5章 ノエルの調査①

 ノエルは朝早くから今日着ていく服を選んでいた。流行りを取り入れたカジュアルな、良くも悪くもない生地のものと厚手の生地を使った仕立てのよいノエルの一張羅、どちらを着ていこうか。服選びは重要だ。服装はその人を映す。皺だらけの服を着ていればだらしなく見えるし逆に乱れがなければ几帳面に見える。他にも薄く粗悪な生地を使った服を着ていれば服装に回す金がない貧乏人かあるいは財布の紐が硬い過度な倹約家にみえるだろう。


 ノエルが悩んでいるのはどの程度金を持っているように見られるべきかというところだ。


 今回相手にするのは芸術家とその芸術の商売人となるだろう。となれば貧乏人に見られるのは得策ではない。あとは人並みなのかそれより余裕があるのかどちらが有利かだ。


 ノエルは何度か服を広げて考え、結局一張羅を着ていくことにした。多少金があるように見えないと商売人には相手にされないかもしれないと思ったからだ。


 服に袖を通す。この服を今までに着た回数は数えるほど。汚れないでくれと願う。


 身だしなみを整え、最後に確認をする。


 出かける準備を完了したノエルは起きたばかりのエリックに出かけると伝えて部屋を出る。目的地のグレース工房への道は宿のロビーで聞いてみよう。


 ロビーには若い男性がカウンターに立っていた。ノエルは早速声をかける。


「おはようございます。すみません、道を聞きたいのですが」


「ああ、はい。なんでしょう」


 男性はどこか素っ気ない。


「グレース工房というとこらなんですがわかりますか?」


 グレース工房、と男性は呟く。間があって、ああ、と言って説明を始める。


「ここからですと正面の通りを右手にしばらく真っ直ぐに向かってください。するとパロットという名前の喫茶店が出てくるのでその店を目印に右折してください。その道をずっと真っ直ぐに進むと小さな広場が出てきます。その広場に入って左を向けばそこにあります。派手な看板なので簡単に見つかると思いますよ。少し遠いですが歩いて行けると思います」


「わかりました、ありがとうございます」


 ノエルは頭の中で道順を反芻しながら宿を出る。後ろから、お気をつけて、と聞こえた。


 宿を出ると朝のひんやりとした空気に出迎えられる。海は見えないが近いだけあって潮の香りも混じっている…気がする。風は瞬間的に強く吹く。今日は部屋に帽子を置いてきたが被っていたら飛ばされていたかもしれない。


 言われた通りに右手に向かって歩き始める。今はそれほど急いでいない。ゆっくりと周りを見ながら歩く。


 同じ国なのにも関わらず地域が変わるだけで街は随分と様変わりする。それにローレオの街と比べると気のせいか明るく感じる。ローレオの街では大通りから逸れると薄暗く冷たい雰囲気に包まれる。しかし、この街では大通りでなくとも明るいように感じる。時間や向きでたまたまそうなっているのか、知らない土地で気分が高まっているせいでよく見えているのか、おそらくそんなところだろう。不思議な気分になりながらノエルは歩いていく。


 しばらくすると『パロット』と書いた看板が見える。


(あそこを右に曲がるんだったな)


 聞いた通りに右折する。真っ直ぐに続く道。ノエルはずっと先を見る。聞いていた広場は見えない。まだまだ歩くことになりそうだ。


 ふと青空に目がいく。


(そうか、建物の背が低いのか)


