5章 ノエルの調査④

 カランと扉についたベルが鳴る。


「悪いね。今日はもう店…」


 店の入り口を潜った相手を見て言葉を止める。


「また、あんたか…」


 グレース工房の親方と呼ばれていた大男が顔を顰める。


「どうも、親方さん。エルロン画について教えていただきに来ました」


「…教えられないと言ったはずだ。帰ってくれ」


 ノエルは意に介さず、ずかずかと店の中に入っていく。おい!と怒鳴られるがお構いなし。カウンターまで行って肘をつく。挑戦的な笑みを浮かべる。


「聞いてしまったんですよ。エルロン画の絵の具に毒が入ってるって」


「なっ!!」


 大男は一瞬で顔を真っ赤にする。それも一瞬、もとの顔色に戻る。


「わかった、奥の部屋に来てくれ」


 大男はカウンターの奥へ向かう。ノエルも中に入って後に続く。


 急に大男は振り返りノエルを睨みつける。


「先に言っておくがやましいことは何もない。この工房の名にかけてな」


 ノエルの胸に人差し指を突き立て、大男は宣言する。


 ものが積み上げられごちゃごちゃとしている小さな部屋。背もたれのない丸い椅子が4つ。それらに大男とノエルがそれぞれ座る。


「で?なにが聞きたい?」


 あからさまに不機嫌な大男。


「エルロン画に使われる鉱石の毒についてです」


 大男は舌打ちをした。


「毒というのはやめてくれ。問題ないと証明されている」


「詳しく」


 短く促すノエルに大男はまた舌打ちをする。


「エルロン画に使われる鉱石は外国のエルロンってとこで取れるんだ。で、その鉱石を砕いて粉にして絵の具を作る職人みてえのがいるんだがそいつらが次々倒れる異変が起きた。それで色々調べられて使われてる鉱石3種類全部に毒素が含まれることが判明した」


「3種類も使われているのですか?」


 大男は頷いて


「そうだ。一番有名なのはブルーだが他にグリーンとオレンジもある。それでだ、エルロン画の制作が禁止された。何十年も前の話だ。

 ずっと制作されてこなかったエルロン画だが根強い人気があってな、近年復活させようと詳しい調査が行われた。結果として鉱石を砕いた時に舞う粉を吸い込み続けたことが原因で起きたことだと判明した。絵の具を使って描いても絵を飾り続けても問題はないと言うこともな。

 それで鉱石を砕く工程を改善し、一番毒素が強かったブルーの配合を変えることでエルロン画は復活した」


 得意げに語る大男。


「要するに確かに使われてる鉱石に毒素はあるが安全性は証明されてる。ごちゃごちゃ言われる筋合いはないってことだ」


 わかったか?と偉そうに。


「ではモールド家の絵画が年に一度という頻度で修復が必要な理由は?」


「それは俺にもわからん。絵の具がボロボロと剥がれてくるんだ。嘘じゃない。疑うなら見せてもらうといい。剥がれた絵の具が落ちてるさ」


「あの絵画はこの工房でずっと修復してきたのですか?」


「そうだ。何代も前からな」


「ならエルロン画が禁止されている間にも修復を続けた理由は?」


 ノエルの問いに大男は初めて顔を曇らせた。


「それは…わからんな。俺が継いだ時にはもう禁が解かれた後だった。まあ禁止された、といったが外国の話だ。この国では禁止されていないから修復を続けたんじゃないか」


 それからまた舌打ちをして


「さあもういいだろ。帰ってくれ」


とノエルを追い出そうとする。


「碌でもない」


「あ?」


 呟いたノエルに対して怒りを滲ませる。


「確認させていただきたいのですがエルロン画に使われている鉱石に毒素があるのは間違いないのですね」


「…ああ、そうだ。だが絵を飾るだけでは人体に影響はないと証明されている」


「モールド家の壁の壁画は毎年修復が必要なほど崩れるが理由は不明、と」


「ああ、この工房の名にかけていかがわしいことはしていない」


 それを聞いたノエルの唇はいやらしく歪んだ。


「では…」


 ノエルはゆっくりと眼鏡を外す。


「吸い込み続けると人体に影響が出るような毒素を含む絵の具がボロボロと崩れる状況をこの工房では危険だと指摘せずに毒を撒き散らし続けたと言うことですね?」


「てめえ!」


 大男は椅子を蹴り飛ばしながら立ち上がった。頭に血を昇らせ、顔を真っ赤にしながら。


「いい加減にしろ!安全性は保証されてるって言ってんだろ!何度も何度も言わせんじゃねぇ!!」


「寝呆けるな」


 ノエルも立ち上がり大男に顔を近づける。その眼はカミソリのように鋭く冷たい。


「都合のいいことばっか言ってんじゃねぇぞ。安全だと言われたのは普通のエルロン画だろ?毒が混じってる絵の具がボロボロ崩れる絵の安全性を誰が保証してんだ?」


 大男は一気に青ざめる。


「少し考えればわかることだろう?お前は今まで都合のいい理由を並べて毒を塗りつづけてきたに過ぎないんだよ」


 大男は青ざめた顔で一点を見つめる。


 ノエルは目の前の図体のでかい小物に対して軽蔑の視線を送る。つまらない、煮えたぎった怒りもあっという間に冷めた。


 踵を返したノエルに大男は


「ま、待て。どこへ行く」


 必死な顔で呼び止める。ノエルはそれを鼻で笑う。


「ご安心ください。私はモールド家に雇われたわけではありませんから。いちいちあなたのことを話したりしませんよ」


 大男はわずかに安堵の色が見えた。ゆらりとノエルの中で何かが揺れた。


「それでは失礼します。ああそうだ。ご存知ですか?ジェイコブさん亡くなったそうですよ。不自然な亡くなり方だったそうです。一体何が原因だったのでしょうね」


 ノエルはそのまま工房を出る。


 余計なことを言った。それはわかっている。


 ノエルはふーっと息を吐く。帰ろう、重い足取りで宿に向かう。ぐるぐると渦巻く、ねっとりとまとわりつくような何かを抱えたまま。

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