第26話 ショートケーキ
――俺はもともと、日本でも喫茶店員をやっていた。
俺の青春時代は暗黒だったが、唯一良かった思い出が喫茶店のバイトだ。高校から大学の7年間、ずっと同じ店でコーヒーを入れていた。
俺は喫茶店が好きだった。それもス◯バみたいなおしゃれなカフェじゃなく、昔ながらの地味ーな喫茶店。その気取らない感じとぬくもりある店内が好きだった。ちょうど近所にそんな理想の喫茶店があったので、アルバイトができる年齢になったらすぐに頼み込んで雇ってもらったのだ。
親のいない俺でも快く雇ってくれたいいマスターだった。
喫茶店でのバイトは楽しかった。友人からはわざわざそんなレトロなバイト先を選ぶなんて、と笑われたけど、俺は幸せだった。カップを磨いたり床を掃除したりおしぼりを作ったりなんて何気ない作業が全部本当に楽しかったんだ。喫茶店のマスターも俺よりずっと年上だったけど、いつも優しくしてくれた。
バイトに入った初めの年の、クリスマスのことだ。親がいないせいでクリスマスのお祝いなんて縁のない俺のために、マスターがショートケーキを作ってくれた。ケーキ作りなんて慣れてない初老のマスターが、一生懸命作ってくれたあの苺のショートケーキの味を、俺は一生忘れない。
喫茶店でバイトするうちにいつか自分でもお店を持ちたいなんて淡い夢も抱いたけど、夢は夢だ。俺にそんな金なんかないし、借りられる当てもないので大学を卒業したら大人しく就職した。喫茶店もコーヒーとも何の関係もない会社だった。
それでもいつか働いて貯金ができたら脱サラして開業なんていいかも……と考えていたんだが、俺の人生はそこで一気に狂った。
入った企業がとんでもないブラック企業だったのだ。毎日残業残業残業残業。給料の出ない休日出勤に上司のパワハラ。そして異常な予算とノルマ。
俺だって入ってすぐここはヤバいと思ったが、やめたら業界全社に連絡してどこも就職できなくしてやると脅されて辞めることもできなかった。
今になって考えるとそんなことできるわけないんだが、働いてた当時は本気でその言葉を信じ辞められないと思いこんでいた。たぶんろくに頭が働いていなかったんだろう。
結局俺は25歳で過労死する。最後の光景が何だったかも思い出せない。
そして……俺はこの世界に転生した。
テンプレ通りで恐縮だが、チート付きの新しい肉体を手に入れて、冒険者になった。冒険者時代もそれなりに忙しかったし危険もあったが、ブラック企業時代に比べれば天国と地獄だった。何しろ前世ではほんとに死んじまったんだからな。
だから俺は、この世界ではのんびり働くと決めている。
◆
俺がそんな過去のことを思い出したのは、カリンちゃんがうちの店にやってきてくれたことがきっかけだった。
カリンちゃんというのは、以前市場でチンピラに絡まれていたところを助けた少女である。まだ小さいのにお母さんを助けるため働くがんばり屋で、しかも俺が見るに料理人の才能がある。
今日は、お母さんといっしょにうちの店に遊びに来てくれた。以前病気で屋台を休んだというお母さんは無事に治ったらしい。カリンちゃんによく似た、優しそうな美人さんだった。
「この間はうちの娘が本当にお世話になりました。ありがとうございます」
「いえいえ、俺の方こそ勝手に出しゃばっただけなんで。その後お身体の方は大丈夫ですか?」
「はい、おかげさまでもうすっかり良くなりまして。今日はお礼がてら立ち寄らせて頂きました」
「ご丁寧にどうも。どうぞ小さな店ですがくつろいでください」
カリンちゃんのお母さんは丁寧に礼を述べてくれた上、手土産に商品であるBLTサンドまで持ってきてくれた。
ソラちゃんがテーブルで待つ二人の前に、飲み物とケーキのセットを持っていく。
「はい、カリンちゃん、ショートケーキとミルクコーヒー。お母さんはベイクドチーズケーキと紅茶です」
「「わ〜〜〜〜!」」
二人がケーキを見て目を輝かせる。その反応を見て俺まで嬉しくなった。
ケーキってのはすごい食べ物だ。落ち込んでても美味しいケーキを食べたらちょっと笑顔になれる。魔法の食べ物だ。
「うん〜〜! ケーキおいしい〜!」
カリンちゃんがショートケーキを頬張って顔をゆるませる。
ショートケーキは奥が深い。特にスポンジが命だ。ふわふわで、でも程よい弾力があって、食べておいしいスポンジを俺は作ってる。
ポイントは卵をしっかり泡立てることだ。空気をたっぷり取り込むようにとにかくしっかり泡立てる。そして泡立ったらそれが消えないうちに手早く他の材料を混ぜ、オーブンで焼く。力とスピードが勝負のなかなかな重労働だ。俺はケーキ作りに比べたらオーク狩りのほうがよっぽど楽だと思うね。
カリンちゃんが夢見心地で語った。
「ふわふわで〜、とろとろで〜、いちごもおいしくて……最高のケーキ!」
「うれしいこと言ってくれるねカリンちゃん」
ちなみにショートケーキの苺は、時期じゃないので俺のアイテムボックス保管のものを使っている。この世界にまだハウス栽培はないのだ。
カリンちゃんのお母さんが、テーブルからこっちを見て話しかけてくる。
「このベイクドチーズケーキもとってもおいしいです。今まで食べた中で一番おいしい。すごい、どうして……」
カリンちゃんのお母さんは、一口一口確かめるようにチーズケーキを口に運んでいる。味を楽しみつつ、料理人として分析もしているらしい。さすがカリンちゃんのお母さんだ。
褒めてもらえたのが嬉しくて、ちょっとレシピを教えることにした。
「生地にチーズだけじゃなくて、白ワインとサワークリームを加えているんだ。香りも味も濃厚になって、しかもやわらかく仕上がる」
「すごい……レモンの皮も刻んで入れてますね?」
「さすが、気づいたか。香りがさらに良くなるし、複雑な味わいになるんだ。まあ大人向けのケーキだな」
「マスターさんすごいです! こんなに美味しいケーキを作れるなんて……。一体どこで修行を?」
「はっはっはっは、ま、そこは秘密だ」
まさか別の世界で修行したなんて言えないしなあ。
それにしても……と、美味しそうにケーキを食べるカリンちゃん親子を見て、俺は感慨にふけった。
俺が、まさか異世界で、思い出のショートケーキを振る舞うことになるとはな。
ソラちゃんが俺の顔を覗き込んで言う。
「どうしたんです? なんかニヤニヤしちゃって」
「いや、俺もケーキを振る舞う側になったんだなと思ってさ」
「?」
「なんでもないよ。こっちの話」
前世でのマスターが俺にケーキを作ってくれた時も、きっとこんな気持ちだったんだろうな。
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