことに驚く。

 とても恐ろしく思うが、大勢の貴族が集まる場ならこういうこともあるだろうと思うことにした。


「大丈夫かい?」

「思っていたよりも怖い人が多いなって……」

「そうか。こちらから近寄らないようにしたらきっと大丈夫だ」


 お父様の言う通り、自ら近寄らなければいい。

 知らないふりをして関わらなければ、何も起こらないはずだから。


 両親について夜会会場に足を踏み入れると、何故か人から見られている感じがした。

 もしかして色を視て反応してしまったのを見られているのかも知れない。


(もっと気を引き締めて平静を装わないと……)


 そうして平静を装って過ごしていたのに、国王陛下に挨拶をする順番が回ってきたとき、一瞬硬直してしまった。


「リラ?どうした?」

「あ……ううん」

「行きましょう。この時だけは失敗できないわ」


 私の能力を知っているお父様は目ざとく様子を窺って来たけど、ここで言う訳にはいかない。

 何の確証もないし……。

 お母様に促されて、足を進めるけど――


 国王陛下の後ろに立っている人物と王族の末席の方に座る人物が、これまで見たことがないほどにどす黒い靄で覆われていた。

 王族の席の方に黒い靄が視えるのには気づいていたけど、近くで見ると予想以上で、一瞬にして血の気が引くほど、恐怖心に支配されたような感覚になった。


 この特殊な目になって、これまでの経験でわかったことがある。

 それはより悪いことを考えている人のほうが黒い靄の濃度が濃くなり、実際に罪を犯しているときや犯行に及ぶときに最も色が濃くなるという傾向。

 つまり、ここまで黒い靄が見えるということは、現在進行形で罪を犯しているか、近々実行に移る可能性が高いということ。


 そんな濃い黒い靄を直視してしまい、恐怖のあまり肩に力が入ってしまったけど、お母様の言う通り国王夫妻の前で、それも社交界デビューで失敗はできないという思いだけで、どうにかその場をやり過ごした。


 挨拶を終えて王族の席から離れたときに、もう一度王族の席の方へ目を向けてみると、二人は遠くから視てもわかるくらいにどす黒い靄を纏っていた。


 これまで見たことないほど濃く広がる靄に、この夜会で何か悪いことが起こるのではないかと不安感に襲われる。


 何か対策をした方が良いのではないかと焦燥感に駆られるけど、それを誰に言えば良いのかわからなかった。

 両親に言ったところで、王族の席にいる相手に何かができるとは思えない。


 お父様は宰相補佐をしているけど、文官だし。伝えるなら武官がいいだろうと思うけど、ただでさえ人付き合いをしていない私にそんな知り合いはいない。


 自分に何かできるとは思えないけれど、誰かには伝えた方が良いだろうかと迷いながらも、人を避けて夜会会場内を両親にくっついて移動する。


 するとその時、王族近くの壁際に立っている近衛騎士が視界に入った。

 先ほどまで黒い靄に気を取られて気づいていなかったけど―――


(わ……!あの人、すっごく良い色をしている!優しい色なのに深みがあって温かい。すごい!あんなに良い色を視たのは初めて。温かい優しい色……きっと素敵な人なんだろうな。見ているだけでほっとして心が温まる気がする。あんな温かい色を持つ人と結婚できたら幸せになれそう……なんて。私に結婚は無理だよね。あ。そうだ!あの人、王族の近くにいるし、あんな良い色の人なら、あの濃い靄のことを言えば何かしてくれそう。だけど……そもそも信じてもらえないよね)


 確かに深い愛情を向けてくれていることが感じられる両親でさえ、この目のことを初めは信じてくれなかった。

 それほど異常な力のことを他人が信じてくれるわけがない。

 ましてや、初対面の娘の話なんて。


 どんなに良い色を持つ人でも、それとこれは別で、ただの変な人だと思われて終わってしまうだろう。

 最悪、追い出されたり、捕らえられたりしまうかも。

 そもそも、自分から話しかけるなんて無理――


 だけど、それからも気になってちらちらとその近衛騎士を目で追ってしまう。

 お父様やお母様の陰に隠れてずっと盗み見ていた。


(はぁ……優しくて温かくて良い色。だけど、一番外側は猛々しくて勇ましくて。……他の騎士は綺麗な女性を見たりして気を緩めているのに、あの人はひたすら周囲を警戒してる。やっぱりあの人なら話を聞いてくれるかも……でも、変な女って思われたくないな……あっ。王太子殿下に話しかけられて笑った!わぁ……素敵……)



 リラの母は、リラが先程から何かを気にして見ていることに気がついていた。

 リラの視線を追って行った先には、王族付きでありこの夜会会場内でも剣帯を許されていることを示す腕章をつけた近衛騎士が立っていた。

 ただ近衛騎士を見ていただけなら「あら?初恋かしら?」と微笑ましく思えたが、リラが気にしていた近衛騎士は睨むように険しい視線を会場に向けている厳つい強面だったので、ぎょっとしてしまう。

 リラは色が視えることで他人の容貌に全く頓着しない娘であることは知っていても、あまりにも厳つい強面だったため、驚いてしまうのは仕方がない。

 護衛対象であろう王太子殿下と会場内に目を向ける姿は若いのに堂々としているが、凛々しいという言葉が可愛く思えるほど険しい表情をした厳つい強面だった。

 一分の隙もない視線を会場内に向けているが、近衛騎士の制服を着ていなければ、危ない人がいると騎士へと通報されるのではないだろうか。

 しかし、娘がこれほどキラキラした目で見ているということは、とても良い心根の青年なのだろうと思い直す――――


 その後も、社交をする両親の陰に隠れるように立ちながらも、ちらちらと件の近衛騎士を盗み見続けていた。

 その時、国王の後ろにいる人の黒い靄が一層濃さを増したことに気がついた。


(ただでさえ濃い靄を纏っていたのに、さらに濃い色になるなんて……)


 顔が見えなくなりそうな程の靄は初めて視た。

 それに、靄が濃さを増すのは罪を犯す瞬間。

 それだけは間違いない。


 人の周りに色が視えても、考えていることやいつ何が起こるのかまでは分からないので、伝えることに躊躇いがあったけど、これはあまりにも……。


(どうしよう……あっ、そうだ!お父様から宰相様へ言ってもらえば良いんだ!お父様なら上手い言い訳を考えて宰相様に伝えてくれるかもしれないし、宰相様なら騎士も動かせるはず!)


