第37話 『水星の魔女』と闇バイトの世界観
先日ひさしぶりに水星の魔女を全話見返した。
映像・音楽・脚本・演出・演技いずれも手抜きがまったくない完璧なできで改めて感じ入った。
また放送が終わって一年しかたっていないのに、この作品が早くも古典の風格をたたえている事実にも今回気づいた。
後半のクライマックスでグエルとシャディクがモビルスーツに乗って戦う。
地球生まれのシャディクはスペーシアンを憎んでいる。
「スペーシアンは地球から搾取しているからこっちが奪ってもいい」
というのがシャディクの世界観で、シャディクがテロを肯定するのもこの考えによる。それに対しグエルは
「奪うだけじゃ何も手に入らない!」
と反論してシャディクを倒す。
地球で苦労したシャディクだが、このドラマにおいては何も失っていない。
一方グエルは父親を始め、自分の名誉や地球の少女など、劇中あらゆるものを失い続ける。
グエルの苦難は典型的な貴種流離譚だが、何も失っていないシャディクと、失い続けたグエルの体験の違いが、両者の世界観の違いとなって現れたのではなかろうか。
自分はグエルに共感したが、今の若者はどう思うだろう。
シャディクの「自分たちは搾取されているから奪ってもいい」という考えは、今流行りの闇バイトの世界観とまったく同じだ。
グエルはその考えを否定したが、今の若者はシャディクに共感を覚えるかもしれない。
グエルは水星の魔女のもう一人の主人公だが、シャディクを主役にした番外編を見てみたいと今回思った。
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