ローレオの街の探偵と魔術師
維七
魔術と絵画
1章 依頼①
ローレオの街が夕焼けに染まる。
ローレオはこの国ランディアの東側に位置する大きな街だ。隣国との国境が近いこともあり、市場には沢山の交易品が流れてくる。そのため繁華街では交易品を扱う店が並び大きなマーケットを形成している。
繁華街のメインストリートは老若男女問わずいつも多くの人でごった返している。ローレオの住民だけではない、遠くからも物珍しい交易品を求めてやってくるのだ。彼らの眼は熱を帯びている。目新しい物に珍しい品に、あれがいいこれがいい、あれはダメこれはダメ、とそれぞれの視点で買い物を楽しんでいる。
そんなメインストリートを一本逸れると繁華街の様子は一気に様変わりする。そこには高級店や隠れた名店が立ち並び、静かでゆったりとした空間が広がっている。
静かな雰囲気の店に隠れて一件、周りとは違う飾り気のない看板を掛けげる建物がある。
『ニコラリー探偵事務所』
この探偵事務所の主、ノエル=ニコラリーは1人コーヒーを飲みながら新聞を読んでいた。
ノエルが読んでいるのはフォード新聞。この街一番のシェアを誇る大手新聞社の新聞だ。一番のシェアと言っても二番手のリコット新聞との差は僅か。むしろ記事の評判だけで言えばリコット新聞の方がいいものを聞く。リコット社の記事はフラットな視点で鋭く切り込む爽快な記事が多いと。
ノエルもその意見に全面的に同意する。
同意はするが読んでいるのはフォード新聞だ。理由は単純。リコット新聞の紙面を見るだけでノエル自身がリコット新聞社に勤めていた頃の思い出したく無い記憶が次々蘇ってくるからだ。
本心を言えば新聞など見たくもない。そう思うほどノエルにとって苦いものとなっている。
しかし、そうも言っていられない。探偵という仕事柄、世間の情報というものは仕入れておかなければならない。
読みたくない。しかし読まなければならない。
その葛藤のせいでいつも読み終えるのは夕方になる。最近では新聞を読み終える頃が探偵事務所の営業時間の終わりの目安となりつつあった。
(そろそろ今日は閉めようか)
今にも闇に呑まれてしまいそうな弱々しい茜空を窓から見上げてそう思う。
今日も依頼は来なかった。珍しいことではない。
繁華街に事務所を構えているのにも関わらずいつも閑古鳥が鳴いていた。仕方のないことだ。探偵という職業は認知はされていても実際に依頼をする機会などそうそうない。
ノエル自身、これまで探偵に仕事を依頼したこともしようと思ったこともない。探偵なんてそんなもんだろう。
大儲けできる職業じゃない。食っていけるだけで御の字だ。
にも関わらずこんな繁華街に事務所を構えられているのはこの事務所を立ち上げ父のおかげであり、父のせいだ。
父は名探偵と呼ばれていた。持ち込まれた資料を読むだけでずばりと事件の真相を言い当てる。あまりの離れ技に千里眼や透視能力などと噂されることもあった。その噂が人を呼び、父の元には多くの依頼が来ていた。どこから聞きつけたのかついには国中から依頼人がやってくるようになった。
その中には有力者と呼ばれる奴らもいた。
父の跡を継いだノエルに勝手に父と同じ技量を求めて勝手に失望して離れていった奴ら。自分なんてこんなもんだ。父とは違う凡人。依頼を失敗しなかっただけありがたいと思え。
ふぅーっと息を吐き、ノエルは視線を新聞に戻す。最後の記事を読み終えたら事務所を閉めよう。そう決めて新聞を読み進める。
こうやって後回しにした時に限って面倒ごとが舞い込んでくるものだ。
すぐのことだった。トントントンと階段を登る音が聞こえてきた。
足音はおそらく2人分。2人である点から郵便配達員などではない。聞き耳を立てているとノックもなく扉が開かれる。
「ノエル、いるかい?」
聞き覚えのある声。面倒ごとの匂い。
「悪いね。今日はもう終わりなんだ」
ノエルは新聞を読んでいるフリをしながら応える。
「それは丁度よかった」
そう言いながら応接用のソファに座る音とそれに戸惑う女性の声がした。一体何が丁度いいんだ。
「今日は終わりだと言ったんだが?」
ノエルがそう言って非難の視線を向けるとそこにはやはりエリックがいた。魔術師の、捜査官のエリック。わざわざノエルに仕事を持ってくる正真正銘の変わり者だ。
「だから丁度いいだろう?他の依頼主の邪魔にならない」
さも当然だと言った様子だ。ノエルは乱雑に新聞をたたんで立ち上がる。それから女性にエリックの隣の席を薦め、自分は対面に座る。
「それで?なんのようだ?」
不機嫌を隠さず尋ねる。それも仕方ないこと。エリックが持ってくる仕事は厄介なものばかりなのだ。どれもこれも捜査官たちが捜査に行き詰まったものばかり。それをノエルはいつも頭を抱えながら必死に動き回ってかろうじて解決の糸口を掴むのだ。
エイレン、とエリックは女性を促す。はい、と緊張した様子で抱えた封筒から紙の束を取り出し、ノエルに向けて前のローテーブルに広げる。
「現在、我々はある誘拐犯を追っております。それでノエルさんのお力をお借りできないかと思っております」
ノエルは出された資料を手にとり、パラパラと目を通していく。
「随分とややこしそうだな」
ノエルは率直に述べた。そのややこしそうな事件の概要はこうだ。
誘拐されたのはここより南にある街の名家のご令嬢。誘拐した犯人一団はこの街から北西の方向にある自分たちのアジトへ向かっていた。
