第34話 警戒しなくて、いいから

 夕日が城の外装を暗黄色に染めていく。


 ――しかし、王宮に足を踏み入れる日が来るとは。

 人生とは分からないものである。


 ライナス王子とホセ氏に連れられ、すんなりと王宮内部へ。

 門番や使用人たちも、ライナス王子相手となると不用意な手出しは避ける傾向にあるようだった。結果、一切の追及を受けることなく、ライナス王子の自室まで辿り着く。

 

 ……鎧で変装しているとはいえ、こんなにもトントン拍子で物事が進むとは。

 防犯上いかがなものかと思わなくもない、が……。今回ばかりは助けられたと考えるべきだろうか。


 脱着した鎧を片手に、ホセ氏は去っていった。ライナス王子と二人きりになる。

 

 ――二人きり、か。

 先程ライナス王子に言われたことを思い出してしまったのは、不可抗力だと弁明させていただきたい。


 だって、まあ、うん。

 欲情している……って、面と向かって言われたわけだし。


 二人きりというシチュエーションで、それを思い出すなと言う方が。

 無理があると言えるだろう。


「……警戒しなくて、いいから」


 私の思考を読み取ったようなタイミングで、ライナス王子に声を掛けられる。


「確かにさっきは、その、……ああいう風に言ったけど。変なことしようと思って連れ込んだわけじゃない、し……」


 語尾が弱々しく窄まっていく。

 なんだか、おかしくって。笑いを堪えるべく、口元に力を入れる羽目になってしまった。


「……なに、その変な顔。元はと言えばミヤが、自分はミミンの代わりだとか意味分かんないこと言わなければさ、あんな話しなくてすんだのに」


 ライナス王子が拗ねたように目を細め口を尖らせた。

 ますます、可愛い。


「大丈夫です。心配していません」

「……それはそれで不服かも」

「ライナス王子は私を傷つけたりいたしませんよ」


 不機嫌顔は直らないものの、反論する気も失せたのかライナス王子が小さくため息を落とした。やっぱり可愛い。


 ――以前のライナス王子であれば。

 他者を害することに躊躇のないライナス王子であれば、話は違ったかもしれない。

 力づくで手込めにするという選択肢を取らないという確証はなかったかも、しれないけれど。


 今のライナス王子は、たぶん違う。

 ライナス王子を殺そうとしたサウリ様を慕う、西の神託者の弟子・ノエルが見せた涙の意味を考えたであろう、今のライナス王子であれば。


 ――例え私が、ライナス王子の差し伸べる手を拒絶したとしても。

 それを『害』と捉え報復したりなど、しないはずだ。

 ライナス王子にとっての『害』が、私にとってはそうではないと、きっと分かってくれているはずだから。


 ……ま、それは――私がライナス王子を拒絶したとして、というのは、あくまで仮定の話なわけで。

 実際に求められた時に、ライナス王子の手を拒絶するかと、言えば。

 それはまあ……また、別問題だけれど……。


「そうだ、ミヤ、鎧なんか着せられて汗かいたんじゃない? 風呂、俺の部屋に備え付けのがあるから」


 部屋の備え付けとは思えないほど大きな風呂場に案内され、目を白黒させる。

 我が家の浴室全体より、ライナス王子自室風呂の浴槽の方が大きいくらいではないだろうか?

 さすがは王子殿下、さすが王宮内部……。


「……そのっ……、本当に変な意味とか、ないから!」


 規格外の風呂場に尻込みしていたところ、後方よりライナス王子の裏返った大声が聞こえてきた。

 先ほども警戒しなくていいと仰っていたのに、また念押し?

 

 振り返った先のライナス王子は顔を真っ赤に染め、私から目を逸らし斜め下を凝視している。

 どうしてライナス王子がこんなにも照れているのか、そもそも何に照れているのかも、いまいちよく分からない。

 そういう流れでも、なかったと思うんだけれど。


 ……あ、もしかして。


「ライナス王子、私は風呂場の広さに驚いていただけでして、入浴という行為に性的な意味を見出し躊躇したというわけではなく」

「――いい、いい、分かったから! 明け透けに言われると、こう、余計に……辱められてる気持ちになる……!」


 ライナス王子が手のひらで顔を覆う。

 辱めているつもりは、ないのだけれど……。


 *


 入浴を終えると予想以上に爽快な心地であった。思っていた以上に汗をかいていたのだろうか。

 或いは身体が温まったことにより、血液循環が促進されて。思考がクリアになったからかもしれない。


 ライナス王子も先程と比べれば幾分か平静を取り戻した様子で、大判のタオルを手に柔らかな笑顔を見せていた。


「ね、ミヤ、こっちおいで」


 私の髪の毛を、ライナス王子の手にしていたタオルがすっぽりと包む。

 わしゃわしゃと撫でるように、髪の水気が拭かれていく。――気持ちいいな。


 まるで猫みたいな扱いだ、と思うけれど。

 ライナス王子にとっての私は、猫ではなかったらしい。

 突き付けられた事実は何度反芻してみても、どこかくすぐったい。


 心地良さに流されてしまいそうになる。

 ライナス王子の言う通り、このまま時間切れを――ロベルト王子の新婚約者が決まるのを、じっと待っていれば。

 今のこの、快い時間はずっと続くのだろう。この部屋を――ライナス王子の自室を出た後も、ずっと。


 けれど今、私の心が望んでいる未来は。

 どうやら現状維持を続けることでは、ないらしい。


 丹念にタオルが押し当てられた箇所の髪毛から水分が抜けていく心地よさを、後頭部に覚えながら。

 刺激された脳裏が、ある人物の発言を思い起こしていた。

 

 流されて結婚を決めるのは、失礼に当たる。

 ――ホセ氏の考え方が、ようやく腑に落ちた、ような気がした。

 

 ライナス王子に守られて溺愛されて、その愛に甘えて。

 ただぬくぬくと生を過ごす、それでは。ライナス王子の気持ちにも応えられていないではないか、と。

 少なくとも今の私は、そう考えている。


 ロベルト王子との婚約騒動に対する回答は、もうほとんど決まっていた。

 後はそれを、どうやってロベルト王子に伝えるか。

 

 ……場の設定だけであれば、ホセ氏に頼めば何とかなるかもしれない。

 けれど、それだけでなく。

 私がロベルト王子に直談判することを、できればライナス王子にも首肯してもらいたいと考えていた。


 どう切り出そう。

 ライナス王子へ、どうやって伝えようか。自分の気持ちを。


 迷う私の後ろ髪を一束、ライナス王子が軽く持ち上げた。

 ライナス王子の掌より私の水色の髪の毛が、さらさらとこぼれ落ちていく。


「ミヤの髪、光に透かすと、波立つ海みたいに光るんだね……」


 ……これからどうすべきか、という点について。

 私の髪を拭くライナス王子の手が止まるまでに、結論は出ないだろう。だから。

 今はまだ、いいか。

 

 少しだけ。

 ライナス王子が髪の毛に触れる心地良さを享受してしまうことを、許してしまうことにした。

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