容疑者四&五・八田美鈴&甚大

 調べて見ると、宿泊客の中に「八田美鈴はったみれい甚大じんだい」と言う名前があった。これが八田親子のようだ。誠一が作成した容疑者リストには八田楓はったかえでと言う名前はあったが、二人の名前はなかった。秋香の過去を知らなかったのか、或いは知らない振りをしただけかもしれない。

 仲居に呼んでもらうと、小半時、待たされた。

 相変わらず、異様な静けさだ。宿泊客は皆、部屋で息を潜めているかのようだ。柊と茂木は無言で八田親子が来るのを待っていたが、唐突に壁に掛けてあった柱時計がボンボンと音を立て始めた。

「おわっ!」と悲鳴を上げて、柊が柱時計を見ると、十時を指していた。時間が経つのを忘れて事情聴取を行ってきたが、まだ夕方のはずだ。日頃、この部屋は使用されていないためか、時間が合っていなかった。

「何だ。時間が無茶苦茶だな」と柊が言った時、隣の主室からもボンボンと音が鳴り始めた。

「どうなっているんだ?」柊の言葉に、茂木は腰を上げると、隣の部屋を見に行った。

 隣の部屋の壁にも、同じような柱時計が掛かっていた。そして、奇妙なことに、十時を指していた。

 その時、八田親子が現れた。

 派手で化粧の濃い女性と小生意気な息子を想像していたのだが、「何かご用事でしょうか?」と現れたのは、服装も外見も地味な中年女性と、俯き加減で目を合わせようとしない小動物のような若い男だった。

「八田でございます」きちんと正座をして挨拶したところに、育ちの良さが垣間見えた。

 美鈴は五十前後、小柄で顔も小さく、全てが小さくまとまっている。服装は薄いベージュの上下で統一されており、目立つことが嫌いなようだ。

 甚大は二十代だろう。美鈴の横に腰を降ろすと、直ぐにポケットから携帯電話を取り出して、いじり始めた。(こんなところに呼びつけられて迷惑だ)という感情が表に出ている。傲慢さは父親譲り、臆病さは母親譲りと言ったところだ。

 真冬だと言うのにTシャツ一枚だ。旅館内は暖房が効いているが、恐らく、日頃から滅多に出歩くことがないのだろう。年中、薄着でいられる生活をしているということだ。

 柊が口を切る。「村はずれの洋館で、東城秋香さんが殺害されたことは、既にお聞き及びですよね?」

「存じ上げております。わたくしどもを呼びに来た仲居さんから教えて頂きました」

 また仲居だ。随分、おしゃべりな仲居がいるようだ。東城秋香が殺害された事件で、柊たち刑事が旅館の一室で事情聴取を行っていることは、旅館中に知れ渡っているに違いない。(まあ、手間が省けて丁度、良い)とあきらめるしかなかった。

「お子さんはお一人ですか?」

「いいえ、この子の上に楓という姉がおります」

 東城誠一が作成したリストにあった人物だ。

「今回はご一緒ではないのですか?」

「あの子は働いておりますので、簡単に休暇を取ることができませんのよ」

 裏を返せば、美鈴と甚大は働いていないということだ。

「そうですか? 楓さんは東城社長を恨んでいましたか?」単刀直入だ。誠一が作ったリストに名前があったので、確かめておきたかった。

「えっ!」と美鈴はわざとらしく驚いてみせてから、「そんなことはございません。確かに、女の子ですから、主人と東城さんとの間の、その、関係について、よくは思っていなかったと思います。東城さんのことを嫌っていたかもしれません。ですが、恨むまでは・・・まさか、あの子に限って・・・」

「ほ、ほう~恨んでいたかもしれない訳ですね。まあ、こちらにいなかったということが証明されれば、容疑の対象から外れます」

「はい。そうですわ。あの子はこちらには参っておりません!」

「それは、こちらで確認を取ります。ところで、昨晩、八時から十一時の間、どちらにいらっしゃいましたか?」先ずはアリバイを確認だ。だが、美鈴からは、「二人共、部屋にいた」という証言しか得られなかった。

「さて、八田さん。亡くなられたご主人と東城秋香さんは深い関係にあったそうですね。男女の関係です。不倫関係ですね」相変わらず、遠慮がないし、くどい。

「はい」と美鈴は小声で答えると俯いた。

 ひざの上でハンカチを弄んでいる。

「そのことで、あなたは東城社長を恨んでいたのではありませんか?」

「わたくしがですか!? ・・・それは恨んでいなかったと言えば嘘になるかもしれません。ですが、わたくしに至らないところがあったから、主人も、その、浮気に走ったのだと思いますし・・・主人はあんな性格でしたから、わたくしの言うことになど、耳を傾けませんでしたし・・・東城さんをお恨みしても仕方がないとあきらめておりました」

 随分と亭主関白な家庭だったようだ。“政界のあらくれ者”と呼ばれた八田正剛はったまさたけらしい。

「東城社長を恨んではいなかった? そうですか。噂では、ご主人の会社は東城社長に乗っ取られて、あなた方親子は裸同然で放り出されたとお聞きしました。それでも東城社長を恨んでいなかったと言うのですか?」

