第10話 09 出港前夜。ナポレオンを撃退した「ヴィクトリー」と「ネルソン提督」

 ミカサに積み込んだ改修済みの通信機のテストは夕食時間ギリギリまでかかった。

 ミカサのブリッジには一番年上のアンが残り、ミヒャエルがビスマルクに、ヤヨイは遅れて来たバツというわけでエンタープライズとヴィクトリー2艦分をチェックする羽目になった。

 エンタープライズを降りて4番艦のヴィクトリーに上るころには陽はとっぷりと暮れ、給炭塔がビスマルクの舷側からレールの上を移動してエンタープライズの腹の中に石炭を流し込もうとしていた。

「面倒なことにつき合わせちゃって、ごめんなさいね」

 夕食時間をとっくに過ぎているのについてきてくれた若い水兵。名前はジムと言ったが歳はヤヨイよりも2つは下なんじゃないかと思われた。金髪を短くクリューカットした灰色の瞳の2等水兵に、士官らしくない、平易な言葉で詫びた。

「いいえ。任務ですからお気になさらないでください」

 水兵からは緊張した面持ちで通り一遍の返事がきた。これから起こるであろう事態を考えれば一人でも多く士官や下士官たちのシンパシーを得ていた方がいい。そのための世辞だったが、海軍というところは陸軍に比べてちょっとカタいところだな、という印象を受けた。先任士官という男にしてからが、そうだった。


 その大柄な海曹長は不愛想な顔でヤヨイを見下ろし、形だけは完璧な敬礼をした。

「艦内のわからないことは全て彼に訊くといい。彼はこのミカサの主だからな。じゃあフレディー、後は頼んだぞ」

 ヤヨイを紹介してくれた少佐は素っ気なくそう言ってブリッジを出て行ってしまった。

 後には熊のように大きな海曹長が残った。彼は不愛想を通り越して不機嫌にさえ見える態度で、言った。

「マーグレット少尉とユンゲ少尉は今この上のマストでアンテナとやらの調整をされています。マーグレット少尉はあなたと同室になりますから案内をしてもらって下さい。シャワーは奇数日が男性偶数日が女性です。夕食は1800から2000までの間に士官食堂でお願いします。あなた方のために通信科を編成し4名の水兵をつけてあります。艦内の細かい不明点や規則などは彼らにでもお尋ねください。では、これで」

 それだけ言うとバカ丁寧な敬礼を残してサッサと消えてしまった。素っ気なさ、不愛想もここに極まれり、だ。ミカサの主とやらがこれでは先が思いやられると暗澹たる気持ちになったのを思い出した。


 ヴィクトリーのタラップの下で乗艦する者をチェックしている女性下士官にエンタープライズでしたのと同じ申告をした。彼女のキリリとした敬礼を受けて、

「ヴァインライヒ少尉です。ミカサの通信機の修理が終わったのでヴィクトリー搭載の通信機と通信試験を行いたく、乗艦を求めます」

「乗艦を許可します、少尉どの!」

「ありがとうございます」

 女性の伍長が脇に退いてタラップの入り口を空けてくれた。ヤヨイとジムは上甲板に駆けあがっていった。

「なんだか、エンタープライズよりもミカサよりも、キビキビした印象ね」

 あの不愛想で不機嫌そうな先任士官と会っていたから、なおさらそう思うのかもしれない。

「自分にはわかりかねます」

 やはりまだヤヨイを警戒しているのか、あんな不愛想な上司の下にいるからか。彼もまた素っ気なくそう応えた。任務の前途を思うと憂鬱と心細さを覚えずにはいられなかったが、水兵の手前その思いを押し殺した。

 艦の中の作りはミカサもエンタープライズもこのヴィクトリーも変わらない。だが、タラップの下で感じたキビキビとした雰囲気は独特で、艦の隅々まで行きわたっているように感じた。ブリッジに上り、ヤヨイはその理由を知ることになった。

「あの、ミカサより参りましたヴァインライヒ少尉です。通信担当の士官の方は・・・」

「遅いっ! 何をモタモタしとるかっ!」 

 イキナリ、怒鳴られた。

「戦闘配置、攻撃準備発令から完了まで30秒もかかるとは、なっとらん! 25秒を切るまで、何度でも繰り返すぞっ!」

 自分の到着が遅くなったので叱られたかと思いきや、そうではなかった。

 操作卓の通信機の傍にいた士官がそっと寄ってきてヤヨイに囁きかけた。

「通信担当のスミタだ。今、艦内演習中なんだ。あと10分ほどで終わると思うから待っててくれ」

 東洋系のその士官の階級は大尉。彼はウンと一つ頷くと再び操作卓の前に戻った。

 ミカサではワワン中将が座っていた司令官席には彼よりはだいぶ若い、肩章を着けた少将の後ろ姿があった。濃い黒髪を短く刈り込み、背後からの横顔には精悍な雰囲気が漂っていた。

