第38話 必要だから好きになったわけじゃない
「今更お前が発言して何の意味がある? ライナス」
「意味があるとか無いとか、そういうことじゃないんだよ、兄貴」
ライナス王子が軽く伏せていた顔を上げた。
それでもまだ前髪は顔に掛かっており、瞳は半分ほど隠れたままである。
「俺は兄貴に、聞かなきゃならないことがある」
黒と紫の混じり合った髪毛の合間から、鈍い光が薄っすら瞬く。
私へ向けられた視線ではないのに、少しだけ後込みしてしまう。
最も、ライナス王子に真正面から睨まれているロベルト王子にとっては取るに足らない状況のようだ。少しも怯んだ様子は見られない。
無言でライナス王子の言葉の続きを促す、威風堂々たる態度。余裕の表れであろうか。
「兄貴にとって、ミヤって何?」
ロベルト王子が目を細める。しかしそれは狼狽を意味しないことは明白だった。
ただ推し量っている。ライナス王子の発言の真意を。
「……ミヤ・エッジワースの価値については、既に列挙しているはずだが?」
「違うよ。兄貴が今まで話してたのは、ミヤ本人の話じゃない。ミヤを兄貴の婚約者に据えた時の価値、の話だ」
「要領を得ないな。ミヤ・エッジワースの価値など、ミヤ・エッジワース本人の話に他ならないだろう」
ライナス王子が首を横に振る。
ロベルト王子が視線を伏せ、薄くため息を吐いた。噛み合わない会話に辟易しているのだろう。
「質問を変える。兄貴は、ミヤが役に立つから、そばに置いておきたい――それで合ってる?」
しばしの静寂。しかし伏せられていたロベルト王子の瞳は再び上昇し、ライナス王子を捉えた。
「答える必要性を感じないな」
「言うまでもなく正解だから?」
「何度も確認しているはずだが? 俺にとってミヤ・エッジワースとの婚約はメリットが多く、そしてミヤ・エッジワース本人にとっても俺との婚約話を蹴るリスクは多大。その分、婚約を受けるメリットも大きい」
ライナス王子が――ゆっくりと立ち上がった。
露わになった表情は。決意を固めた、力強い意志を携えていた。
「俺はミヤのことが好きだよ」
ロベルト王子がライナス王子へ向ける、探るような目付きは。
益々、鋭さを増していく。
ロベルト王子がライナス王子を見上げる形となったこともまた、鋭利さに拍車を掛けていた。
「その告白は、この場においてどういった意味合いを持つ? まさかとは思うが、この俺と王位争いをする宣言ではあるまいな」
「継承戦で勝った方がミヤと婚約するって? いかにも、役割と責任を重視する兄貴が思い付きそうな話だね。でも俺が言いたいのは、そんなことじゃない」
ライナス王子が息を軽く吸った。
続く発言は、今まで以上により一層、部屋内に大きく響く声量を伴っていた。
「兄貴の主張は結局、ミヤは必要な存在だから結婚するに足る――それだけだ。役に立つならば愛そうって、ミヤを脅しているだけ」
ロベルト王子の眉間の皺が熾烈さを増した。
しかしライナス王子は一切構うことなく、口を動かし続ける。
「俺は違う。ミヤが必要だから好きになったわけじゃない。好きだから、一緒にいたいんだよ」
――ライナス王子が口を閉じたことにより、客間内を沈黙が包んだ。
数秒が経過した後、ようやくと言うべきだろうか。ロベルト王子の反論が形となり音を成した。
「……お前のその『愛』とやらを尊重して、それでどうなる? ミヤ・エッジワースも、政治喧騒の策略計略に巻き込まれかねない。相手を危険に晒すことは本当に『愛』か?」
このロベルト王子の発言もまた、ライナス王子の言葉を借りるのならば。
――ライナス王子に対する、『脅し』なのかもしれない。
しかしライナス王子は怯むこともなく、ロベルト王子をまっすぐに見据え続けている。
「例え何が起きようと、俺はミヤを守るよ。だって俺はミヤを愛しているから。そばにいてほしいから、その為ならなんだってするし、なんだってできるよ」
ライナス王子とロベルト王子の主張は、酷く似ているようでその実、真逆の話をしている。
結論は同じだけれど、因果が逆なのだ。
――そうだった。ようやく、思い出してきた。
どうして私がロベルト王子との婚約を断ろうと考えるに至ったのか。
ライナス王子の気持ちに応えようと思ったから、だった。
ロベルト王子に、『私とロベルト王子が婚約するメリット』を用いて先制攻撃されてしまったが故に。
私も、同じ土俵で――つまりメリット・デメリットの指標で、ロベルト王子と戦おうとしてしまっていた。
それが間違いだったんだ。
私は最初から、デメリットを理由にロベルト王子との婚約を断るという結論を下したわけでは、なかったのだから。
ようやく。私が申し立てるべき言葉が、見つかった。
……ライナス王子のおかげだ。
「ロベルト王子」
全身を刺すようなロベルト王子の眼差しが、私に向けられる。
しかしどれだけ視線に貫かれようと、怖気づくことはない。