 しかし、そう思い至った直後、武装した人たちがホールへと押し入ってきた。


 入口付近にいた貴族たちの悲鳴や叫び声がホールに響き渡る。

 入口からは遠い場所にいた人たちは皆、入口付近に気を取られた。


 私も周囲の人と同じように咄嗟に入り口に注目したけれど、すぐにハッとして王族の席の方を見ると、陛下の後ろに立っていた人物の靄が周囲の人を覆い隠すほどに更に濃さを増して大きく広がっていた。


(あぁ……やっぱり…………)


 すると、あの優しい色が視界の端に飛び込んできた。

 すぐに例の近衛騎士を視線で追うと、外側は先程以上の猛々しい色で覆われ、王族の前に立ちふさがるように立つ姿が目に映る。

 まるで物語の中で聖騎士が闇の王と戦う瞬間のように。闇の中にある希望の光に見えた。 


「リラ!急いで!」

「ぁ、お父様……!」

「二人とも掴まって!逸れないように!急いでここを離れよう」


 私たちは壁際にいたため、庭へ出るための窓から逃げようとする人達によって押し出された。

 けれど……。


「……っ!?」


 人々に押し出される直前に見えたのは、あの近衛騎士が王族の後ろに立っていた人から振り下ろされた剣を受け止めていたところ。

 またすぐに顔の辺りに剣が振り下ろされて、そして、血飛沫が飛んだように見えた―――――



 幸いにも私たちが押し出された窓付近に反乱軍は来ていなかったので、混乱に乗じて屋敷まで戻ってくることができた。


(あの騎士様はどうなっただろう。信じてもらえなくても、伝えればよかった。私が伝えていたら……もっと早く伝えていたら…………私のせいで…………あぁ……どうか、どうか無事でいて)


 王宮のホールにいた貴族達も多くが犠牲になったそうだけど、反乱軍は王都の民にも牙をむいていた。


 王族が抵抗した場合や城の乗っ取りに失敗した場合に、民衆の命を取引材料にするためや見せしめのためだったというが、なんて身勝手で愚かな行動なのだろうか。


 王宮のホールはその日のうちに鎮圧されたが、王都内に広がった反乱軍は抵抗をして鎮圧に三日かかった。

 日数にするとたった三日でも、王都やそこに住む民に大きな被害を出すには充分な日数だった。



 国王陛下や王太子殿下は忠臣であった宰相や他の王族に庇われ、何とか無事だったという。

 だが、宰相や庇った王族は犠牲になり、民にも多くの犠牲を出したことの責任をとり、王位をまだ若い王太子へと譲った。


 ――王弟によるクーデター。

 実際は傀儡の王とするべく王弟をそそのかした総騎士団長が黒幕だった。

 王の器を持たないのに権力を欲した愚かな王弟。

 傀儡の王をたてて、戦乱の世を欲した総騎士団長。

 その総騎士団長と同じ思想を持つ武闘派のベテラン騎士団員達や、唆された一部の若い騎士団員によってもたらされた凶行だった。


 後日、新聞の情報で、民にも大きな犠牲が出たと知った私は、嘘つきと言われても変な女だと思われても、あの騎士様に違和感を訴えればよかった。そうすれば少しは被害を食い止めることができたかもしれない。あの騎士様が傷つかなかったかもしれない。私が、私のせいで、と心底悔やんだ。


 そして、一向に聞こえてこないあの騎士様の安否が知りたくて仕方がなかった。

 毎日新聞を隅々まで確認しても、書いてあるのは大臣クラスの人や犯人の事ばかり――――



 あの夜会の日以降、我が家には夜会や茶会の招待状が多く届き、縁談の申し込みもたくさん届くようになった。

 だけど、全て断り続けた。

 まだ誰かと結婚する気になんてなれなかったし、人の内面も裏面も見えてしまうこの目がある限り、結婚できるとも思えない。

 それに、夜会や茶会はもうこりごりだと思った。


 それまでも周りから病弱だと思われていたし、元々滅多に社交の場に出ていなかったことが幸いし、格上の相手からの招待を断り続けても角が立たないのは救いだった。

 ただ、末端でもない限り、王族主催の夜会にはよほどの理由がなければ行かなければならないのが貴族の暗黙のルール。


「リラ。今年も王宮で夜会が開催される場合にはいかなければならないけど、大丈夫かい?」

「大丈夫。王宮の夜会には行く」


 お父様から心配そうに聞かれたので、努めて明るく答える。

 もっとも、普通なら王族主催であろうとも二度と夜会なんて行きたくなかったけど、この王宮での夜会にだけは行きたかった。

 あの近衛騎士が無事だったのか、この目で確かめるには王宮の夜会に行くしかないから。


 無事だったとしても、もう近衛騎士をしていない可能性もあるし、姿が見えなくて余計悲しくなってしまう可能性もある。

 何しろ、あの時最前線である王族の前に、一番初めに駆け付けたのが彼だったのだから。

 無事ではない可能性の方が高いだろう。


 それでも確かめたかった――――

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