エモーショナーズ
ぽこちん侍
第1話
「エモーショナーズ」
(何本か骨が折れてるだろうし、内蔵だって破けちまってる。それになんだか痛みも遠くの物に感じる)
景色は半壊した白色のコンクリートと露出した鉄骨、それに縁取られた青空。黒い点が空を攪拌している。
目をすぼめると、それは旋回する二羽のカラスだった。
仰向けのまま、その様子を眺める。眺めることしかできない。
――もうじき死ぬのだろう。
身体は全くと言っていいほど動かない。学ランに積もった粉塵を払うことも出来ない程だ。
「春太」
死者に語りかけるような声がした。透き通るような女の声だ。
その声をたどり、応えようとする。しかし、身体が言うことをきかない。首の可動と共に、耳元で鈍い音が響くのだ。
それを察してか、声の主は上半身に手を回し、視線を合わせる。
卵系の小さな顔と、形のいい頭を包むショートヘアー。
大きな目が優しげに歪む。その額縁に飾られた黒い瞳は感動を与える。
彼女の小さな顎が動き、何かを告げる。
「……貴方の心を頂戴」
聴覚は十全ではない。
しかし、そのお願いが自分にとって幸福なことであるのだけは理解出来る。
少女の顔が近づき、徐々に視界を支配していく。
熱を失っていた唇にほんのりと熱が灯る。
(光栄だな)
岬春田の最後は幸福であった。
気が付いた時には、岬春太は瓦礫の上で林田美咲を抱えていた。
(さっきまで俺は美咲に抱えられていて……それなのになぜ俺が彼女を抱えている?)
春太の意識は確実に彼の中にあるし、筋肉も正常だ。
林田美咲にも外傷はない。息もしている。ただ意識だけがないのだ。
「メロドラマは終わりかい?岬春太」
学ランと学生帽の青年。
彼は瓦礫の山から、事の顛末を見守っていた。いや、見守っていたわけではない。青年の言葉通り、一つのエンターテイメントとして瓦礫の上から鑑賞していたのだ。証拠に彼の口元にはニヤニヤと、小馬鹿にするような笑みが浮かんでいる。
春太はこの青年を知っている。
知っていると言っても、彼が何者で、何が目的なのかは分からない。
ただ、この惨劇を生み出した張本人であることは確かだ。
「…テメエ、何者だ」
「かんじょうしょりいいんかい?だよ」
ほら、と青年は頭を――学帽を突いて見せる。
「ふざけるな。人間がこんな大穴開けられるわけないだろ」
「マジかよ人間さん!弱すぎんだろ!!」
青年はひとしきり笑った後、ため息と付き、一呼吸置く。
「”執念”のエンコ――オブセス。これでいいか?」
「ああ、心起きなく殺せそうだ」
「第二ラウンドといこうか!!岬春太!!!」
〇
春太の感情に呼応して、足元の瓦礫が転がる。
〇
エンコ特有の――人ならざる者特有の――爆発力で春太との距離を詰めていく。
ただ前進するためだけの脚力で瓦礫の山を駆け降りていく。勿論、不安定な足場を乱暴に進めば、瓦礫に足元を取られてしまう。しかし、オブセスはバランスを崩す度に、手で地面を掻き、止まる事も、減速することもなく強行する。
その走法はおおよそ人間的と言えなかった。
春太まで残り、3歩。
「速攻でええええええええ!!!!」
速度を乗せたまま、両足を空中に投げ出し、焦点を春太に向ける。それは重力が斜めにかかり、春太に踏みつけるように足を曲げている。しかし、オブセスの蹴りが春太に達することはなかった。春太の”感情”が瓦礫の塊に流れ、彼の意思がそれを動かし、オブセスと春太の間に入り込んだのだ。
「”執念”舐めすぎだぜ」
オブセスは件の瓦礫に着地し、膨大な”執念”の感情を流し込む。
瓦礫の塊は、その莫大な”執念”を受け止めきれず瓦解する。
「ッ!!」
瓦解した塊から錆色の光沢が覗き、オブセスの上半身を捉える。
〇
――春太は瓦礫が破裂瞬間。
瓦礫から露出した鉄骨を掴み、それを瓦礫から独立いた刀に変化させていたのだ。
一歩前に踏み込み、重心を下げる。それによりオブセスの進行から逸れる。
掴んだ部分は茎となり、コンクリートお中で刀身が完成し、そのまま刀を振り下ろし、オブセスを捉える。
オブセスは左肩から右脇腹にかけ、刀傷が付く。パックリと割れた腹から臓物が垂れ、それを押さえている。
「岬春太!!おれの執念を舐めるなよ!!必ず…必ず!!!」
赤黒い粘性によって臓器が彼の手からこぼれる。
それは穴の空いたバケツのように止まる事無く、こぼれ、流れ、瓦礫の隙間に溜まっていく。
〇
窓辺の廊下を歩いていた。
ここが何処の廊下で、なぜ俺がここにいるのかは分からない。
ただし、目的だけははっきりとしている。
―美咲を探している。
俺は彼女を求めて、ただひたすら歩いているのだ。
廊下は一歩ごとに軋み、それにちられてガラス戸が鳴る。
足裏にひんやりとした木の感触が伝わってくる。
確かな弾性と冷たさ。
窓の外は光が強すぎるのか、白飛びの世界だった。
こんな景色があるのだろうか?
そもそも、ここは?
俺はなぜ?
―止めよう。
きっと考えたってしょうが無いし、何よりもあまり物を考える気分ではない。
歩いて、歩けば、彼女に会えるはずだ。
全部彼女に聞けばいい。今はそれでいい。
〇
縁側だ。
縁側に通じる木戸は開かれている。というよりは、閉められないが正しいだろうか。
部屋と部屋の境が低く隆起し、橋のように湾曲しているのだ。
ここを通れば縁側に続く。そしてそこには美咲がいるはずだ。
彼女は濡れ縁に座り、外の白色を眺めていた。
気を抜いているのか、小さく口が開き、可愛らしい前歯が覗いている。
肩をすくめ、上体を傾けて座っている。支えになっている両手は白く細い。その奥にある肩もセーラー服越しから形が分かる。
「座りなよ」
と美咲は言う。
彼女はすくめた肩の上で首を転がし、ゆっくりと口を閉じながら微笑む。
鼻梁の影が無重力の涙のように、彼女の目頭に流れていく。
彼女の言葉に従う。
縁側は心地よい温かさだった。
「何が見えるんだ?」
尋ねる。
俺にはただの白にしか見えない。
「瓦礫の山」
切れ長の目が綺麗に歪む。
そう言えば、俺は何かに怒っていて….そこには彼女もいた。
「そっか」
全てを思い出した。
蝉が鳴き出す。
それは沈黙から恐怖を希釈する。
我々は景色を眺めている。
たぶん、全てが終わったのだ。
つらいことも、うれしいことも、何もかも。
でも今はそれでいいと思う。
終わってみて分かるー自分でも意外なのだけどー俺は自分の人生に満足しているみたいだ。
〈私のこころを上げる。だから貴方の心を頂戴〉
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