第40話 夕輝の決断

 みんなと別れたあとひとりきりの自宅で、部屋の電気もつけずにギターの前に座り込む。


「……やっぱり、こうなるよね。」


 こう、というのはバンド活動のことだ。予想はできていた。本当のことをいうと自分の中でもそうした方がいいんじゃないかと思う心がないわけではない。


 それでも受け入れられない忌避感がある。結局、明音に会って立ち直り乗り越えられた気でいても星あかりを見つけただけの自分はいまだ夜を超えられていない。つらい過去をまだ呑み込めない。


「どうすればいいと思う?」


 よく手入れされた青いアコースティックギター。当然何も言葉は返ってこない。ただ静かに夜のわずかな光を反射してキラキラと切なく反射光が揺らぐだけ。


 ギターを手に取り磨く。何度も繰り返してきた。ここまでは大丈夫。触れるのだって問題はないしむしろ手に馴染むこの重さが心地よく安心すらする。だけど……


「…………。ぅ……。」


 弦に指を伸ばすと息が荒くなる。

呼吸が苦しい。脳裏にあの日のことが蘇る。

痛い。心が痛い。


どうして?なんで?


置いていかないで……。



俺はまだ…………。


 弦を弾くことだけができない。音を奏でられない。涙が溢れて止まらなくなる。


「…………あれ……?」


 ただ、今日は少しだけ違った。

いつもならあの日のお姉ちゃんの、みんなの泣いている顔が浮かんで悔しくて仕方なくてどうしようもない絶望と全てを失ったような虚無感が溢れ出すのに、その記憶の裏側に少しだけお姉ちゃんの笑う顔が見えた。

 あの日のお姉ちゃんの顔が少しだけ鮮明になった。お姉ちゃんは泣いてたけど、笑っていた……?


 何かが掴めるかもしれないと思ってギターを抱えたままスマホを取り出す。動画サイトを開いてある動画を再生する。


【ブッシュ・ド・ノエル】ゆうきの歌


 この世界で一番聴いた歌。大好きな歌。最も身近な大切な歌。


 お姉ちゃんが……ブッシュ・ド・ノエルのリーダー明星若葉あけほしわかばが初めて作った曲だ。


『その瞳が勇気をくれた 暮れの宵闇 燃える街

ぼくの答えは そうさ 君の見つめる先にある 

いこう 君が望むならやってみせるよ』


 その歌詞を聴いた瞬間、頭の中に夕陽を浴びて佇む明音の顔が浮かんだ。夕陽よりも眩しく輝き明日を見つめて瞳を輝かせる顔が。


「……わかった。やってみるよ。」


 自ずと答えは決まった。

初めからこうなるような気もしていた。


「見ててね。必ず届けてみせるから。」


 ギターをスタンドに丁寧に戻す。


「そしたら、また……。」


 そう言い残して自室へと足を向ける。やると決めたからにはこれからの計画を立てなくては。まずは文化祭、体育館ステージに立つための準備をしよう。



 日が明けて翌日。来途が加わったので改めて本格的に活動を開始するために今日は全員にうちに来てもらった。


「なんだか久しぶりな気がするね。」


「実は私は結構来てたけどね。歌作ってたから。」


 そう、紡ちゃんは実際に一度来たきりだけど実は明音は来途に聴かせる曲作りの過程で歌ってもらったり感想をもらう為に何度か呼び出していた。


「夕輝、お前自宅に女子を何度も連れ込んでたってことか……?」


 来途が蔑むような目でそう言い放つ。やめろ、事実を言語化するな。目を逸らしていたのに急に生々しく感じてしまうから。誓って何もしていないから……。


「……今日集まってもらったのは今後の方針を決めたから。計画も立てたから説明するよ。」


 いたたまれない空気を散らしたくて本題を切り出した。


「え、もう?昨日の今日で?」


「さ、さすが夕輝くん……だね。」


「なんていうか、こわいな。」


 3人が口々に驚きを口にする。伝わってくる感情の半分くらいは明らかに引きが入っている。頑張っただけなのにこの扱いだ。


「まず、一番大事なところだけど……」


 3人が息を飲んで俺の言葉を待つ。


「バンドは結成しよう。改めて考えたけどやっぱりその方が確実だし。メンバー探しは3日くらい待ってほしいかな。情報収集して目星を付けたいから。まぁ、ある程度探してみたいところはもう決まってるんだけどね。」