心のうちも、言うべきことも、もう既に決まっているのだから。
「私も、ライナス王子と同じ気持ちです」
一瞬の間。それをロベルト王子の躊躇いと感じるのは、都合が良すぎるだろうか。
「――お前が俺との婚約を蹴ることにより発生し得るデメリットは、散々説明した。我が国の政情に与えるデメリットは勿論、ミヤ・エッジワース、お前自身のデメリットについてもな。しかしそれでも構わん、と。そうだな?」
今更ロベルト王子に反論するべき言葉もない。
ロベルト王子の主張は全て正しいのだから。
私の沈黙を、正しく肯定と受け取ったのだろうか。ロベルト王子が呆れたように首を横に振って。
――立ち上がり、客間の扉へ向け、歩き始めた。
「ライナス。お前、先程、何でもすると言ったな?」
「何、急に言質なんて」
「俺の婚約者不在に関する政情不安定を少しでも抑えねばならん。しばらくはお前にも遮二無二に働いてもらうぞ。それとミヤ・エッジワース」
「は、はい!」
「お前もライナスと同じ気持ちだと言ったな? であれば当然、『なんだってする』という発言に二言はないな」
……参ったな。やはり、ロベルト王子は常に正しい。真正面から議論して勝てる相手ではないようだ。
「その髪色も、お前の実家の稼業も。全て存分に利用させてもらう。大学との両立は苦労もあるだろうが、覚悟しておくことだな」
ロベルト王子は振り返らず、歩みを止めることもなく言葉を続ける。
「リィナ。ミヤ・エッジワースの後ろ盾となった以上、お前も同様だ。……ホセ、婚約者の第二候補以降について再精査を始める。急ぐぞ」
「我が主、仰せのままに」
足早に客間を出ていくロベルト王子に次いで、ホセ氏も立ち上がる。
退出に伴い、扉を潜りながらホセ氏がこちらへ一瞬、目線を向けた。
「ね、言うたでしょ。ロベルト王子、身内に甘い方なんですって」
なるほど。
これがロベルト王子なりの、身内への愛、なのか……。
ロベルト王子とホセ氏の姿が見えなくなった途端、急に気が抜けてしまった。
ソファの背もたれに身体を投げ出す。……先程まで前のめりの姿勢でロベルト王子と対峙していたことに、今更気付いた。
深く息を吐き出す。ほぼ同時に、隣席のリィナ様が立ち上がった。ソファがわずかに揺れる。
「ミヤ、やったじゃない!」
リィナ様が私の手を取りブンブンと上下に振る。
「リィナ様も、ありがとうございます。巻き添えにしてしまって、その点は申し訳ないのですが……」
「いいのよ、大した問題じゃないわ。そもそもミヤの件に関係なく、しばらく忙しいことに変わりないもの。私のことは気にしないで、ミヤ、思いっきり喜びなさい!」
リィナ様に手を引かれ立ち上がる。キラキラと笑うリィナ様の瞳は眩しい。
こんなにも嬉しいものなのか。友人と、喜びを分かち合えることが。
……私は、結論を出した。だからきっと、ホセ氏も約束通り。
リィナ様との関係について、結論を出してくださるだろう。
その結果が、リィナ様の意に沿うものであったのならば。
私も喜ぼう。今と同じように、リィナ様と手を取り合い、小躍りして。
それが友人というものなのだろうから。
定時に規則正しく時刻を告げる、教会の鐘の音が鳴り響いた。もうそんな時間か。
次の用事があるから、とリィナ様が客間を去られる。もう黄昏時を過ぎる頃合いだというのに。
部屋には、私とライナス王子、二人きりとなっていた。
ライナス王子が少しだけ遠慮がちに、或いは気まずそうに立ち上がる。
手持ち無沙汰なのだろうか、襟元のリボンを直したり、フリルタイに触れたりと忙しない。
「あのさ、ミヤ。……兄貴、約束は破らない人間だから。俺をこき使うって宣言も、本気だと思う」
ライナス王子、目を合わせてくださらない。
目を伏せたまま、胸の前で手を意味なく動かしながら、ライナス王子が言葉を続ける。
「だから、しばらくは、あんまり会えないかも……」
「――でしたら、今晩は」
ライナス王子の手に触れる。……ライナス王子の肩が揺れた。
驚かれてしまった。拙速だったかな。
――前にもこんなこと、あったような。
「ライナス王子と一緒にいても、よろしいですか?」
ちょっと、厚かましいお願いだったかな。
そう思いつつも、緩む頬を抑えることができない。
ライナス王子の頬に、じわりじわりと赤色が広がっていく。
思い出した。麻薬取引経路の調査中、我が家へ泊りに来たライナス王子のこと。
あの時も拙速にライナス王子の髪に触れ、驚かせてしまって。それから。
……やはり、今と同様に。緩んだ表情を抑えきれない私を見て。
ライナス王子は、顔を真っ赤にされていた。
我が家の風呂上りでライナス王子が紅潮された理由は、今となってはもう分からないけれど。
――今回ばかりは。湯あたりが理由である可能性はまず間違いなく、あり得ないな。
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