 この人が、フレッチャー少将だな・・・。

 猛将という噂の高い提督だというのはミカサにいる時に聞いていた。

 でも、さっきの𠮟責はそのフレッチャー少将ではなかった。その幕僚の士官のものでもなく、ヴィクトリーの艦長のものだった。猛将の許にいる者はみんな、猛将に感染するのかもしれない。

「副長。もう一度だ!」

「ブリッジより達する。総員、戦闘配置解除。繰り返す。戦闘配置解除」

 副長の少佐が艦内通話のマイクを取った。

 パッ、と上甲板を照らすライトが点き、乗組員たちが戦闘時の持ち場から平時の持ち場へもどるのがブリッジから見下ろせた。陸(オカ)を向いていた前部砲塔が正面に戻され、砲の仰角が水平になった。ダラダラ歩いているものは誰もいなかった。みんな全速力でそれぞれの場所へと散っていった。そしてライトが消え、しばらくすると再び、

「ブリッジより全艦に達する。総員、戦闘配置につけ! 左舷砲撃戦用ー意! 射撃諸元伝達」

「左舷283。距離3000!」

 すると眼下の暗闇の四方から一斉にバタバタと水兵たちの駆け出す足音が聞こえた。前部砲塔が今度は左舷を志向しながら砲の仰角が上がった。

「前部左舷副砲攻撃準備完了!」

 伝声管から報告が入った。

 カチ。

 副長がクロノメーターを押した。

「後部主砲塔攻撃準備完了!」

「前部主砲塔攻撃準備完了・・・」

 停泊中もこんな夜遅くまで訓練とは・・・。

 猛将が座乗した艦(ふね)というものは、こうも違うものなのか、と

 艦内訓練は目標の25秒には届かなかったがタイムを2秒ほど更新して終了した。

「艦長」

 フレッチャー少将はブリッジを去り際、ヴィクトリーの艦長に呼びかけた。

「兵たちによくやったと伝えてくれ。明日は出港前の最後の一日だから兵たちには休養を取らせるように」

「アイ、サー。・・・信号兵、フレッチャー少将が下艦される」

 タータータタタタターターター・・・。

 将官の下艦を告げるラッパが吹奏される。マストの将旗が下ろされる。

 少将の背中に敬礼をし、司令部スタッフがブリッジからいなくなったらさっそくテストを始めよう、と思っていると、茶色の肩章の少将が振り返った。精悍な海の男を感じさせる真っすぐな瞳が印象的なひとだ・・・。

「きみは・・・」

「はい、ヴァインライヒ少尉です。この度、通信機の搭載にあたり一時的に任官し、テストに立ち会わせていただくことになりましたっ!」

 自分にもいささかふねの緊張感が伝染したのだろうか、急に呼びかけられて思わず上ずった声になってしまった。

「ほう・・・」

 その、ルメイと同年の少将は言った。

「少尉。一時的だろうがなんだろうが、士官は士官だ。そんなことを気にする必要はない」

 彼は穏やかにそう諭した。

「はい、わかりました、閣下!」

「少尉、きみはこの『ヴィクトリー』の艦名の由来を知っているかね」

「いいえ。存じません、閣下」

「今を去ること千年ほど前に遡る。

 フランスという国にナポレオンという革命児がいてな。彼はヨーロッパ全土を征服しようとしていた。ドイツもイタリアもスペインも、みな次々と彼の軍門に下った。

 だが、そこに立ちふさがったのがイギリスという、ちっぽけな島国だった。

 ナポレオンは大艦隊を編成してこのちっぽけで小癪な島国を懲らしめようとした。

 イギリスは、数では劣るが高い技量の乗組員と熱血の司令官を乗せた艦隊を派遣してナポレオンの艦隊を迎え撃ち、進撃を食い止めようとした。

 そのイギリス艦隊の旗艦は敵の大艦隊の真っ只中に先頭に立って切り込んだ。

 何百門という敵のナポレオン艦隊の大砲が、一斉にイギリス海軍の旗艦に向けられ、集中砲火を浴びた旗艦はボロボロになり、座乗していた司令官も、戦死した。

 だが、それがイギリス艦隊全艦の将兵の士気をすこぶる高めた。

 イギリス艦隊はナポレオン艦隊の撃破に成功し、ナポレオンのヨーロッパ完全征服の夢を打ち砕いた。

 戦死したイギリス艦隊の司令官の名前はネルソン。彼の栄光の旗艦の名が『ヴィクトリー』なのだ。

 この艦は、勝利の艦なのだ、少尉!」

 両手を広げ高揚して話す司令官。その司令官を尊敬のまなざしで見つめる幕僚と乗員たち。

「集中砲火を浴びる旗艦のブリッジに立ち続ける司令官も恐ろしく肝が据わっていたと思うが、その司令官と共に旗艦に乗り組む水兵たちもまた、非情な覚悟が要ったことだろう。

