第26話 うん。かわいい
「……あ! 兄貴、ホセ、ちょっと止めて!」
ライナス王子の叫び声に、ロベルト王子よりも先に馬車を操る運転手(兼護衛)が反応した。
動きが止まった反動で、双子王子の身体が大きく揺れ、息を吞むような音が二つ漏れる。
「ライナス、こんなところで道草を食う予定は入れていないんだが」
「だって、ミヤと約束してたから……」
吐き気を落ち着かせるためだろうか、唾を飲みこみながらライナス王子が馬車を降りる。
……約束?
手招き。約束に覚えはないが、ライナス王子に従い馬車を降り、一本奥の路地へ足を踏み入れる。
馬車は既に、予定ルートの半分以上を西方へ向けて走り抜けていた。この辺りは私も訪れたことがない地域だ。
迷子になったら戻るのは大変だろう。ライナス王子のフラフラとした足取りだけが頼りである。
……乗り物酔いで足元が覚束ないライナス王子に置いて行かれる、という心配だけは、必要がなさそうだ。
「ね、ミヤ、ここ」
指し示されたクレープ店には、少々味気ないメニューが並んでいた。
いま流行りのクレープと言えば見栄え重視の果物盛り合わせ系統だ。他店に追従しない姿勢が見て取れる。
「面白みはない店だけどさ、もちもちで美味しいんだよ。馬車に戻りながら食べよう」
店主が「その言い草はなんだ」と反論を飛ばす。
しかしそう言いつつも、我々の注文品を調理する店主の手捌きは寸分の歪みもなく美しい。
あっという間に手渡されたクレープを、歩みを始める前にまず一口。
――おいしい。生地の吸い付くような感触と、すっきりした甘さの生クリームのバランスが絶妙だ。
「ミヤ、すごくいい顔してる」
「……そんな、分かりやすかったですか」
「うん。かわいい」
餌付けされてしまったような心持ちに、顔に血が集まる。
ライナス王子からすれば、餌に喜ぶ猫の顔なんて、今まで何度も見てきているだろうけど……。
しかし、ライナス王子だって。
負けず劣らず、素敵な表情をしているではないか。
好物の甘味に気分が落ち着いたのか、顔色に多少の赤みが戻っているライナス王子の顔は。
口元が綻び、眉尻が優しく下がって。目元には温和な笑みが浮かんでいた。
ライナス王子が時折見せる、鋭い眼光はそのままに口元だけ吊り上げたような、不自然な笑顔よりも。
喜びを素直に表された人懐っこい笑みの方が、それこそ。
――かわいいではないか、……なんて。
言ってみたり、して。
*
雨が降り出したのは夕の刻であった。
小雨の内に、馬車が本日分の最後の行程をそれまでより速く走り抜けたため、大嵐になる前に予定の宿へ到着。
初日の旅程には大きな影響はもたらされなかった。
……より激しい馬車の揺れに見舞われた、双子の王子には災難であったが。
しかしながら、夜が深まるごとに雨の勢いは激しさを増す。
窓の外を眺めるロベルト王子の顔は険しい。乗り物酔いの影響だけではないだろう。
西の神託者へ手渡す予定となっている、プラムのパウンドケーキ。
お土産として親しまれている名産であるし、砂糖の使用量も多い。すぐ駄目になるようなことはないだろう。連休中は余裕で持つはずだ。
だから仮に、大雨にて旅程が狂ったとしても。大きな問題にはならない。
――しかし、この大嵐にて、西の神託者宅への訪問が再延期となれば話は別だ。
パウンドケーキが型崩れしていないことを確認し、そっと再封。
さて、どうなるか……。
「ミヤ、心配事?」
「ライナス王子」
背後から掛けられた声に振り向く。
シャワー後なのだろう、髪を濡らしたライナス王子は、手に大判のタオルを持っていた。
「いえ、明日の天気がどうなるのだろうと思案していただけです。ライナス王子は……」
にこやかな笑顔のライナス王子に、大判のタオルを手渡される。
……約束したものな。機会があれば、また、ライナス王子の濡れた髪を拭く……と。