「ほ、本当?いいの……?無理、してない?」


 明音が過剰すぎるくらいに心配してくる。提案したのは明音なのに……。


「大丈夫だよ。それから、バンドのギターは明音にお願いするから。」


「え、わ、私!?……あ、いや任せて!!もう、バッチリだよ!!」


「本当に大丈夫なのか?明音は最近弾き始めたって言ってただろ。さすがに1ヶ月くらいで人に聞かせられるくらいになるのは無理があると思うけど。」


 あわあわと忙しい明音を他所に来途は至極真っ当な意見を述べる。


「そういえば、明音ちゃんのギター聞かせてもらったことがないよね。どれくらい弾けるのかな?」


 紡ちゃんの言葉を待ってましたとばかりに準備していたギターを取り出して明音に渡す。赤色に輝く未使用のギターだ。

 明音は躊躇いつつもギターを手渡され少しもじもじと逡巡してから覚悟を決めたようにギターを構え手を添える。


「い、いくよ!聞いてね……!」


 明音のギターが響く。その音は……その音は、一音一音ぎこちなく間を置いて続く正真正銘の初心者のそれだった。


「え、えへへ……。やっぱり難しいね……!」


 とはいえ、正確にコードは押えられているし音もしっかり和音で鳴っている。辿たどしくはあるけど1ヶ月の間で俺に協力して歌を作ったり奔走しながらここまで一人で上達したのなら上出来と言ってもいい。明音にはギターの才能があるかもしれない。


「思ったより全然上手く弾けてるよ。ただ、ちゃんと教えてくれる人は必要そうだけど。」


「その教えてくれる人には心当たりでも?」


 来途が問い掛ける。


「うん。明音には俺が教える。」


「え!?」


 3人が驚きの声をあげる。中でも明音の声は一際大きかった。


「で、でも……夕輝はギター弾けるの?」


「いや、弾けはしない……かな。今は。でも、教えるくらいならなんとかなるよ。」


「弾けないのに教えられるなんてことあるか?弾いたことは?」


 当然の疑問だ。ただ、こればっかりは信じてもらうしかない。


「もちろん、昔は弾けたけど今は……まぁ事情があるんだよ。」


 苦し紛れの弁解をするけど来途は訝しげな目をしたまま。当然の反応だった。これから先の作戦に身を任せると来途は言ってくれたんだからいい加減なことはできない。

 ただ、これに関しては本当に信じてもらうしかない。


「大丈夫。私は信じるよ。私にギターを教えて、夕輝。」


 漂う微妙な空気を明音が切り裂いた。来途はまだ疑いが残ったような顔をしていたけどすぐに「任せるって言ったもんな。」と受け入れてくれた。紡ちゃんはそんな光景を見て楽しそうに笑っていた。


 そんなこともありながらとりあえず方針が決まったことで今日は解散になった。

 来途が加わり本格的に歌を作ったり計画を立てたり話し合いや相談、報告が必要になるということもあり改めて活動場所は屋上ではなく俺の家が中心になりそうだ。3人には合鍵を渡していつでも入れるようにした。殺風景で最小限の物しかない部屋だから私物の持ち込みも許可した。これからは少しずつこの部屋も賑やかになっていくのかもしれない。


「明音、俺のレッスンは厳しいよ?」


「お、お手柔らかに……!」


 紡ちゃんと来途を見送ってから明音は居残りで、俺とマンツーマンのギターレッスンを始める。


 すっかり日が暮れて家を出る頃には明音は燃え尽きて死にそうな顔をしていたけど夜の街を家まで送る道中ではすっかり元気な明音に戻っていて、心が折れてしまうことはなさそうで安心した。


 長いようであっという間の激動の梅雨は明けて、もう夏が始まろうとしていた。

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