遠い宴会

由永 明

遠い宴会

温泉旅館に行ったときの話です。


昔からある有名な温泉地に行くことにしました。日本中に温泉はたくさんあります。どこに行ってもそれなりに楽しいと思いますが、今回は奥まった場所にある温泉を選びました。静かな場所で過ごしたかったからです。


小さな最寄りの駅からは、一日に数本だけ走っているバスに揺られて30分くらいかかったでしょうか。地元の人は車を使うから、バスはあまり利用されないのだと思います。私たちだけを乗せたバスが温泉街の入り口に着きました。上を見上げると「ようこそ」と書かれた錆色(さびいろ)のアーチが出迎えてくれました。街並みには細い道をはさんで、古びた木造旅館の建物が並んでいます。人通りはほとんどなく、破れかけたポスターには私が知らない女優さんが笑ってる。昔流行った商品の看板が色あせてそちこちに立てられています。


曇り空からは今にも雨が落ちてきそう。冷たい風が都会から離れて遠くに来たんだな、という思いをおこさせる。足元では落ち葉がカサカサ音を立てて舞っています。遠くの山は紅葉の季節も終わって、葉の落ちた木々の枝が山肌を覆っています。もう少したつと雪に覆われるのでしょう。そんな土地で暮らす人々は、山も街も白い雪に閉ざされる前の秋の名残惜しさを感じているのでしょうか。もうすぐ冬がくるんだなあ。


今日お世話になる旅館では、一人の年老いてはいるけれど、明るく元気なおかみさんが出迎えてくれました。街並みに建っているほかの旅館と同じように、古びた作りの建物です。木で作られた下駄箱から、使い古されたスリッパが並べられました。

「今日は宴会が入って、大勢のお客さんが泊まる予定だから、少しうるさいかもしれません。すいませんね~」


私の部屋は二階にある角部屋。玄関前の急な階段を上ると小さな踊り場があります。そこから左手にある階段を上がると二階のスペースに出ます。窓のない薄暗い踊り場には、左右に白い蛍光灯に照らされたガラスケースが並んでいます。ケースの中には古い日本人形、こけし、木彫りの像などが、埃をかぶったまま並んでいる。カビ臭さが鼻をつく。


そこから廊下は二手に分かれて続いています。一方に歩いて行ってみると、シーンと静かな長い廊下が続いていて、片側にふすまで出入りできる部屋がいくつも並んでいます。まだ明るい時間なのに、窓のない薄暗い廊下には電灯がともっている。


引き返してもう一方の廊下をたどって、数段の階段を上ります。そこが今日泊まる部屋です。そこからまた左に折れる廊下が続き、小さな階段の上にいくつかの部屋があります。迷路のような作りを見ながら、昔は大きくて立派な旅館だったんだろうなと思いました。


部屋は和風旅館の造りで、畳敷きにちゃぶ台が置いてあります。色あせたカーテンの穴に目が留まる。テレビや冷蔵庫はないのね。今日は静かさを求めてきたので問題ありません。窓の外は相変わらず曇り空。暗くなりかけた夕方の人通りはありません。


夕食は一階の広間の横にある食堂に案内されました。お客さんは私たちだけ。仕出し弁当のような内容のものが、大きな黒いお盆に盛りつけられているのが寒々しく感じる。小さいお弁当箱みたいなものに盛ってくれたほうがおいしそうに見えるのに。でも私は豪華な夕食を期待してたわけじゃないから、これで十分です。


部屋に帰る途中、二階の踊り場にあるガラスケースの前を通ります。お人形たちのくすんだガラスの目、陶器の色の剥げた目、木彫りのうつろな目、たくさんの目が私を見ているような気がして、足早に通り過ぎました。ただの古いお人形にすぎないと自分に言い聞かせたけれど、心臓がドキドキしてる。


あたりが暗くなるころ、そろそろ宴会が始まるのでしょうか。でも、相変わらず旅館の中は静まり返っています。気になって、また廊下に出てみました。例の踊り場からもう一本の廊下づたいに歩いてみます。薄暗い廊下から、部屋の中の賑わいがほんのかすかな物音として聞こえてきたような気がする。気がするといったのは、とても小さなざわめきたっだからです。すぐそばの部屋ではなくて、とても遠くから響いてくるような物音。でも、旅館の廊下はここで行き止まり。その先に部屋はありません。


一階に降りてみました。ここも静まり返っていて誰もいません。宴会場にお料理やお酒を運んでいる気配も全くありません。玄関にも私たちの靴しか置いてない。大勢のお客さんって本当かしら・・・



次の日、いつも通りの朝がきました。静かな旅館の朝です。朝食をいただくのは私たちだけ。今日は晴れ間がのぞく空の下、バス停に向かいます。


私が聞いた遠い宴会の音はなんだったのでしょうか。おかみさんの言った大勢のお客さんが来ているというのは本当だったのでしょうか。あの旅館は、人間ではないものたちが集まる場所だったのでしょうか。今でも本当のことはわかりません。
















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遠い宴会 由永 明 @yoshinaga2024

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