 このヴィクトリーにはそんな猛者が集まっているし、私はこの名を冠した艦に乗れることを誇りに思っている。きっと、ミカサ座乗のワワン閣下も同じ思いだろうと、思っているよ。ネルソンもミカサに乗っていたトーゴーも、同じちっぽけな島国の艦隊を率いた、英雄だからね」

 そして、フレッチャー少将はヤヨイの手を握り、こう付け加えた。

「いろいろ、大変だろうが、よろしく頼むよ、少尉」

「アイ、サー!」

 ヤヨイは、フレッチャー少将にその将器と度量の大きさを感じた。

 ワワン中将とフレッチャー少将。

 この第一艦隊の二人の提督について、ウリル少将から聞いた話を、思い出した。



「閣下、こんな大仕事を、艦隊司令官にも秘匿して行うのですか?」

 クィリナリスの丘の、スパイマスター、ウリル少将の機関。

 その地下室で作戦を説明された時、ウリル少将には当然に質した。

 いかに隠密作戦と言えども、陸と違って海の上は全くの孤立無援になる。

「第一艦隊のワワン中将とフレッチャー少将だけは知っている。皇帝陛下から御裁可を頂いた席に彼らもいたからな。だが、その幕僚たちは、知らないだろう。幕僚たちの中にも、裏切り者がいる可能性があるのだ」

「ええっ?」

 リヨン中尉はあらかじめそのことを知っていたのか、涼しい顔で天井の明り取りの上を見上げていた。

「敵も必死なのだ」

 と、ウリル少将は言った。

「科学技術と産業でわが帝国に劣るチナは、その劣勢をスパイ活動とヘッドハントで補おうとしている。自ら作らず、人のものを盗むことしか知らない民族は、いずれは淘汰される。だが、それまでの間に我が国も多大な損害を受けるだろう。それは是非とも防がねばならん。

 今回の作戦の主眼は、ルメイなどと言う一人の裏切り者の粛清だけではないのだ。

 その最も重要な目的は、海軍に深く蔓延っている裏切り者たちを一斉に炙り出し、殲滅することにあるのだ。

 言わば『ミカサ』は、そのためのエサなのだ、ヤヨイ」

「肉を切らせて骨を断つ」「虎穴に入らずんば虎児を得ず」

 前回の作戦もそうだった。

 反乱将校にワザと暴発させてその影響を最小限に食い止めつつ、呼応して決起しようとした反乱分子と怠慢な陸軍の指導部を根こそぎ粛清するのに成功した。

 ヤヨイは次第にウリル少将のやり方に慣れつつあった。進んでリスクを取らねば果実は得られない。しかし、その「リスク担当」であるヤヨイにとっては、なるほどと感心してばかりもいられない。

「船の上では多くの乗組員たちと接触するだろう。だが、ワワン中将とフレッチャー少将だけは、お前の味方だ。それだけは、絶対に確かだ。彼らは船と海と帝国を深く愛している。それも絶対に確かだ」

 


 ブリッジを去る猛将の誉高いこの壮齢の提督を敬礼で見送りながら、ヤヨイはウリル少将の言葉を思い出し、フレッチャー少将がヤヨイに艦名の由来を話してくれた訳を悟った。

「たとえ戦死しても勝利を!」

 ネルソン提督の故事を披瀝しつつ、彼は、ヤヨイがこの困難な任務を遂行する要員であることを知り、彼女の任務にあたり自分の気迫を伝え、励ましたかったのだろう、と。

 イザとなれば、彼は旗艦ミカサに実弾を叩き込むのを躊躇しないかもしれない。

 