 そのせいで空がよく見える。光がよく届く。だから街が明るいのだ。


 ノエルは1人納得し、満足していた。些細なことにも気をかけながら歩く。


 そこからが遠かった。道を間違えたかと不安になる程遠かった。店もない通りだったせいでどこかに分かれ道でもあったかと考えてしまった。


 やっと広場らしきものが見え、安堵した。左側に工房があると言う話だったので遠目で見てみると随分と派手な看板が見えた。


 文字までは読めなかったがあれで間違いないと思わせるほど派手だった。


 建物の前に到着する。


 『グレース工房』


 何色も絵の具を垂らしたような鮮やかさが目をひく看板だ。


「ごめんください」


 身だしなみを整え、ノエルは工房の扉を押して入る。カラン、とベルが鳴る。絵の具の匂いが鼻をくすぐる。工房の端には積まれれた画材や描きかけの絵が目につく。


「いらしゃい、何かお探しですか?」


 正面のカウンターから声をかけてきたのは3、40代くらいの剃り残した髭が目立つ男性。この工房の画家の1人だろうか。その服には絵の具が飛び散っている。


「エルロン技法という技法で描かれた絵画について知りたいのです」


 エルロン、と呟いて男性は眉間に皺を寄せる。


「エルロンというのは技法ではなく。特定の絵の具で描かれた絵の総称です。エルロン画と呼ばれています」


 ノエルは首を傾げる。


「エルロン技法、と言っていたと思ったんですが…。私が見た絵画は綺麗なブルーが印象的で素晴らしいものでした。エルロン画もそうなのですか?」


男はうーん、と唸る。


「エルロン画のブルーはとても鮮やかで美しいですが…その絵がエルロン画かどうかは見てみないと確かなことは言えません」


 うーん、と今度はノエルが唸る。エルロン技法と言っていたはずだがそんな技法はないと言う。おそらくはエルロン画の間違いなのだろうが断定していいものか。


「お聞きしたいのですがエルロン画を探してなぜうちを訪ねてきたのですか?」


男性は何かを探っている、ノエルの反応をみようと目つきが変わった。


「絵画を見せていただいた方がここなら扱っているとおっしゃっていたので」


わざと焦らす。


「…どなたでしょう?お得意様かもしれません」


明らかに聞き出そうとしている。


「モールド家のエミリエ様です。壁に描かれた絵画がとても素晴らしかった」


男性は一瞬、目を見開いた。それから平静を装って


「なるほど、それなら親方を呼んで来ましょう。モールド家の方々は親方のお得意様なので」


と言って奥へ下がる。


 何かを隠している。バレバレだ。モールド家の名を出した途端、親方を呼びにいく。あからさますぎて笑ってしまいそうになる。彼らは芸術家であり職人だ。この手の駆け引きは得意ではないのだろう。


 奥から声が聞こえてきた。出てきたのはガタイのよい大男。芸術家のイメージとはかけ離れた筋肉質で目つきの鋭い男。額には大きな傷があり、戦場帰りの兵士だと言われても信じてしまうだろう。


「あなたがエルロン画について知りたいと言う者か?」


「はい。モールド家のお屋敷で見せていただいた絵画が素晴らしかったので知りたいと思いまして」


 ノエルは笑顔を見せてやる。


「悪いが何も教えることはできない」


大男は冷たく言い放った。


「なぜですか?」


「それはだな…エルロン画の画材は特殊なものが使われている。それを知られると困る」


「ではそれ以外なら教えていただけますか?」


「…駄目だ。エルロン画が描ける工房は少ないんだ。…ライバルが増えるのは困る。ほら…例えあなたに悪意がなくても何が起きるかわからないだろ?」


「確かにそうかもしれませんね。浅慮でした」


 引き下がったノエルに大男は明らかに安堵の色を浮かべていた。


「わかってくれたならいい。気にしないでくれ」


 そう言うと大男はそそくさと奥へ引っ込んでいった。


 ノエルも工房を出る。カランと扉のベルが鳴る。閉じた扉の前、掲げられている看板を見上げた。


 間が全てを物語っていた。


 答えを考える間。言葉を紡ぐまでの間。


 真実を隠すために生まれた間。しかしその間こそ隠し事が存在を示してしまっている。


 あの大男は芸術家としては一流なのかもしれないが商売人としてはそうでもないのだろう。何も語らずともノエルに隠し事の存在を確信させてしまっていた。


 (さて、あの態度をどう読むか)


 隠し事があるのは間違いない。それを悟られたくないのなら問答無用で追い返してしまえばいい。でもそれをしなかった。あるいは出来なかった。それをどう読むか。


 まず思いつくのはただ穏便に済ませたかっただけ。追い返すより納得して帰ってもらいたかった、もしくはノエルがモールド家の名を出した手前強く言えなかった、そんなところ。


 他に考えられるのは罪悪感、後ろめたさ。鍵になるのはやはりモールド家。かの一族に対して隠し事をしている罪悪感を持っていた。だからモールド家の名を出したノエルをぞんざいに扱うことができなかった。


 もしくはノエルから情報を引き出そうとした。モールド家に隠し事を知られたのではと思って話からそれを探ろうとした。


 唯一、3つ目の線は消せるだろうと思ってる。もし情報を引き出そうとしているなら向こうからの質問をしてくるはずだ。それをしなかったということは情報を引き出そうという意図はなかったのだろう。加えて言えば最初に、何も教えられない、と突っぱねようとした。やはり情報を引き出そうとする気はなかったのだろう。


(いいや、最初のあれは拒絶か)


 モールド家、それとエルロン画、この二つに関わる隠し事に触れようとするノエルを思わず拒絶したのだ。そして取り繕った。それらしい理屈を捏ねて煙に巻こうとしたのだ。


 ノエルはガラス越しに誰もいなくなった工房のカウンターを見つめる。しばらく眺めてからノエルは工房を離れる。


 あの絵には何かある。そう確信できた。


(しかしなあ…)


 工房で話を聞けば大方の疑問は片付くと踏んでいたノエル。予想外の空振り、次はどうしようかと考えながら当てもなく歩いていく。

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