5章 ノエルの調査②
アテもなく歩いていくノエルは一件の喫茶店を見つけた。ちょうどいい、朝食を済ませていなかったノエルは入ることにした。
窓の近い席に座る。ウェイターにサンドイッチとコーヒー、それと新聞を注文する。ウェイターはすぐに新聞を持ってきてくれた。
『コーロット新聞』
この街の地元新聞だろう。ノエルは新聞を頭から読んでいく。
不思議なものだ、と思う。あれだけ読みたくなかった新聞も知らない土地の知らない新聞となるとすんなり読み始められる。いつもこうであってくれればいいのだが何故かそうはいかない。
コーヒーとサンドイッチが運ばれてくる。新聞を端に置いてコーヒーに口をつける。
(さて、ここからどうしようか)
グレース工房では思っていたように情報が手に入らなかった。一番情報が手に入ると踏んでいただけに行き詰まってしまう。どうしようかと悩んでも思いつくのは美術商を訪ねるくらい。
サンドイッチに手を伸ばす。スタンダードなたまごサンドとレタスハムのサンドだ。まずはたまごサンドにしよう。これでもかと言わんばかりにたまごが挟まれている。一口齧るとクリーミーなたまごが口いっぱいに広がる。次はレタスハムサンド。新鮮なレタスとハムの塩気が口の中で調和する。どちらも絶品だ。偶々入った店だったが当たりだ。
ノエルはあっという間にサンドイッチを食べ終える。満足した。少し冷めたコーヒーを飲みながら窓の外を眺める。
店の外を人々が通り過ぎていく。男、女、老人、若者、ある者は無表情で淡々と。ある者は談笑しながら楽しそうに、またあるものは慌てた様子で急足で。窓から見える限られた世界。現れてはすぐに消える。それぞれがそれぞれの理由でどこかに向かっているのだろう。ぼーっと眺めながらノエルは物思いに耽っていた。
カップに口をつける。傾けてもコーヒーは口に入らない。離して中を覗くと空になっていた。
そろそろ行かねば。
ノエルは立ち上がってウェイターを呼ぶ。次の行き先は美術商以外の案は浮かんでいない。ならば行き先は美術商だ。可能性があるなら行動する。それが凡人ノエルの仕事のやり方だ。
やってきたウェイターに代金を支払う。視界には入った新聞は結局ほとんど読んでいない。
「ありがとう、とてもおいしかった」
「それはよかった。良い一日を」
笑顔で挨拶をして立ち去ろうとするウェイター。ノエルは彼を呼び止めた。
「待ってくれ。店を探しているのだが聞いてもいいか?」
「ええ、もちろん。どこでしょう」
「美術商か絵画を扱っている店に行きたいんだ。この辺りにあるかな?」
ウェイターは考え込む。近くの別のウェイターを呼んで相談する。しばらく話したあと、ああ!あそこか!と声を上げた。どうやらわかったらしい。
「お待たせしました。正面のこの道を北へ真っ直ぐ進んでください。すると菱形の広場が現れます。その広場を東に向かってください。その道を進むと左手に一軒だけ店が出ています。その店が美術品を扱っています」
「わかった。どうもありがとう」
礼を言ったノエルにウェイターは、良い一日を、と言ってくれた。
店を出て目の前の通りを北へ向かう。すぐに広場に行き着く。綺麗な菱形、その頂点にあたる部分からそれぞれ道が伸びている。ノエルは東側に伸びる道へ入っていく。
聞いていた通り店はないように見える。住宅ばかりのせいで人通りも少ない。こんなところに本当にあるのかと思いながら進む。
すると一軒、小さく看板を掲げる建物があった。ここが聞いた美術品の店だろうか。ガラスから覗くと中にいた男と目が合う。小柄な男。出っ歯が目立つネズミのような顔をした男だ。小男はサッと扉の前に移動する。一歩扉に近づいたノエルを見てすかさず
「いらっしゃいませ!どうぞ中へ」
と促す。
言われるがままにノエルは中に入る。
店の中はダークブラウンの木目調の壁、床には赤い絨毯が敷かれ圧迫的な高級感が漂っている。調度品は数点飾られているだけで本当に美術品を扱った店かと疑ってしまう。
しかし、そんな心境は悟られてはいけない。今のノエルは美術品を買い求められる程には金がある人物だと思われなけれなければならない。
「美術品店だと聞いて来たのだが間違いないか?」
「はい!間違いございません!お申し付けいただければ奥からお出しします」
小男は手揉みをして答える。絵に描いたような商人のようだ。
「エルロン画を探している。扱っているか?」
「エルロン画!お客様、通でございますね!」
大袈裟に驚いた顔をする。本当の金持ちにはこういう接客が受けるのだろうか。
「どういった絵をお探しでしょう。ご希望はございますか?」
ない。それにどうといわれてもそもそも知らない。だから聞かれても困る。
「実は知り合いに見せてもらったものがとても素晴らしくてね。私も欲しいと思って来たものだから」
「そうでしたか!でしたらいくつかお持ちしましょう!」
