ローブ・ノワール・ドゥ・エッフェル 〜エッフェルの黒いワンピース〜

加賀倉 創作【書く精】

第一話『朱い鉄塔』

 日差しが眩しい。 

 清々しい朝。

 自宅を出る。

 青く澄み渡った空を背景に、

 背の高い、鮮やかな赤みを帯びた橙色の隣人。

 私はいつものように、へおはようの挨拶をする。

 そして、首からかかった一眼レフで、パシャリ。

 今日も隣人は、いい顔をしているな。


 この隣人の肌の色は、正確には『インターナショナルオレンジ』と呼ばれるらしい。なんでも、航空法第五十一条で、六十メートル以上の高さの鉄塔は、見えにくさによる航空機事故を防止するために、昼間障害標識ちゅうかんしょうがいひょうしきなるものを設置するよう定められているらしい。その標識にあたるものが、彼女においては国際橙色インターナショナルオレンジである、というわけだ。

 そんな目立つ見た目の彼女を背に、私は都営浅草線の三田駅まで、日比谷通り沿いを徒歩で南下する。


 三田駅の地下ホーム。

 今、私の左腕に巻かれた腕時計は、九時四分を示している。ギリギリ……セーフだ。私は、昨晩から乗換案内アプリで調べて目をつけていた、九時五分発の羽田空港第一・第二ターミナル行き急行に乗るのだ。ありがたいことに、浅草線と京急は相互直通運転なので、乗り換えは不要、二十分そこそこで到着する。私は、電車が来るまでのわずか一分をSNSを覗くのに使おうと、バッグからスマホを取り出す。生粋のデジタルネイティヴ世代だから、許してほしい。そして、スマホのホームボタンを押すとホーム画面には……


 『09:06


 嗚呼、ごさん、自分。


 慌てて乗換案内アプリを開き、『時間順』設定に切り替え、次の電車を調べる。お、九時七分。すぐに来るな。で、泉岳寺で乗り換えて……なんだ、結局到着時刻は九時三十三分、変わらないじゃないか。生まれてこの方日本を出たことはないが、この国の鉄道の時間厳守意識と本数の多さには、感心のあまり引いてしまう。例に漏れなければ、次の電車も、あと三十秒ほどでやって来る。私はスマホの正確無比な電波時計と睨めっこする。九時過ぎというと、平日の通勤ラッシュのピークがちょうど終わる頃。人混みが大嫌いな私は、敢えてこの時間を狙って家を出たつもりだったが……お、電車が来た。扉が開く。明るい車内は、人が……ほぼ満員だ。仕方ない、そういうこともある。私は、観光客らしき白人女性の二人組と入れ違いで、電車に乗り込む。すると、中からもう一人、スーツ姿の中年男性が、慌てて駆け出てくる。手には、そのサラリーマン風の格好にはそぐわない、ゲームセンターの店名ロゴ入りの手提げ袋。大きく膨らんでいるが、中身はぬいぐるみか何かだろうか。こんな朝早くに仕事をサボってゲームセンターに行ったとは思えない。二人組の白人女性のうちの一人が、後ろから走ってくる男性の気配に気づき、振り返る。

「メルシー! アリガトゴザイマス! ニホンジンハヤッパリトテモシンセツデス!」

 なるほど、荷物を席に忘れそうになったのか。にしても、やけに早口な日本語。そして初手は『メルシー』ときた。あ……今から私が向かう、フランスの方か。

「いえいえ! もう忘れちゃダメですよ!」

 男性は袋を女性に手渡す。

「ゴメンネ! フェール・ル・ポワロネギを作ってじっと待つ、スルトコダッタワネ!」

 女性は袋を受け取るや否や、中からエメラルドグリーンの電子の歌姫の巨大なぬいぐるみを取り出して、熱い抱擁を交わした。よかった。ネギの味は、忘れられずに済んだ。

「かなり大事なものだったみたいですね、間に合って良かった。お二人は、観光ですか? 楽しんでくださいね!」

「ア! オニイサマ! ブシツケナ、オネガイデスガ、トーキョータワーノバショ、オシエテホシイデス!」

 ブシツケナ? ああ、『不躾ぶしつけな』か。私もあまり使わないような難しい日本語を知っているんだな。

「ごめんね、僕はこれから仕事なんだ」

「ソウデシタカ」 

「だから駅員さんに聞いてみて? じゃあね!」

「ハイ、ワカリマシタ!」


 そこで、扉は閉まった。


〈第二話『フレンチ・ディスパッチ』に続く〉

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