傷モノ令嬢は獣公子の甘い檻に囚われる

森林 浴

episode.1

朝から降り続ける雨が、容赦なく私の身体を打ち付ける。

闇夜に紛れて、私は途方に暮れながら目の前の豪奢な邸を見上げた。


………どうしてここに来てしまったのかしら。

あの方にどうにかしてもらおうとでも?

自嘲的な笑みが浮かび、慌てて頭を振った。

いいえ、違うわ。

シシリア様にご報告しなければいけないからよ。

今は北の領地に赴かれていて、ご不在なのは知っているけれど、邸の方に伝言してもらわなければ。

罪人、エドワルドを見つけたと。

また私の勝手な行動のせいで自業自得な目には遭ってしまったけれど、それでもエドワルドの情報は何としてもシシリア様にお伝えしなければ。


元々は私がシシリア様に何の相談もせずに、全てを勝手に決めたせいで招いた事態。

これ以上のご迷惑はかけられない。

エドワルドの情報をお話ししたら、直ぐに消えなければいけないわ。


そこまで考えて、私はハッと口に手をやった。

………まただわ。

どうして私はこうなのかしら。

ご迷惑をかけたく無いと、勝手な行動が全て裏目に出てしまう……。

シシリア様は迷惑がったりする方じゃないわ。

ことを成す前に相談するように、あれだけ言われていたのに。

あの時私は、2度と同じ過ちは犯さないとシシリア様にそう誓ったのに。

また同じ過ちを犯し、それでこのざまなのだから、自分が情けなくて仕方ない。


どうして私はこうなのかしら。

全て自分で解決するしかないと、右往左往するばかりで、何一つ1人ではどうする事も出来ない。

それで結局余計な迷惑を周りにかけてしまう。


………もう、どうしたらいいか分からない。

両手で顔を覆って静かに涙を流した。

漏れる嗚咽が徐々に獣のような唸り声に変わっていく事に気付き、カタカタと震えながら自分の両手を見ると、尖った獣の爪がキラリと光った。


「……あ……いや………誰か……誰か助けて………レオネル………様………」


ガクリとその場に蹲って、私はただただ涙を流した。

嗚咽する声はもう、獣の唸り声にしか聞こえない。

言葉さえ失ってしまった事を、自分でも理解していた。

頭に違和感を感じる。

きっと今私の頭には、醜い獣の耳が生えているのだろう。


もう、駄目だわ。

何もかもが遅過ぎた。

まだ人としての理性が残っているうちに、誰もいないところにいかなくちゃ。

完全な獣になって、誰かを襲ってしまう前に。

人を襲う前に事切れればいいのだけど、それは確証が無いもの。

確証の無いまま、人の生活圏内に留まるのは危険だわ。

どこか、誰もいない所へ。

誰も傷つけないよう、ひっそりと死ななければ。


ごめんなさい、シシリア様………。

最後まで至らない側近で……。

そして、さようなら、レオネル様。

私、畏れ多くも、貴方の事を、ずっと………。



「リゼ嬢っ!」


痛む身体を何とか起き上がらせ、人のいない場所に移動しようと立ちあがろうとした時、あの方の声が聞こえて、思わず振り返った。


長身の人影がこちらに駆けてきて、あっという間にその胸に抱きしめられてしまった。


「良かった、無事で。

エドワルドが市中に現れたと聞いて、君に接触しようとしたんじゃないかと探していたんだ。

大丈夫だったか……リゼ、嬢………?」


私の顔を覗き込んだレオネル様が息を呑むのが分かって、私は外套のフードで自分の顔を隠した。


「……ミ、ミナ…デ………」


何とか人の声を絞り出すけれど、それは獣が唸るような、とてもでは無いが人の声とは言えないものだった。


「……まさか、エドワルドに違法魔道具を使用されたのか?」


直ぐに私の現状を察してくれたレオネル様に、私は何とか頷いた。


「分かった、とにかく邸に……」


軽々と抱き抱えられて、私は焦って抵抗しようとして、自分の指から伸びる鋭い爪にビクリと身体を震わせた。


……いけない……暴れたら、レオネル様を傷つけてしまう……。


それだけは嫌だと、薄れゆく人の意識が何とか留まらせた。

結局為すがままに、私はレオネル様に邸へと連れ帰られてしまった。




深夜でも煌々と灯りが燈され、家人を迎え入れる万全の体制が整っている、アロンテン公爵邸。

玄関ホールに並び、レオネル様を迎える使用人達の中の、立派な居住まいの初老の男性にレオネル様は声を掛けた。


「ルーベルト、私の部屋を人払いして、誰も近付かせるな」


外套で姿を隠した私を抱えて戻った主人に、ルーベルトは何も言わず頭を下げる。

レオネル様は私を抱えたまま、足早に2階に駆け上がると、立派な扉を開けて中に入った。


既に湯の準備が出来ている状態の浴室に私を連れて行くと、申し訳無さそうに頬を染める。


「こんなに濡れていては、風邪をひいてしまう。

今の君を他の者には任せられないし、その、我慢してくれ」


そう言って、私から顔を逸らしたまま服を脱がしていった。

ぎこちないその手をボーッと見ていた時、ズキンッと下腹部に痛みが走った。


………イヤ…………。

こんな……こんなの………イヤ、よ……。


まだ人としての私の理性は残っているのに、固い何かに覆われて、表に出す事が出来ない。

まるで、固くて透明な球体に閉じ込められているようだった。

一生懸命それを中から叩いて叫んでも、誰にも届かない。


徐々に身体が熱くなっていく、ハァハァと肩で息をしながら、獣のような唸り声を上げた。


イヤッ!やめてっ!

このままでは高貴なこの方を穢してしまうっ!

私はそんな事望んでいないのにっ!