ノエルが言い終わる前に小男はそう提案した。少々お待ちを、と言って奥へ引っ込む。誰かに何かを指示する声が漏れ聞こえる。先ほどまでとは違って強い口調、どこまでも絵に描いたような商人だ。
「お待たせしました。すぐにお持ちしますので。それでお客様、エルロン画がどう言った絵かご存知でしょうか?」
ニコニコとしてそう尋ねる。
「いいや、その辺りも知らないな」
「でしたらお待ちいただく間、ぜひお聞きください!」
小男はノエルの反応を待たず得意げに話し始める。都合がいい、この小男がお喋りで助かった。
「エルロン画の発祥の地はこのランディアの隣のそのまた隣の国の小さな田舎町、エルロンというところで生まれました。エルロン画のエルロンは地名なのです。
この町ではいくつかの鉱石がとれたのですが使い道がなく価値のないものでした。住人たちはなんとかこの鉱石を使えないかと知恵を絞ったのです。そして!彼らは鉱石を砕いて絵の具に混ぜることを思いついたのです!それが大成功!色合いが、特にブルーが美しいと評判になりたちまちこの鉱石を使った絵画はエルロン画として有名になりました。おかげで絵画だけでなく鉱石も飛ぶように売れるようになり、町は大儲け皆が幸せになりました、といかないのがこの話。
実はこのエルロン画、突如描かれなくなるのです。6、70年ほど前でしょうか。何故かと思うでしょうがそれはただの商人である私の知り得ないところ。とにかく突如描かれなくなるのです。ですが最近、エルロン画を復活させようとする動きが出て来ました」
見計らったように女性が静かに二枚の絵画を持ってきてノエルの前に並べた。
「ご覧ください!これがエルロン画!右が最近復活したもの、左がエルロン画が生まれた当時のものです」
自信満々といった様子の小男。ノエルは出された二枚の絵を見比べる。どちらも風景を描いたもの。違いはないように思える。というよりモチーフが違う絵を見比べてもノエルには差などわからない。強いて言うなら絵の具の色がほんの少し違って見える。おそらく古い方が変色したのだろう。
「どちらもいい絵だ。左の古い方がブルーが少し濃いように見えるが気のせいか?」
「おお!お客様は素晴らしい目をお持ちだ!実はそうなのです。復活させる際、絵の具の配合を僅かに変えたそうです。それもブルーだけ!殆どの人は見比べても気づけません。それをお客様は見事に見抜いてみせた。いやはや本当に素晴らしい!この差に気づけるお客様には是非!こちらの当時の絵をお買い上げいただきたい!」
嫌な流れになってきた。当然買うつもりなどないノエルは顎を摩りながら悩んでいるような仕草をする。
「…いくらだ?」
「金貨200枚でいかがでしょう?」
今まで図太く客のフリをしていたノエルも背中に冷や汗をかく。到底買えるような値段ではない。上手く断らねば破産する。
「こっちの新しい方は?」
「金貨20枚です」
新聞記者時代の給料と同じくらいの値段。それなのに安く感じてしまう。これが商人のやり方だろう。
「そうだな…」
「絵がお気に召しませんか?他にもいくつかありますのでお持ちしましょうか?」
「そうではなくて知り合いが持っていたのは新しいのと古いのどっちだったのだろうと思って。どうせなら同じ方が欲しいと思って」
「なるほど…。いつ頃手に入れたなどおっしゃっておられませんでしたか?」
「いいや、何も…あ!」
「おお!思い出されましたか?」
「すまない、そうではなくて聞きたいことを思い出した」
「おや?なんでしょう」
「聞いたのだがエルロン画は脆くて定期的に修復が必要だと聞いたんだがどのくらいの頻度で修復が必要なんだ?」
小男は片眉を上げ、首を傾げる。
「はて?なんのことでしょう」
「ぽろぽろと絵の具が剥がれてくると聞いたのだが」
小男は後ろで控える女性の顔を見る。女性はかぶりを振る。
「失礼ながら何かの間違いでは?どちらの絵も絵の具が剥がれるようなことはございません。その証拠に…」
小男はどこからか綿のついた棒を取り出す。その棒の綿の部分でそっと絵を撫でる。
「この通り、崩れることはありません」
綿には何もついていない。当然、絵が崩れることもなかった。
「本当に絵の具は剥がれないのか…」
「ええ、この通りです」
(ならどうして壁の絵は頻繁に修復が必要になるんだ)
この小男が売りつける為の嘘をついているのかと疑う。しかし、その表情には僅かに困惑の色が滲んでいる。嘘をついているわけではないのだろうか。
「一度出直させてもらおう。知人に詳しく話を聞いてからにさせてもらいたい」
「ええ、それがよろしいかと」
ノエルは店を出る。またお待ちしております、と手揉みをする小男に見送られる。
ノエルはまたアテもなく歩き出す。
(あの絵には一体何が隠されているんだ)
何故か剥がれる絵の具、それとエルロン画が一度廃れた理由も。新たな謎にノエルはこめかみ辺りが痛むのを感じた。
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