第28話

 国境の戦況が落ち着くと、ミハルとライニールそしてヒリスは、陣営から西部に数十キロ離れた街ハイデに居を移した。

 その距離は魔馬車を使えば数時間で戦線まで辿り着けるが、戦火は及ばない。そんな立地のためこの街には束の間の休息を取る戦士や騎士、兵士、魔導士らが多く滞在していた。

 ミハルらが住むのも、ライニールが魔女から与えられた仮住まいだ。

 街の各地にある煉瓦造りのアパルトメントの一室で、うっかりすると通り過ぎてしまいそうなほど同じ色形の建物が並ぶ一画にある。

「はい、牛肉1キロと、あとこの卵はおまけね、いつもありがとうよ!」

 肉屋の主人がカウンター越しにミハルに笑いかけた。「持てるかい?」などと、華奢な兎の獣人であるミハルを気遣うそぶりを見せている。

 ミハルはベージュのローブを羽織り、萌葱色の下履きにブラウンの皮のブーツを履いている。ライニールが支給品の中からミハルに与えてくれたものだ。

 主人から牛肉を受け取ると、ミハルは小脇に抱えた袋の中へそれをしまった。袋からはまだほんのり温かいバケットが二つ頭を出している。

「ここのお肉は品がいいですからね。ご主人も男前だし、また来ますよ」

 ミハルが愛想良く口角を上げ手を振ると、肉屋の主人はご機嫌に鼻を鳴らして手を振りかえす。彼はイタチの獣人だ。獣人はなぜか捕食対象の属性を持つ獣人に対して好意を抱きやすいらしい。つまり、兎のミハルは獣人にモテるのだ。それは時としてミハルを危険に晒したが、大人になってからはその特性の扱い方を覚え、このようにうまい具合に利用している。

 買い集めた食材を抱え、ミハルは帰路についた。ハイデの街は丘陵を切り拓いて造られたため起伏が激しい。賑やかな街の中心部から、急勾配の石畳の道を登っていく。ぐるぐると数回折り返した後に遥か向こうを見渡すと、戦線の街が微かに見えた。

 坂を登り切り、似たような建物の立ち並ぶ道をいく。この角を曲がって二つ目の建物だ。とミハルは未だに間違いそうになる自分に言い聞かせながら、辿り着いたアパルトメントの階段を登る。二階の奥の部屋だ。ドアノブに手をかける。それを開いた途端、ヒリスの大声が聞こえた。

「ライニールのバカ!」

 ミハルは部屋の奥に進む。

 リビングにはライニールとヒリスが向かい合って立っていた。

 ヒリスは最初こそ口数が極端に少なかったが、この頃はすっかり打ち解けていた。やはり良家の出身だからなのか頭もよく、よく喋るようになった。

「いったいどうしたの、喧嘩?」

 ミハルが問うと、ライニールは口を横一文字に結び、その腕を胸の前で組んでいる。

 ヒリスは目元に涙を浮かべながらライニールを睨みつけ、体の横で手をぎゅっと握りしめていた。

「ライニールのデカブツ! 悪人ヅラ! 毒舌!」

 ミハルはテーブルに買い物袋を置くと、興奮して肩を持ち上げているヒリスに歩み寄りその前に膝をついて屈んだ。

「ヒリス、あまりにも本当のことを言うと、人は傷つくんだよ?」

「あ?」

「いったいどうしたの? そんなに怒って」

 ミハルの問いに、ヒリスは俯き奥歯を噛んだ。

「ライニールが……俺にセントラルの魔術学校に行けって……」

 ミハルはライニールを見上げた。

 ライニールは表情を変えないまま黙っているが、ミハルには彼の思惑がなんとなく理解できた。

 ヒリスの家はもともと東部の魔術学校の教師の家系だった。魔法の才は遺伝することが多い。一度陣営の医師に診てもらったことがあったが、ヒリスにも当然のように魔術の才が備わっていた。

 魔法使いの数は多くない。ヒリスの存在は貴重だった。つまり彼はきちんと学んで魔法を身につければ、この先あらゆる方面から重宝され、生活に困ることは無くなるのだ。

「俺から推薦状を出したんだ。それが受け入れられた」

 ライニールはヒリスというよりミハルに向けて説明するようにそう言った。

「すごいじゃないかヒリス! セントラルの魔術学校なんて、エリートコースだろ⁈」

 ミハルはヒリスの肩に手を置いた。しかし、ヒリスはそれを振り払った。

「ライニールは俺のこと邪魔なんだ。だから追い出すつもりなんだ」

「チッ」

 ライニールは舌打ちだけを返して、その後結んだ表情のまま傍のソファにどかりと腰を下ろして足を組んだ。

 ライニールは圧倒的に言葉が足りない。ミハルは彼の代弁者となることが多かった。

「ヒリス。ライニールは君の将来のことを思ってるんだよ。邪魔だなんて、そんなわけないだろ」

「違う! ライニールは俺が邪魔なんだ! 絶対そうだ! 魔術学校に入ったら、ここからは通えない。俺は一人でセントラルに行かなきゃ行けない……」

 ヒリスは袖口で溢れそうな涙を拭った。

「ヒリスは俺たちと一緒にいたいんだね」

 ミハルはヒリスの顔を覗き込んだ。このくらいの年頃の男の子は少々複雑だ。ミハルにも覚えがある。ヒリスはぷいと顔を背け、唇を結んでいる。

「甘えんじゃねぇクソが。いつまでも誰かに面倒見てもらおうってつもりか? あ?」

 ライニールはまるで脅すように捲し立てた。ミハルは本能からか背中にヒヤリと汗が伝う。「そんな言い方しなくても」と言いかけたところで、ヒリスが足で強く床を踏みつけた。