「ヴィクトリーよりミカサ、ヴィクトリーよりミカサ・・・、アン、聞こえる? オーバー」

 あらかじめ設定しておいた周波数で発信した。空電の雑音は改修前よりもずっときれいになっている。

「遅いわね! いつまで待たすのよっ! オーバー・・・」

 スピーカーから聞こえて来たアンの声は乾いて、怒っていた。

「ごめんなさい。周波数はこれでいい? オーバー」

「感度良好。終わったらサッサと戻ってくんのよ。以上オーバー交信終わりアウト!」

「・・・なあ、これがあの、赤毛の子なのかい?」

 隣で交信を聴いていた大尉が驚いたように呟いた。

「はい・・・」

 と、ヤヨイは答えた。

「ミカサでちらっと見てタイプだったんだけどなあ・・・。こんなキツい子だったなんて・・・」

 少なくとも、このスケベそうな大尉は、ルメイの企みとは無縁、シロだろう。

「やめておいた方がいいと思います。彼女、メンクイなので・・・」

「・・・それ、どういう意味かな」



 ミカサに戻ったころにははもう、夕食の時間を過ぎていた。

 アンとミヒャエルはサッサと自室に引き上げてしまったらしい。

 ブリッジにはもう「かりそめの少尉」たちも通信担当士官も水兵もおらず、当直の砲術科のハンター少佐しかいなかった。

 砲術科だから、「ハンター」か・・・。覚えやすいな。

 ミカサの士官で一番最初に覚えたのが彼の名前だった。

「遅かったじゃないか。通信科の連中はみんな引き上げたぞ」

「どうも、そのようですね」

「ハハ・・・。きみは『冷飯食い』ってやつだな」

 ヤヨイもまた少佐の冗談に愛想笑いで応じながら、通信機の電源を入れ周波数のダイヤルをクルクル回し、卓上のマイクの縁をコツコツと叩いた。

「あれ、アン、ちゃんとチェックしたのかなあ・・・」

 と、ブツクサ呟きながら。

「何か、不具合でも?」

「ちょっと見てみますね」

 なおもコツコツを繰り返しながらつまみを調整しているフリをしていると、美味しそうな匂いがブリッジに漂ってきた。

「戻ったんですね、少尉」

 エンタープライズとヴィクトリーに同行してくれた水兵のジムがブロットビュルストと付け合わせのザウワークラウトの載ったソーサーと金属のカップを持って操作卓にやって来た。

「ジム!」

 彼はソーサーとカップを操作卓の上に置いた。カップの中身はワインだった。

「夕食に間に合わないと思って、食堂でくすねておきました。どうぞ!」

「ありがとう! お腹ペコペコだったの。あなたは食事済んだの?」

「済ませました」

 ヤヨイはコツコツを続けながらブロットビュルストに齧りついた。

「実はこれ、先任が持って行ってやれ、と」

 思いがけない言葉を聞き、ふと顔を上げた。

「え、あのクマみたいな・・・、失礼・・・」

 あの不愛想な大男が、と意外に思った。ジムは初めてヤヨイに歯を見せた。

「大丈夫ですよ、少尉。みんなそう思っていますから。でも、不愛想ですが面倒見のいい人なんです。乗員の中で一番この艦に詳しいひとです。自分は尊敬しています」

「ふ~ん・・・。そうなんだ・・・」

 ヤヨイはコツコツを終わり、これで良し、と送信カフを戻した。

「では自分はこれで。食器はお手数ですが食堂へ返して置いていただけませんか」

「わかりました。いろいろありがとう。・・・ところで、先任士官はどこにいらっしゃるのかしら」

「自室がありますが、ほとんどそこにはいません。御用でしたら艦内放送で呼び出すのが早いと思います」

 ジムが去ってしまうと、カップのワインでのどを潤しながら食事の残りを片付けた。ほどなく、ザーッという空電を流していたスピーカーから、トツート、トツート、と異音がし、それはゆっくり3回繰り返して止んだ。

「なんだろう、モールスかな。『R』か? それにしては・・・」

 ハンター少佐が怪訝な顔をあげた。

「時々ありますよ。よくわかりませんが。太陽黒点の影響を受けることもありますしね」

「太陽の、黒点、かね」

「太陽に黒点が出ると地球の周りの電磁波が影響されて電波が乱れるんです。自然には様々な電波があるんですよ、少佐」

「ほう。初めて知った」

「チェックは終わりました。下がらせていただきます」

 通信機の電源を落とし、少佐に慣れない敬礼をして空いた皿とカップを持って立ち上がった。

「あの、少佐・・・」

「・・・ん?」

 その砲術科の士官は小さく首を傾げた。

「食堂へはどう行けば・・・」



 教えてもらった通りに甲板下に降りてゆく。

 だが実はヤヨイには艦内の道順を教えてもらう必要はなかった。すでにリヨン中尉の入手して来た艦内の構造や配置の見取り図を頭に叩き込んできた。灯りが消えて真っ暗になってもどこがどの部屋かわかるほどに。