まるで自分の中に、相反する自分が二人いるような感覚だった。

〝私〟はちゃんとここにいるのに、意識も身体ももう一人の自分に奪われて取り返せない。



レオネル様は私を脱がすと、ゆっくりと湯に浸からせてくれた。


「少し温まっていてくれ」


そう言って浴室から出ていくと、扉の外で誰かと会話をしているようだった。



「師匠、遠隔で呪いの解呪を頼めませんか?」


ピクリと耳が動く。

不思議と前より耳がよく聞こえるようになっているようだった。

お陰で、レオネル様の遠隔会話の相手が私達の師匠である、赤髪の魔女、その人であると分かった。


意識の外に閉じ込められた私は、それを聞いてホッと胸を撫で下ろした。

良かった、師匠ならこの呪いを何とかして下さるわ。

意識を占領しているもう一人の私は、随分レオネル様の事が気になるらしく、その会話に聞き耳を立ててくれているお陰で、レオネル様と師匠の会話がよく聞こえてきた。



『よいが、相手は誰じゃ?』


師匠の問いに、レオネル様が悔しそうな声色で答えた。


「……リゼ嬢です」


レオネル様の返答に師匠が動揺しているのが伝わってくる。


『何じゃとっ!では、あの者が関係しているのかっ?』


「はい、恐らく」


そこで二人は少し黙り込んだ。

ややして先に口を開いたのは師匠の方だった。


『それはいかんな。あの者が持ち出したのは古代魔具じゃ。

アレは私にも解呪が難しい。

物にもよるが………まぁまず何の呪いをかけられたのか、見てみてからじゃな。

リゼ嬢ちゃんは近くにおるか?』


師匠の言葉にレオネル様が頷いた気配がした。


「はい、外で雨に打たれていたので、今湯につからせたところです」


『ではこのままリゼ嬢ちゃんの所に妖精をやってくれ』


師匠の言葉が終わると、浴室が少し開いて、そこからレオネル様のパートナー妖精であるレオがパタパタと私の方に飛んできた。


妖精と言っても、レオは魔道具だ。

妖精型遠隔会話魔具と言って、本物の妖精では無い。

遠く離れた人間同士でリアルタイムな会話が出来る、画期的な魔道具だった。

更にレオは特別な妖精で、人格のあるタイプ。

このタイプには会話相手と映像で繋がる機能まで備わっている。


レオの目から映し出されたスクリーンに、師匠の姿が映し出されていた。


『リゼ嬢ちゃん………可哀想に。

その姿は、お前さん〝淫獣の呪い〟をかけられたね』


師匠の言葉に扉の外にいるレオネル様が声を上げた。


「師匠、淫獣の呪いとは?」


急くようなレオネル様の問いに、師匠は困ったように溜息をついた。


『元は獣人族に古くからある呪いの類でな。

それをかけられた獣人は徐々に自我を失い、姿も完全な獣となってしまうというものじゃ。