「それは違います」意外にはっきりとした口調で美鈴が答えた。

「違う? 何が違うのです?」

「わたくしも詳しいことは存じません。ですが、主人の会社を乗っ取ろうとしたのは、別の方です。会社は倒産、世田谷の自宅も担保に入っていて、わたくしどもは家を追い出されるところでした。そこを救ってくれたのが東城さんでした」

「救った!? 東城社長があなた方を救ったと言うのですか?」

「はい。大恩ある主人の会社が人手に渡るのは忍びないとおっしゃられて、会社の借金を肩代わりして頂きました。お陰で、わたくしどもも、世田谷の自宅から追い出されることなく、済みました。今でも、陰ながらわたくしどもの生活を援助して頂いています。東城さんが亡くなられて、これからどうしたら良いのか分からなくて、正直、途方に暮れています」

 容疑者どころか、秋香の死により、不利益を蒙っているという。

「ううむ・・・」と柊も呻くしかなかった。

「何故、こんな辺鄙な温泉にいらっしゃったのですか?」という質問に、美鈴は「わたくしどもも、生きて行かなければなりませんから――」と答えた。

 どうやら、八田親子は秋香に寄生して生きているようだ。

 甚大は大学を卒業後、定職につかず、自宅に引き篭もってゲームばかりしている。美鈴も生活能力は皆無だ。生まれてこのかた働いたことがない。実家は裕福だったが、既に代替わりして兄のものとなっており、援助は期待できない。今までどおりの生活が出来ているのは、全て秋香のお陰だった。

「年に一度、こうして温泉に誘って頂きます。正直、出歩くのは、あまり好きではございませんが、東城さんとお会いして、お話して、その、色々、聞いて頂きます。日頃は、なかなかお会いする機会がございませんでしょう。

 東城さんは何時も、わたくしどもの願いを快く、お聞き届け下さいますのよ。この子も、人嫌いなのですが、東城さんとだけは気が合うようです」美鈴はそう言って、隣の甚大の背中に手を回した。

 甚大が「よせよ」と、その手を振り払う。

 要は二人して金の無心をしに来たと言うことだ。秋香は二人に言われた額を気前良く支払っていたのだ。

「ふん。なるほど、東城社長は金のなる木だったという訳ですね。それで、今回も東城社長とは会ったのですか?」身も蓋ない言い方だ。

「そんな。いいえ。本当でしたら、昨夜、お会いすることになっていましたのよ。何時もこちらに到着されて最初にお会いするのが、わたくしどもでしたから。それが、突然、頭痛がすると言うことで、今日に変更になってしまいましたの」

「ほ、ほう~それは面白い。で、誰から連絡があったのですか?」

「旦那さんですよ。申し訳ありませんって、丁寧に謝っておられました」そんなことは一言も誠一は言っていなかった。

「約束をドタキャンされて、頭に来たのではありませんか? こんな辺鄙な山奥に呼びつけられた上に、約束までドタキャンされた。ここに、何日も閉じ込められては適わない。さっさと金の無心を済ませて、帰りたかった。どうです?」

 美鈴は俯いた。言葉は悪いが、図星だろう。暫く押し黙っていたが、やがて、「わたくしどもを疑うよりも、あの方のお子さんからお話を聞かれた方が良いと思います」と口惜しそうに言った。

「あの方の子?あの方の子と言うと、東城社長とご主人との間に出来たという隠し子のことでしょうか?」単刀直入だ。

「昨年、こちらに呼んで頂いた折に、お屋敷であの方のお子さんとすれ違いました。お母様とお会いになられたのでしょうね。とても、ご立腹されていた様子で、その、随分と乱暴な台詞をおっしゃられていました」

「乱暴は台詞とは――?」柊の問いに、「そんなこと、わたくしの口から・・・」と美鈴が口篭った。すると、隣に座っていた甚大が携帯電話から顔を上げて吐き捨てるように言った。「ふざんけんなよ、クソばばあ! お前みたいなやつは、母親でも何でもねえ。ぶっ殺してやる~!とまあ、そんなことを言っていたっけな」

「ほ、ほう~それは面白い。東城さんは実の息子に殺してやると脅されていた訳ですね」

「ええ、まあ」美鈴は渋々といった様子で頷いた。

 態度は殊勝だが、心の中で(ざまを見ろ)と思っているであろうことは一目で分かった。茂木は美鈴が俯きながら、微かに笑ったのを見逃さなかった。

「そのご主人と東城社長との隠し子の名前は何と言うのですか?」

「石田という名前だったと思います。確か、石田正春いしだまさはる」誠一が作成した容疑者リストに八田親子の名前はなかったが、石田正春の名前はあった。

「どこに住んでいるのか分かりますか?」

「さあ、住まいは存じませんが、今はここに居ますよ」

「ここにいる!?」

「はい。我々と同様、この旅館に宿泊しています」

 誠一が言った通り、東城秋香に恨みを持つものが、今、この村に集結している。

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