 しかし、それを乗組員たちに悟られてはならない。あくまでも、一時的に。慣れない軍艦に乗せられた、

「かりそめの海軍士官にさせられちゃった大学生」

 を演じねばならなかった。

 出港前に、ヨードルという専任士官の男にもう一度会っておく必要がある。

 艦内のあらゆる事情に通じているというのは重要だ。彼が味方であるなら得難い存在だが、敵であったら最も厄介だからだ。それを確かめる必要がある。その場合、確認の結果次第では出港前にもう一度通信を試みねばならないだろう・・・。

 出来ればできるだけ艦内を見回り、見取り図と実際の構造との違いを確認しておきたい。だが、通信担当の士官が関係の無い所をウロウロするのもマズいだろう。甲板下の食堂に行って空の食器を返し、同じフロアの自室に帰った。

 同室のアンはすでに高鼾をかいて眠りこけていた。ホッとしてヤヨイもまた海軍支給のアンダーに着替え、早々にアンの上のベッドに上り、入った。そして第一日目が無事に終わったことを振り返った。

 当直のハンター少佐が気づいたように、先刻の通信機の「コツコツ」はモールスだった。

 だが平文ではなく、数字の暗号に変換してあった。電文はターラントに来る前にリヨン中尉と示し合わせた、

「マルスは揺り籠に入った」

 という、ヤヨイがミカサに乗艦したことを示す符丁を用いた。「揺り籠」というのがミカサを示す。

 彼は今、恐らくは海軍士官の制服を着て、港のすぐ傍の軍令部の建物に一室を与えられ、ミカサのとは別の、やや小型の送受信機で彼女が送った電文を傍受したことだろう。

 スピーカーからの「トツート、トツート・・・」はリヨン中尉からの返信で、「Roger」の頭文字。了解した、という意味の符丁だったのだ。

 同じ電波は首都のクィリナリスの丘でも傍受しているはずだ。そこまで電波がクリアに届けば、だったが。今回の任務は、その電波通信の送受信のテストも兼ねていた。

 アンのイビキはその美しい顔に似合わず凄まじいものだったが、ヤヨイの睡眠を妨害するレベルではなかった。なにしろヤヨイはすでに実戦を経験し、敵の眼前の前哨陣地の中で、しかも咆哮する迫撃砲のすぐ傍で仮眠した経験もある。それに、この先どんな困難が待ち受けているかわからない。充分に身体を休めておくのは大事なことだった。

 ヤヨイが寝付けないのはアンのイビキのせいではなかった。

 誰が味方で、誰が敵なのか。

 第一艦隊の司令部か。ミカサの士官たちか。それとも、ヨードルを頭にする下士官水兵たち全員なのか・・・。



「教えてください。軍艦というのは、最低何人いれば動かせるのですか」

「ミカサの場合、」

 クィリナリスの丘のウリル機関で、ウリル少将はファイルを開いていかにも事務的にヤヨイの質問に答えた。

「まず、機関部がある」

 と彼は言った。

「ミカサ級の軍艦は、海水を取り入れて石炭を燃やして沸かし、その蒸気でエンジンを動かし、動力を得る。ボイラーの釜室には自動で給炭する。そのセットさえできていれば、5、6時間は一人で動かせる。前進後退は艦橋ブリッジでリモートできる」

「他には?」

「操舵システムは艦橋直結だから人は要らない」

「それは、電気信号で?」

「艦橋の舵輪を回すと倍力装置とギヤと油圧で舵が動く。被害を受けてシステムが破壊された時のために予備としてワイヤーでも舵は動かせる。電気信号でモーターが駆動するシステムではない」

「繰り返して恐縮ですが、発電機が動かなくても、ミカサは運航できるのですね」

「そう、作ってあるそうだ。ただし、航海だけだ。攻撃するためにはその部署ごとに兵を配置せねばならん」

 ウリル少将は言った。

「すると、せいぜい10名ほどもいれば、ミカサを運航できるわけですね」


 帝国海軍の最新鋭の軍艦、「ミカサ」を、どうやって盗むのか・・・。


 ヤヨイは独り、実見した艦内と乗組員たちの顔とを思い出しながら、様々な想像をした。

 いよいよ明日はルメイ艦長が旗艦に戻る。そして第一艦隊の幕僚たちも乗艦してくる。

 作戦開始、というわけだ。

 

 フレッチャー少将が披露してくれた、ナポレオン艦隊を撃破したイギリス艦隊の「ヴィクトリー」と「ネルソン提督」のエピソードを思い出し、キアイを入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る