呪いを解く方法は一つ、番と交わる事。

しかし元々、番など見つけられる事の方が稀じゃ。

つまりこの呪いをかけられた獣人は、獣人の姿を保てず、やがて獣そのものになってしまうという、恐ろしい呪いじゃな』


師匠の説明に、苛ついた様子のレオネル様の声が聞こえた。


「しかし、リゼ嬢は人間です。

何故そのような呪いをかけられてしまったのですか?」


そのレオネル様の問いに、師匠が私を哀れんだ目で見つめた。


『リゼ嬢ちゃんがかけられたのは、その〝獣の呪い〟を元にした〝淫獣の呪い〟じゃな。

かつて邪神オルクスと名乗る凶王が、さまざまな忌まわしい魔道具を作り出した。

今では古代魔具と呼ばれるものがそれじゃ。

この呪いはその古代魔具を利用して、対象の人間にかける淫獣の呪い。

獣人にしかかからない筈の呪いを、人にもかけられるように改良したものじゃ。

しかも、獣の呪いは対象を獣にしてしまうだけだが、こちらはそれだけでは無い。

人を無理やり獣に変えるのだから、人の身体ではその変化に耐えきれず、呪いが進めばその過程でまず間違いなく、対象の人間は命を落とす。

そういう、恐ろしい呪いなんじゃよ』


師匠の言葉にレオネル様が息を呑むのが気配で伝わってきた。

……私は、師匠の返答にどこか救われた気持ちでいた。


……良かった。

それなら、私1人の犠牲で済む。

獣になりきる前に命を落とすなら、誰かを傷付ける心配も無いんだわ。

救いようの無い状況で、それがただ一つの救いのように思えた。


「師匠でも、解呪は出来ないのですか?」


祈るようなレオネル様の声に、師匠は申し訳なさそうに首を振った。


『この手の複雑な、つまり凶王が凝って創り出した古代魔具による呪いは、私にも解呪が難しい。

元となる獣の呪い自体、番との交わり以外で未だ解呪に成功した例は無いのでな』


師匠の言葉に、すぐにレオネル様が更に問いかける。


「獣の呪いのように、何か救済策は無いのですか?

番を見つけてくればいいのなら、私が必ず探し出してきます。

リゼ嬢が助かるなら、何でもします。

ですから、私に出来る事なら、いや、出来なくとも必ずやってみせます。

呪いを解く方法を、どうか教えて下さいっ!」


懇願するようなレオネル様の声に、師匠は一度頷くと、レオに声をかける。


『すまんが、レオネル坊やの所に戻っておくれ』


師匠の指示に従い、レオは直ぐにレオネル様の所に戻って行った。

私は意識の奥に閉じ込められたまま、透明の壁を叩くように必死に抵抗を試みた。


いけませんっ!師匠っ!

その方法をレオネル様に教えないでっ!

もうこれ以上、ご迷惑をおかけしたくないんですっ!

お願い、やめてっ!


