第11話 ほしはかがやく(奏良&葵衣)

『すごいね、こんな風にできるんだ』


 キッチンに立つ葵衣の手際良い調理に、奏良は感心しきりだった。

 調理に関わったのはせいぜい中学校の調理実習の数回くらい。家でも手料理に触れる機会なんてなく、支援で貰ったのはパンや弁当だった。食事をおごってもらったことならあるが、作って貰ったことは今までない。

 肉や野菜がどういう過程で完成した料理になるのか。その過程を実際に見るのは新鮮だった。


 見慣れた自分の手が、当たり前のように食材を刻み、振り分けて、新しい形にしてゆく。最初はそれを興味深く眺めているだけだったが、出来上がった料理の美味しさを知ると、作るときの過程ひとつひとつが気になってきた。

 そんな風に切り分けた意味。隠し包丁の意味だとか、焼き加減や火加減。興味を覚えて尋ねると、葵衣はそのひとつひとつを丁寧に教えてくれる。

 細かい作業は、だいたいが料理を美味しくするための工夫だった。


「奏良くんはどんな食べ物が好き?」


『葵衣さんの作るものは何でも美味しいよ。家でもこんなにすごい料理って作れるんだね』


「すごく一般的で普通のものしか作れないけど。でも、美味しいって思ってくれるならよかった」


 他人のために手間をかけているにも関わらず、葵衣は本当に楽しそうに料理をしていた。頭を悩ませることも、ちょっとした失敗を悔やむこともあったけれど、料理を勝真が口にするたびに、奏良が美味しいと言うたびに、葵衣の気持ちが晴れ晴れしい喜びに染まるのを、奏良は感じていた。



 葵衣は意外なほど活動的だった。

 料理を作る間にも、いつの間にやら片付けをしているし、合間に他の家事をはさむこともある。家の中にこんなにもすることがあったのかと思うほど、気づいた時には掃除や洗濯をこなしていて、いつの間にか家の中は綺麗に整えられていた。

 勝真が起きればつきっきりで看病し、眠っている間にどんな風に看病すればいいのかをスマホやパソコンで検索して考えていたりもする。

 奏良にとっては無為で無限に流れていたような時間が、色々なことがパンパンに詰め込まれていて足りないと思えるほどだった。


 奏良の胸の中は、休む暇がないほど葵衣の感情でせわしない。

 ちょっとした良いことに喜んで、つまずけば不安になったり残念な気持ちになったりもする。自分のために何かをしている時間なんてわずかなのに、嬉しかったり、楽しかったり、楽しみだったりする。

 喜んでくれることが嬉しい。役に立てることが嬉しい。

 これを愛情というのかもしれない。奏良はその言葉の意味を初めて理解したような気がした。

 そして、その一端が確実に自分にも向いていることにも気づいていた。



 葵衣と共に過ごすようになってしばらくして、わかったことがあった。


 奏良の身体が寝ているときは、葵衣は眠っている。

 その際にはだいたい奏良も眠っている。起きておくこともできるのかもしれないが、疲労や眠気を感じて横になり目を閉ざした状態なので、眠ってしまうのが当然のようにしっくりくる。


 それ以外の時にも、奏良は眠ることができた。

 葵衣が勝真を風呂に入れる時に、「見せるのもセクハラだよね」なんて言うから、出来るだけ見ないように聞かないように考えないように現実から意識を反らしていた。そうするとしばらく眠っていたような感覚になった。

 奏良の身体をあやつるのは葵衣だった。それが当たり前のように馴染んできていた。


「ごめん、奏良くん……ちょっと、疲れちゃった」


 そう葵衣が初めて言ったのは、葵衣が奏良に宿ってから一週間経たない頃だった。

 少しずつ勝真が起きている時間が長くなってきたものの、まだ眠っている時間が大半だった頃。

 勝真の世話をして眠るのを見届けたあと、葵衣はそう言うとすぐに眠りについた。


 その瞬間、奏良は自分の身体を取り戻していた。


 予想もしなかったことに戸惑った。急に息をしている感触や、地球の上に立っている重みを感じた。一瞬ぐらりと不安定さを感じたが踏みとどまった。

 葵衣と出会う前にはいつも受けていたはずの感覚に、身体は自然と適応していた。

 自分の手足が動くことが不思議に感じられた。でも、身体は生活することを覚えていて、問題なく動いた。


 ドキドキと、心臓が戸惑いの音を上げた。葵衣のことが心配で、初めてのことが少し不安だった。

 葵衣の存在はどこかでしっかりと感じていた。だから、葵衣がいなくなった訳じゃない。それなのに怖かった。


 いつの間にか奏良の胸の内は、いつも葵衣が浮かべていた感情をなぞるように、奏良自身の感情をともしていた。

 その想いが自分のものだと思い至って、奏良は周囲の景色が色鮮やかなままなことに気がついた。


 流れ星は眠っても、まばゆくキラキラ輝いている。美しく、優しく、温かく。

 奏良の胸の中に、まだつかめない切なく恋しく喜ばしい想いがあふれた。



 葵衣は小一時間で目を覚ました。葵衣が目を覚ますと、すんなりと奏良の身体は葵衣の意識の元に戻った。


「ちょっと落ち着いてきたから、気が緩んできたのかな。幽霊って案外体力ないのかも」


 葵衣はそう言って笑った。


 しかし、それから葵衣の眠る頻度は徐々に多くなっていった。

 勝真が覚醒している時間は葵衣も起きてはいたが、それ以外には日に数回は眠りにつくようになった。


 時間がない、少しの間だけ、と。

 出会った時に葵衣は口走った気がする。

 それがどういう意味かなんて、出会った時の奏良にはどうでも良かった。

 だけど今、ふとその言葉が恐れを伴って思い浮かぶ。


 そして気づいてしまった。

 葵衣が勝真と過ごすときに時々浮かべる苦く悲しい想いが、いつかくる……多分、そう遠くはない離別を示しているということに。

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