第5話 落胆
コツコツコツコツコツコツコツコツ……
―――靴音が執務室に響く。
執務室内をヴァレリオがウロウロと歩き回っているのだ。
「落ち着いてください。ヴァレリオ様が歩き回ってもリラ様のご到着が早くなるわけではありません」
「そんなことは分かってるけど。座ってる方が落ち着かない気分になるんだ」
今日は、リラが初めてクローデル公爵家を訪ねてくる。
あれから週に一度はサランジェ伯爵家に行っているが、こちらの屋敷へ招待するのは今回が初めてなのでどうにも落ち着かない気分になる。
騎士団長になってからは全国各地から色々な報告があげられるが、国境周辺にまだ残っている少数民族によって国境沿いの村が襲撃されたと報告を受けた時でも、もっと落ち着いていられたのに。
自分のテリトリーに人を招くのはこんなにも緊張するものなのか。
リラはこの家を気に入ってくれるだろうか。
結婚したらこの屋敷で過ごす時間は俺よりも長くなるから、リラが直して欲しい所がないか今のうちに聞いておいた方がいいな。
門番をしている使用人から到着の知らせが来たので、急いで外へ迎えに行く。
玄関前に停められた馬車の扉を御者が開けたので、近づいて馬車の中に向かって手を差し出すと白く嫋やかな手がそっと重ねられた。
少しでも力を入れて握ったら折れてしまいそうなほど指が細い。
それなのに、骨っぽい訳でもなく女性らしい指先で、年頃の貴族令嬢にしては意外にもきっちりと短く揃えられた小さな爪まで愛らしく見える。
水色の清楚なドレスを着たリラが馬車から降りてきて、微笑みを向けてくれたと思ったらすぐにぎょっとした顔をした。
何か変なところがあっただろうかとリラが見ている後方へ視線をむけると、そこには満面の笑みを浮かべた使用人たちが勢揃いして出迎えに出てきていた。
そんな指示は出していないのに。いつの間に。
絶対に一目見たいという好奇心で出てきたに違いない。
リラにバレない様に睨むと、数名は慌てて目を逸らしたが大多数は気にも止めず、それ程効果がなかった。
使用人は元騎士たちばかりなので、いまだに皆体を鍛えていて体格も良い。厳つい顔立ちの者も少なくない。騎士服を着ていなくても勢揃いすると圧迫感があるのだ。
これではリラがぎょっとしても致し方ないだろう。
「「「「リラお嬢様!クローデル公爵家へようこそ!」」」」
クローデル公爵家の敷地内に野太い声が響いた。
リラの大きな瞳が一層大きく見開かれる。
(怯えたらどうする!何してくれてるんだおまえたち!?)
「リ、リラ。こいつらは使用人で怖くはないからな」
俺の心配を他所に、こらえきれないといった笑い声が響いた。
「ふっ、ふふ、ふふふっ。みなさんありがとうございます。歓迎してくれてとっても嬉しい。ふふっ」
(可愛い……なんて愛らしいんだ)
鈴を転がしたような声と可憐な笑顔に、使用人たちもぽーっと頬を染めてリラを見ていた。
屈強なおっさんたちが頬を染めても可愛くない。早く散ってくれ。
「ヴァレリオ様。ご案内を」
リラが笑う様子を使用人達と同じように釘付けになって見ていた俺を、フィリオが一歩前に出て促してくる。
ハッとして室内へ案内しようと思ったが、フィリオを見るリラの表情にギクリとしてしまった。
ついさっきまでクスクス楽しそうに笑っていたのに、リラは少しだけ驚いたような表情でフィリオの顔を凝視していたのだ。
リラのその様子を見て、落胆してしまった。
フィリオの顔を見た途端、その端麗な容姿に釘付けになったり、ぽーっとなる女性は数えきれないほど見てきた。
だから、リラを我が家に招待すると決めたとき、その可能性を全く考えなかった訳ではない。
しかし、リラは俺の事を怖がらないし『容姿などまったく気にしない』と言っていたから、どこかで期待していたのかもしれない。
フィリオを見ても平気な事を。
けど、実際はフィリオの顔を凝視しているではないか。
(やっぱり顔が良い男の前では女は誰でもこうなるのか。リラも同じか………………)
「ヴァレリオ様?ご案内を」
「あぁ……―――リラ。中へ案内しよう」
「あ、……あれ?」
「何か言ったか?」
「ううん、何でもない」
リラも他の女性と同じくフィリオを凝視しているのを見てしまい、落胆を隠せないまま昼食を食べた。
「これも、とても美味しい!」
「そうか…口に合ったなら良かった」
会話を弾ませる気になれなかった。
リラが色々話しかけてくれたが、途切れ途切れで会話が続かない。続ける気持ちになれない。
途中、何度もリラが気遣わし気にこちらを見ている気はしたが、気付かないふりをしてしまった。
「では、また来週」
リラを乗せた馬車が門を出ていくまで見送る。
リラが来る前は我が家を気に入ってくれるだろうかとソワソワしていた気持ちが嘘のようにしぼんで、心の中には冷たい風が吹いているようだった。
なんとかいつも通り振舞ったつもりだったが、いつもと違う様子はバレてしまっていたように思う。
(期待しすぎていたんだ。期待しなければ傷つくことはないと分かっていたはずなのに…………)
俺を怖がらないリラが、俺を受け入れてくれていると思って浮かれていたんだ。
当初はリラに実は身分違いの恋人がいても、公爵夫人としての役目を果たしてくれさえすればいいと思っていたくらいなのに。
目の前で別の男に見惚れる姿は見たくなかった。
裏切られた気分になるなんて、いつのまにか俺はこんなにもリラのことを……―――
◇
夕方、執務室で机に頬杖をついてぼーっとしていると、フィリオが入って来た。
フィリオが何かをしたわけではないが、なんとなく今はフィリオの顔を見たくない。
「ちょっと今はひとりになりたいんだけど」
「申し訳ございません。しかし、ご様子がおかしかったので。ヴァレリオ様、どうなさったのですか?」
「どう、とは?」
「お元気がないように思います。リラ様がいらっしゃる前はあんなに楽しみにしていらしたのに」
「はぁ……。俺の目の前でお前に見惚れてたんだぞ。元気いっぱいでいたらおかしいだろ」
フィリオはキョトンとし「見惚れていた?誰がですか?」と心底わかっていない様子で言う。少し視線を上にして、そんな時があったかと考えているらしい。
(こいつ、もしかして自分の顔が良いってことに自覚がないのか?)