だけど、どんなに叫んでも、当然2人には届かない。

声を潜めて話す2人の会話がハッキリと聞こえてくる。

人並外れた聴力は、獣化が進んでいる証拠なのだろう。



『……レオネル坊や、リゼ嬢ちゃんを助ける方法ならある。

お前さんがその方法でリゼ嬢ちゃんの命を助けると言うなら、最後まで責任を取らなくてはいけないよ?

お前さんにその覚悟があるのかい?』


師匠の真剣な声に、レオネル様も真剣に答えた。


「もちろんです、私が必ず責任を取りますから、その方法を教えて下さい」


そのレオネル様の応えを聞いて、私は必死に叫んだ。

おやめ下さいっ!レオネル様っ!

貴方が私の為に、そこまでする必要はありませんっ!

お願いだから、考え直して下さいっ!


……そう、私はこの呪いの唯一の解呪方法を知っていた。

私に古代魔具でこの呪いをかけたこの国の大罪人、エドワルドから聞いていたから。

だけどその方法でレオネル様に助けてもらおうだなんて、思ってもいなかったのに。



『レオネル坊や、淫獣の呪いは、男女が交わる事でしか解呪出来んのじゃ。

相手は誰でも良いが、呪いを受けたのが女性側であれば、子を成す場所に子種を注いでやらねばならん。

よいか、レオネル坊や、だから私は責任を取らねばならんと先程言ったんじゃ』


師匠が全てを明かしてしまい、私は絶望に打ちひしがれた。

ああ、責任感の強いレオネル様に、そんな事を言っては………。


『もちろん、相手はお前さんじゃ無くともよい。

リゼ嬢ちゃんに責任を取れる相手なら、他の男……』


「いえ、私が解呪します。

そして、私が責任を取る」


師匠の言葉が終わらないうちに、レオネル様はキッパリとそう言い切って、直ぐに師匠に礼を言った。


「師匠、ありがとうございます。

貴女が居なければ、彼女を助ける事が出来ませんでした。

無事に解呪が出来たら、また連絡します」


『いや、お前さんなら安心してリゼ嬢ちゃんを任せられる。

大事にしてあげなさい』


2人の遠隔会話が終わった気配がして、浴室の扉がゆっくりと開く。

大きなタオルを持ったレオネル様が湯船に近付いてきて、私をそのタオルで優しく包み込んだ。


「待たせてすまない………。

のぼせていないだろうか………?」


気遣うようにそう言って下さるレオネル様だけど、決して私と目を合わせようとはしなかった。


「くうぅぅぅーん」


獣化の進んだ私は、子犬のように甘えた声を上げ、レオネル様の首に腕を巻きつけ、顎に頬をスリスリと擦り付けている。


レオネル様はビクッと身体を揺らし、切なげに目を細めた。


「リゼ嬢………」


浴室を出て、レオネル様は大きなベッドに私を横たえさせた。


「髪を、乾かしておこう……風邪をひいてはいけないからな」


レオネル様が生活魔法で髪を乾かしてくれる。

その温かさに私は満足気に鼻をひくつかせた。


髪が乾くと、レオネル様は私をジッと真っ直ぐに見つめ、優しく髪を撫でた。


「怖い事はしない、痛い事も。

リゼ嬢、辛いかもしれないが、君の命を助ける為なんだ、我慢してくれ。

私が必ず責任を取る。

君を一生大事にすると誓う。

だから、どうか許してくれ……」


そう言って、レオネル様の顔がゆっくりと近づいてきた………。



ああ、神様。

罪深い私を、どうか罰して下さい、今すぐに。

この邸に逃げてきたのは、本当は最後にレオネル様を一目見たかった、そう願ってしまったからなのです。

私の浅ましい願いが、高貴なこの方を穢してしまう事になるだなんて………。


私はなんて浅はかだったのかしら。

山の奥にでも逃げ込んで、勝手に1人息絶えておけば良かったのに………。



やるせない後悔に襲われ、私は意識の奥に閉じ込められたまま、1人涙を流した………。



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