アヴァロニア大陸の謎~落ちこぼれ魔女と時空の迷子~

富岡

プロローグ

 試験管の中身はオーケー。

 ローブの艶は完璧。

 帽子はしっかりとんがってる。

 ――さあ、冒険に出よう!


▲ ▲ ▲


「良い加減起きんか阿呆!」


 しわがれた罵声で目を覚ます。

 窓から差し込む日光に思わず顔を顰めれば、呆れたため息とともに布団がひっぺがされた。途端に吹き込んでくる空気に、ぶるり、と身を震わせる。やはり朔日とはいえ四月の朝はまだ寒い。


「今何時だと思っとる! さっさと飯を食って学校に行かんか!」

「うぅー……わぁってるよ、じいちゃん……」

「なら起きんか!」


 げし、と背中に蹴りを入れられて、美樹人はのろのろと体を起こした。

 くわぁ、と大きなあくびをこぼし、猫のような伸びをして、カンカンな祖父に朝の挨拶。返事の代わりに飛んできたのは学生鞄だった。それをヒョイっと受け止めて、美樹人は布団から出る。

 居間からは味噌汁の匂い。女性アナウンサーの淡々とした声。いつも通りの朝だ。

 パジャマを脱ぎ散らかしながら洗面所に行き、顔を洗って制服に着替える。幾分かすっきりした頭で食卓につけば、見計らったかのように朝食が出てくる。白米と焼き魚。あと何か野菜。


「今何時?」

「七時半だ」

「やっべ、遅刻すんじゃん」


 慌ただしく朝食をかき込み、玄関へダッシュ。途中で飛んできた弁当は流れるような手つきで鞄へイン。いってきまぁすと大声を上げれば、追いかけるように、気をつけろよぉと聞こえてくる。返事もしないままに歩道へ飛び出し、美樹人は駅までの道を走った。

 返事をしておけば良かった。そう後悔することになるとも知らずに。


▲ ▲ ▲


 強烈な痛みに目を覚ます。

 赤っぽくぼやけた視界に広がるのは、枝葉を伸ばす木々。それから抜けるような青空。覚えのない状況に、美樹人はヒュウと息を呑んだ。

 全身が痛む。

 呻き声を上げ、体が自然と丸まろうとする。

 そして気付く。腕が、足が、体全体が、何かに絡めとられたかのように動かない、そのことに。


「……!?」


 首すら動かない。

 自分の体がどうなっているのかを確かめようと忙しなく眼球だけを動かす。そうして視界の端にぎりぎり映った右腕は、何やら赤色をしていた。

 てらてらと光る。粘液のような、血液のような。

 ぐちゃり、と耳元で水っぽい音がする。

 それが腕を覆っているのだと気付くまでに、数秒を要した。


「ぁ……え、」


 絞り出そうとした声は、喉の奥に張り付いて。

 助けを求めることもなく、空気中に霧散した。

 一体、何が起きている?

 全身が痛む。頭が痛む。思考が散乱する。声の代わりに迫り上がってくる吐き気を、飲み下す気力もない。呼吸はヒュウヒュウと荒くなっていき、正常を思い出せない。

 何故。

 脳に浮かんだただ一つのありきたりな疑問を、ただ反芻する。それ以外にできることはなかった。美樹人には自由がなかった。

 だから、その音は救いにすら思えた。


「ぁ……ぅ、あ……」


 さく、さく、と。

 地面を踏み締める音。それが、真っ直ぐにこちらへ向かっている。

 誰か、来た。

 誰?

 誰でも良い。

 助けを、


「……ああ、やっぱり、いた」


 涼やかな声だった。凛とした、少女とも少年ともつかぬ未分化の声。呆然とした響きを孕んだそれ。


「これ、胎盤……“産み落とされた”? 人間が……?」


 美樹人のすぐ側で止まった足音。視界に影が落ちる。映り込んできたのは、人の顔のようだった。


「龍脈……流れに置いて行かれた? どういうこと……?」


 ぶつぶつと、“誰か”は何事かを呟く。その意味は判然としない。


「……ぁ、す……え、」


 美樹人は必死で助けを求めた。カラカラに乾いた喉から出たのは、しわがれて醜い声。はっきりとした発音もできないその意図。覗き込む“誰か”に、拾ってくれと祈るしかできない。

 けれど“誰か”は、存外に察しが良いようで。


「あ、ご、ごめんなさい。その状態じゃ辛いですね。体が半分くらい“出来上がっていない”。……できる限りのことはしますから、大人しくしていてください」


 そう言い終えるなり、美樹人の顔に何かがぶちまけられた。

 音と感触からして液体。一気に呼吸が楽になる。


「どうですか? 少しはましですか?」

「……ぁ、」

「良かった。安心してください、悪い魔女じゃありませんから。何があったのかは分かりませんが……とにかく、今からあなたを“創造り”ます。そのためには、ごめんなさい、あなたを縛ることになってしまうけれど」


 唇に、何かが触れる。仄かに甘い匂い。


「さあ、口を開けて」


 言われるがままに口を開けた。

 冷たいものが、舌を伝って、喉を滑り落ちていく。

 かくして美樹人は、この世界に誕生した。

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