「リラだよ。見惚れてただろ、お前に」
「リラ様ですか?いえ、あれは見惚れていたのではないと思います」
「じゃあ何なんだよ。よくご令嬢たちが初めてお前を見た時に見せる反応と同じだったじゃないか」
「確かに驚いたように見えましたね。しかし、俺に見惚れるご令嬢は、驚いたような表情をしてもすぐにその目に色や媚を浮かべますが、リラ様の目にそれは浮かんでいませんでした。ですからあれは純粋に何かに驚いているようでした。驚かれるような心当たりはありませんが」
(やっぱり顔が良い自覚はあるのか、流石に。……驚いてただけってなんでだよ。何に驚くんだよ。あまりの格好良さにか?それはそれで嫌だ)
「それに、あの後はヴァレリオ様の事しか見ていないご様子でした。何故か素っ気なくなったヴァレリオ様との雰囲気を良くしようと必死なご様子で、俺の事なんて見向きもしていませんでしたよ」
「……そうなのか?俺はそんなに態度に出てたか?」
「上手く隠されていたと思います。俺がヴァレリオ様の様子がいつもと少し違う事に気付いたのは、屋敷内に入ってすぐからリラ様がヴァレリオ様のことをしきりに気にされていたからですから。そうでなければ気付かない程度で。リラ様のご様子にはお気付きになりませんでしたか?馬車までお送りする際も、リラ様は『何かしてしまったかしら』と呟きになられて、肩を落としていた様子でしたが」
「それは、気付かなかった」
気遣わしげなのは分かっていたけど、そんなにも必死になっていたのか?
フィリオでさえ気付かない位だったと言うのに、リラは俺の様子が変な事を直ぐに気付いたのか。
「ヴァレリオ様が周りが見えていないとは珍しい。そもそも、ヴァレリオ様のお相手として、リラ様ならばと思って縁談の申し込み先を選んだのは俺ですよ。俺を見てすぐに目の色を変えるような令嬢は絶対に選びません」
「フィリオはリラのことを以前から知っていたのか?」
「騎士をしていた時に一度だけ見かけました。クーデターの日に……。その後は噂でしか聞いた事がありませんでしたが。その程度です」
「クーデターの日に?」
「はい。あの年はデビュタントだったようです。珍しく熱心にヴァレリオ様を見ている若いご令嬢がいたので、覚えていました」
珍しくとか、さり気なく失礼だな―――しかし、見られていたとは気が付かなかった。もしかして、前にリラが『私には素敵に見えます』と言ったのは、見え透いたお世辞ではなかったのか?
いや、まさかな。
「侍女の採用面接でまた来週いらっしゃるのでしたよね。その際に様子や態度をご覧になってはいかがですか?俺に見惚れていたなどヴァレリオ様の誤解だと分かるはずです」
「そうだな。お前がそこまで言うならそうしてみよう」
俺は自分で思っていた以上に、縁談を断られ続けたことに傷ついていたのかもしれない。
女にモテない事をコンプレックスに感じていたんだな。卑屈に考えるのはやめたい。
どちらにしてもこのままいけば結婚するんだ。
使用人と駆け落ちするのは醜聞になるからやめて欲しいが、見惚れていたのだとしても、フィリオの事は目の保養として割り切ってもらえるなら良いだろう。
それを俺自身受け入れられるかどうかは分からないが……。
それに、本当に何かに驚いただけなら、今後フィリオを気にする様子はないはずだ。
今日は落胆のあまりリラの様子を見る余裕なんてなかったけど、来週は気を付けてみるようにしよう。
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