6章 調査結果②
夜明け前、ノエルはすでに目を覚ましていた。起きようと思っていたわけではない。ベッドが合わないのか時々目が覚めてしまうのだ。今日も何度か目を覚まし、その度に窓の外を見てまだ夜中かと気だるい身体をベッドに埋める。何度目かの目覚めの際、遠くで鳥の囀りが聞こえた。もう時期に夜明けかと起きることにした。
エリックを起こさないようにベッドから出て縁に座る。
(コーヒーが飲みたい)
そう思ったが夜明け前。宿に頼むのも迷惑になる。我慢することにした。
目の前には廊下側の壁、窓もない。することもないノエルの頭の中は呪い、エルロン画のことでいっぱいになっていく。
エルロン画の毒素。長期間にわたって吸い込み続けた職人が何人も死んだという絵の具に秘められた毒。
モールド家の壁の絵画は脆く、ボロボロと表面が剥がれていた。あの大きさだ、宙を舞う量もそれ相応だろう。モールド家の人間はそれを長期間吸い込み続け、身体に毒素が溜まり、結果として早期に亡くなってしまった。モールド家使用人も同様、絵の具の毒を吸い込み続けて身体を壊した。逆に庭師のロウが勤め続けられたのは室内にあまり入らないから毒素を身体に入れることが少なかったのだろう。
(筋は通っている…はず。というよりこれが全くの検討違いなら正直お手上げだ)
一瞬、父の影に縋りそうになる。ノエルはなんとかその考えを頭から追い出す。そのまま後ろに倒れるとふかふかのベッドはノエルの身体を受け止める。瞬間的に急激な眠気に襲われる。意識が沈んでいく中、ふと浮かんだエリックの言葉がわずかにノエルを覚醒させる。
『キミは寿命が縮まる呪いの正体に迫ったんだ。それでいいじゃないか』
そうだ、その通りだ。やるべきことはやった。一つの結論も出した。何より依頼主が十分だと言っているのだ。これ以上深く首を突っ込む義理も理由もない。それなのに…
『本当にそれでいいのか?』
と耳元で誰かが囁くのだ。
いい、いいはずだ。いいはずなのに煮え切らない。煮え切らないのだ。
いくつも謎が残った。ダグラスという魔術師のかけた呪いの正体、壁の絵画がボロボロと崩れる理由、あの絵画が描かれた経緯、細かいものはもっとあるだろう。
ダグラスの呪いは思えばエリックの分野だろう。魔術を使われていればノエルにはさっぱりわからない。絵画が崩れる理由もきっと偶然だ。壁の材質が
悪かったのだろう。絵が描かれた経緯?考える必要はない。わかったって今ある絵画に影響はしないんだ。そう、気にしなくていい。気にしなければいい。気にしなければ…。
◇◇◇
「そろそろ起きろノエル」
エリックの声にノエルは目を覚ます。身体が痛い、所々痺れた感覚すらある。座った状態から倒れたまま眠っていたせいだ。引きずるように身体を起こすとエリックから
「朝食はそれで我慢してくれ、コーヒーはすっかり冷めてしまったが」
と言われる。
サイドテーブルには紙袋に入ったパンと冷めたコーヒー。パンを頬張ってコーヒーで流し込む。手早く着替えを済ませて身だしなみを整える。
行こうか、とエリック。2人は宿を出て目の前で待つ馬車へノエル、エリックの順で乗り込む。
走り出した馬車の窓を開けて潮の香りの混じる風にノエルは髪を靡かせる。肘をかけ、ずっと遠くのぼんやりと霞む景色にピントが合うまでじっと見続けた。
中身のない不毛なことに興じる時間はあっという間に過ぎる。モールド家の屋敷はもう目の前だ。
速度を落とし、馬車が止まる。乗った時とは逆、エリック、ノエルの順に馬車を降りる。
門の前に立つ。すると屋敷の中からセレンが出迎えに出てくる。
よし!と小さく気合を入れるノエル。それを見ていたエリックは
「随分と気合が入っているな」
と笑う。
「いつもそうなんだ。自分の推理を依頼主に話す時は緊張してしまう。合っているかと不安になる」
そう話したノエルにエリックは驚いた様子を見せる。エリックが言葉を発する前にセレンに門が開けられノエル達は中に招かれる。
「おはようございます、セレンさん」
愛想よく挨拶をするノエル。エリックにはそれすら珍しく見えていた。
「おはようございます。ノエル様、エリック様」
丁寧にお辞儀をしてセレンは2人を屋敷へ案内する。門から屋敷の扉までの道の途中、庭で作業をする庭師のロウがこちらに気づき、駆け寄ってくる。
「どうですか?例の件、何かわかりましか?」
ロウは小声で、まるで聞かれてはいけない秘密の話をするようにノエルの耳元で話す。
「ええ、わかりましたよ」
「ほ、本当にわかったのか?!」
ロウは声を上げる。ノエルは笑顔を浮かべ
「今からエミリエさん達にも説明するつもりです。あなたも一緒に来てください」
とロウを誘う。深刻そうに頷くロウはノエルの少し後からついてくる。
屋敷の扉が開けられる。一度目とはまた別の緊張を抱えて。
「おはようございます、エリック様ノエル様。今日はノエル様にも来ていただけたのですね」
出迎えたエミリエは以前の男装のようなジャケットとズボンではなくシンプルで可愛らしいドレスを着ていた。服装が変わるだけで随分印象が変わるものだ。
「おはようございます。エミリエさん、本日もよろしくお願いいたします」
ノエルもエリックも同じような挨拶をする。
「はい、よろしくお願いします。今日もお二人は書斎で調査されるのでしょうか?」
何気ない会話、何気ない問い。緊張しているノエルには核心を突かれた気になってしまう。
「実はですね…」
切り出したのはエリック。気を遣わせたのだろうか。
「今日は呪いの正体についてお話しさせていただきに来ました」
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