問題はここからだ。犯人たちのアジトの場所を割り出し、乗り込んでみるとそこには犯人たちの死体。さらに誘拐された令嬢は行方不明らしい。
「おそらく身代金を巡っての仲間割れ、もしくは実行犯の尻尾切りだと考えられていますがどう思いますか?」
そう言ったエイレンをノエルはちらりと見る。どう、と言われても困る。凡人の自分に一体何を期待しているのだろうか。
とにかく何かわかることはないだろうか。ノエルはさらに紙をめくっていく。するとその中の一枚のスケッチが目にとまる。
「これは?」
ノエルが尋ねるとエリックが答える。
「それは犯人たちのアジトのスケッチだ。踏み込んだ時そのままのね。細部まで完璧に記憶できるって特技を持った者が描いたものでかなり精密だ」
それを聞いたノエルは眼鏡を外し、顔を近づけてスケッチを見る。
スケッチの部屋はおそらく正方形。扉が二箇所。向かって右の壁の手前の方に開けたままの扉が一つ。奥の壁、中央より左に寄ったところにもう一つ。中央にはダイニングテーブルと椅子。倒れている人は3人。奥の壁とテーブルの間に2人。建物の入り口の前に1人。
テーブルの上には何かが置かれている。資料を見るとこれは被害者の着ていたドレスが畳まれて置いてあるらしい。
ノエルはスケッチから少しでも情報を得ようと隅々まで凝視する。
「次のスケッチは?」
「それはおそらく奴らの寝室だな。建物に入ってすぐの部屋がさっきのスケッチ。そのスケッチは入って右手の部屋だ」
「この、一枚目のスケッチに描かれている奥の扉の先は?」
エリックが資料を探ってスケッチを見つける。
「これだ。扉の先は下の階段があって地下牢のようになっている」
ノエルは三枚のスケッチをじっくりと見る。それから他の資料も読み込む。しばらく事務所内にノエルが資料を捲る音だけが響いていた。
「おそらく…」
やっと口を開いたノエル。ちらりとエリックとエイレンの方を見る。
「構わない。気づいたことはなんでも言ってくれ」
エリックは身を乗り出した。
「まずはこのスケッチを見てほしい」
ノエルは一枚目の建物に入ったところからのスケッチを2人の前に置く。
「注目してほしいのは死んでいる3人。中央の机と奥の壁との間の空間に倒れている2人はそれぞれ右側の人物は頭を右に、左側の人物は頭を左側に向けている。想像するにこの2人の間にいた誰かが殺したんだと思う。そして出入り口の前に倒れている1人はうつ伏せで頭を手前に向けている。おそらく外に逃げようとして後ろから襲われたんだと思う」
「合わせると奥の壁、扉の前あたりで何者かが3人と敵対。その場で2人を殺し、逃げようとする最後の1人を追いかけて出入り口の前で殺害。こんなところか?」
話をまとめたエリックにノエルは深く頷いて肯定する。
「で、3人を殺した何者かが誘拐の被害者も連れ去った、と」
エリックは呟くように言った。ノエルは顎に手を当て、ソファの背もたれにもたれかかる。しばらく沈黙した後に、仮説になるが、と前置きをしてまた話し始めた。
「このスケッチで一番違和感を覚えるのはやっぱりこの机の上に畳まれたドレスだろう。この手の犯罪者がドレスを丁寧に畳んで置いておくとは思えない。それとこのドレスは装飾の宝石がいくつかはずされていたとなっている。金になる宝石を全てはずしていない、というのも不自然に思える」
「そこはこちらも疑問を持っていた所だ」
「この場でドレスを丁寧に扱う人物、それは誘拐された令嬢だと思う」
「まさか!誘拐された少女が3人を殺して逃げたって言うのか!?」
ノエルはかぶりを振る。
「あくまでドレスを畳んだ人物は、だ。ここからはさらに想像によるが殺したのはこいつらの仲間の内の1人だろう。この隣の部屋のスケッチはベッドのようなものが3つとハンモックが一つ。こいつらの生活は知らんが4人いたんだと思う。この1人と利害が一致したのか、あるいは上手く丸め込んだのか、何にせよこの1人と手を組んで逃げたんだ。ドレスの宝石が全てはずされていないのは売って帰るための資金にするに十分な数を持ったからだ」
そんなまさか、とエリックは目を覆いながら天を仰ぐ。
「エイレン、どう思う?」
「え、あの、その…」
エイレンは呆気に取られていた。エリックに意見を求められしどろもどろになっている。
「確か今はこのアジトを起点に離れる方向に向かっていると踏んで捜索しているんじゃなかったか?」
「はい、その通りです」
「それで、手がかりが全く掴めていない、と」
「はい」
「もし、こっちに向かってきているとしたら?」
「捜索網に引っかからないのも納得は出来てしまいます」
「あり得ると思うか?」
「…わかりません。ですが捜索してみたいと思ってしまっています」
エリックとエイレンは顔を見合わせて頷く。
「戻って検討してみます!」
エイレンはすぐに資料をまとめて封筒に仕舞い、足早に事務所を出て行った。
「報酬の話は被害者が見つかった後でもいいかい?悪いようにはしない」
エイレンを見送った後、エリックがそう言った。ノエルはエリックが後から報酬を渋るような人間ではないことを知っている。だからこの提案に対して特に何も言わなかった。
「それで?なぜお前は帰らない」
ノエルは少しばかり強い口調で尋ねる。
「依頼があるんだ」
エリックは真剣な表情を見せる。
「手を貸して欲しい」
面倒事の匂い。ノエルは眼鏡を掛け直しながら聴く準備をする。
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