「ライニールの……バ、バカー!!」

 そう叫んでミハルの体を押し退けると、ヒリスは部屋を飛び出して行った。

 ミハルは止める間もなくその背中を目だけで追い、立ち尽くした。

「チッ、アイツの悪口の語彙少なすぎだろ」

「まあ、もともとお坊ちゃんだからね」

 ミハルの言葉にライニールはフンと鼻を鳴らした。笑ったのかもしれないが、その顔が窓の外を向いたのでミハルにはわからなかった。

「さっきの言葉、俺にも刺さっちゃった」

「あ?」

 ライニールは室内に目を戻し、ミハルを向いた。ミハルはテーブルに歩み寄り、買い物袋の中身を取り出し並べていく。

「俺もいつまでもライニールの世話になってる訳にはいかないなって」

「ああ」

 ライニールは組んでいた腕をほどき、視線を足元へ向けた。

「また戦線が動き始めたらしい」

 その言葉に、戸棚に買ってきたものを仕舞い込んでいたミハルの手が止まった。

「そろそろ俺にも召集がかかる」

「……そっか」

 ミハルはライニールを振り返らないまま、再び手を動かした。グラスを2つ取り出しテーブルに並べ、買ってきたばかりのりんごのフレッシュジュースを注いだ。それをライニールの座るソファの前のテーブルに置くと、自分も隣に腰を下ろした。

「じゃあ、次にライニールが戻ってくる前に、自分の身の振り方を考えるよ」

 ライニールは黙っていた。

 ミハルはグラスを手に取り、口をつける。甘いリンゴの香りが鼻を抜けた。

「食堂でもやりゃあいい」

「え?」

「言ってただろ、お前の親父は戦争に行く前は食堂やってたって」

「小さいけどね。よくそんな話覚えてたね?」

「チッ」

 ライニールの舌打ちは彼の癖だが、それには状況によっていくつもの意味を持っている。今の舌打ちは、覚えていたことを指摘されて照れたのだと、ミハルにはわかった。

「お前の飯は悪くねぇ」

「ああ、うん。ありがとう」

 ライニールは肉好き、ヒリスはまだ味覚が子供、彼らの食の好みに合わせることはミハルには容易なことだったのだ。考えてみればミハル自身、誰かのために食事を作ることを楽しんでいたかもしれない。

「だから、食えねぇと困る」

「え?」

「戻ってきて、お前がいなかったら食えねぇだろ」

「だからお店開いてライニールが戻るのを待ってて欲しいってこと?」

「……チッ、クソが」

 ミハルは手のひらを握り、口元を抑えた。しかし、ライニールは横目でミハルが笑ったことに気がついたようだ。また腕組みしてもそもそと不機嫌そうに座り直すと視線を窓の外へと向けた。

「下の通り沿いに空き店舗があっただろ」

「あの宿舎の近くの?」

 ライニールが言っているのは兵士の宿舎や旅人向けの宿屋も多く、人通りがあり賑わっている場所だ。

「そこを借りた」

「えっ⁈」

 ミハルは驚き声を上げた。

「借りたって、お金払って契約したってこと?」

「そうに決まってんだろ、他に何があんだ」

「ライニール、俺が断ったらどうするつもりなの」

「あ?」

 ライニールは眉を上げた。

「断るのか」

 ライニールは腕を組んで背もたれに背中をつけた。相変わらず脅されているのかと思うほど顔が怖いが、珍しくその声音はどこか不安げだった。

「……いや」

 ミハルはまた手で口元に溢れる笑いを隠したが、肩が震えるせいでライニールには笑っていることは気が付かれているだろう。

「嬉しいよ、ライニール。でも、なんというか、君ってどこまでわかってそういうことしてるのかな」

 強引で不器用なライニールの行いも、年下だと思うと何故かミハルは許せてしまった。それどころか、可愛いとさえ思うのだから不思議だ。

「どういう意味だ」

 ライニールは眉根を寄せた。

「店構えて帰りを待っていて欲しいだなんて、なんだかプロポーズでも受けたような気分だ」

 ミハルはついに堪えきれず、お腹を抑えて笑い声を上げた。

 ライニールは言われて初めて自分の言動の不自然さに気がついたようだった。口をグッと結び、ミハルから目を逸らしている。

「笑いすぎだ」

「ああ、ごめんごめん。お店の名前どうしようかなぁ。ライニールのためのお店だから、君の名前をつけようか」

「チッ、やめろ、クソが」

 ライニールはまた舌打ちすると、ジュースの入ったグラスを傾けごくりと喉を鳴らした。

「ライニール」

「あ?」

「ありがとう」

「ああ」

「待ってるから、帰ってくるの」

「ああ」

 ミハルはそっとライニールの手に自分の手を重ねる。その大きな手は少し躊躇いながらも、ミハルの手を握り返した。

「ヒリス、探しに行こうか」

「ほっときゃ戻ってくんだろ」

「ライニール、こういう時は探しに行くものなんだよ」

「あ?」

「君って人の気持ちがわかるのかわからないのか、どっちなんだろうね」

「なんだそれ」

「まあ、いいや。ほら、ジュース飲み終わったら行くよ」

「……チッ、めんどくせぇ」



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