まさかこんなにも早く、次の機会があるとは思ってもいなかったが。
*
翌朝。昨夜に勝るとも劣らない大雨。加えての強風。窓の外に見える木々が大きく揺れている。
本日の旅程は中止だろう。ロベルト王子が連泊の旨を宿に伝えていた。
街の様子を見に外に出ていたロベルト王子の護衛二人が、宿へ戻ってきた。
血相を変えロベルト王子の元へ駆け寄る様子に、場に緊張が走る。
「ロベルト王子、報告いたします。今般の雨により土砂崩れが発生。西へ向かう道路が塞がれております」
「……そうか。報告ご苦労」
苦虫を嚙み潰したロベルト王子が、長く長くゆっくりと息を吐きだした。
危惧していたことが起こってしまったな。土砂崩れとは。
「ロベルト。どうする? 今回は中止にして、日程を再調整するしかないわよね」
「……しかし、どのみちこの雨では引き返すこともできない。雨が止むまで待機するしかないな」
そう言いつつも、ロベルト王子がホセ氏や護衛たちと、連休以降のスケジュールについて確認を始めている。
様々な公務でお忙しい方だ。今回の訪問だって、相当に日程調整を重ね実施されたものだったろう。
それを再々調整となれば。一ヶ月単位で延期になる可能性だって充分にある。
プラムのパウンドケーキもお払い箱、か。
「ミヤ……」
振り向けばライナス王子が眉尻を下げ、こちらを見ていた。
「どうされました、ライナス王子。ご心配事ですか?」
あれ、似たような会話を昨日もしたな。立場が昨日とは逆だけれども。
ライナス王子はふるふると首を横に振った。否定の返答まで昨日と同じだ。
しかし続く言葉は、昨日とはまるで違っていた。
「俺じゃないよ。ミヤ、きみだろ。心配事を抱えているのは」
「? いえ、私は特に何も……」
「気にしてるだろ? ケーキのこと」
私よりもよっぽど落ち込んだ様子で、ライナス王子がパウンドケーキの入った箱を指さした。
もちろん気にしていないと言えば嘘になる、が。
「今回のお土産については私が責任者ですので。憂慮も仕事のうちです」
「俺にとってその……プラムのパウンドケーキは、大切な品だよ。ミヤが俺にくれた思い出があるんだから」
ライナス王子の息継ぎに合わせるように、窓の外より轟音。
――雷までも、鳴り出したようだ。
「それが、たかが天気のせいで無駄になるなんて、結構イヤな気持ちになる。ミヤはどう?」
「……そうですね、」
窓より強い光。すぐ後に雷鳴。
近くに落ちたのかもしれない。
この辺り一帯は、陸側に向けて山がそびえ立ち、逆側は眼前に海。山の裾と海の間にできた街だ。
雷のほとんどは山側の高木に落ちるはずだ。街へ落雷する確率は極めて低い。身の危険を考える必要はないだろう。
しかし、大雨に次ぐ落雷が。
更なる土砂崩れを引き起こす可能性は、充分にある。
そんな状況なのだ。旅程の延期は必須。だから。
――残念と言うよりも、諦めの気持ちが強い。
「仕方のないことですので……」
「俺だけじゃなくて、ミヤも不快なら、さ」
光とほぼ同時に、地響き音が轟く。
強い光源を背後にしたライナス王子の表情が一瞬、暗く隠れた。
再び私の眼前に姿を現したライナス王子の口元は、異様なまでに跳ね上がっていて。
しかし眼光は昏く鋭く、空中を陰惨に切り裂いている。
――ああ、またこの、不自然な笑顔……。
「この荒天は、土砂崩れは。俺への『害』――そう言えるんじゃないかな? ねえ!」
呼びかけの声と同時に、ライナス王子が背後へ視線を向けた。
――まるで天に雲に、呼号するかのように。
雷鳴がより一層強く大きな音を立てて、鳴り響いた。
ライナス王子に応えたかの如く、あまりにも美しいタイミングであった。
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