第19話 濡れた髪
濡れた髪のままリビングに行くと、そこに見たことのない女性が立っていた。胸元まで露出したキャミソールのような服に薄いニットのカーディガンを羽織っている。髪の毛の長さは肩ほどまでで、丁寧にウェーブが掛けられていた。彼女はおれに気付いたが、取り立てて大きなリアクションはない。感情を押し殺したような表情で、けれど目の横に涙が伝った跡がある。なんとなく千桜の面影がある。若く見えるが、歳を重ねた余裕さのような雰囲気を纏っている。彼女は、千桜の母親だと悟った。
「こんなイケメン、私の知り合いにいたっけ」と、やや気だるそうに彼女が言う。「キミ、だれ?」
「えっと……。千桜さんの……」
「友達にしてはちょっと年齢が」
「千桜さんの、お母さんですか?」
「私? うん。そう」千桜の母親は対面式のキッチンの裏に回り、グラスとジンとトニックウォーターを並べた。「今日は帰らない予定だったんだけどねー。ちょっとトラブルがあって」
冷蔵庫から氷を取り出してグラスに入れ、カランカランと甲高い音が響く。赤いラベルのビンに入ったジンと、緑のラベルが貼られたペットボトルのトニックウォーターをグラスの中で混ぜている。ジントニックだ。
「ちーちゃんは?」
「今、風呂です……」
「あなたも一緒に入ってたの?」
千桜の母親の口調は穏やかで、包み込んでくる。
「えっと……」
「ちーちゃん、まだ中学生だけど。もうしたの? これからするの?」
一体なにを、という質問は野暮だろう。まさかゲームや映画鑑賞の話などではないはずだ。おれが答えに詰まっていると、彼女はキッチンから出ておれの方に近づいてきた。
「警察の人が言ってた、横浜の子?」
ウソをついても仕方ないと思った。コクリと頷く。
「そう」おれの目の前にまで来た彼女は、手に持ったグラスを口に運び、わずかに傾けてから。「一応、お礼は言わなきゃね。ちーちゃんを守ってくれててありがとう」
「い、いえ。むしろ迷惑をかけてしまいました」
「そうだね。感謝はしてるけど、でも、中学生に手を出したらダメ」
「いや、おれは」
「言わなくてもわかるから」
その大人の女性はおれより身長が低かったが、どういうわけか上から見下ろされているような感覚があった。彼女のその視線には、とろんとした甘さがにじんでいる。視線を逸らそうにも、切なそうな肩、物憂げな仙骨、千桜よりも豊満な胸の谷間がどうしても目についてしまう。
「だけど、オトナ相手ならもうそれは女の側も自己責任」彼女がずいと寄ってくる。「まぁ、せっかく来たんだし。とりあえずお酒に付き合ってよ」
彼女が飲みかけのグラスをおれに差し出してくる。女性の良い匂いがするが、けれど千桜のそれとは違い、そういう香水なのだとわかる。計算しつくされた意図的かつ強力な良い匂いだ。
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