第24話 笑っていた方が可愛いじゃない
「いい眺めね~!」
海岸線が少しだけ海側に突き出した一帯。手すりの下には、真っ青に透き通った大海原が広がっている。
リィナ様はどうやら、はしゃいでいるようだった。観光客用にだろう設置された白い鐘を揺らし、音を打ち鳴らしている。
「おひとりで鐘を鳴らされて、よろしいのですか?」
「……これの事よね。二人協力し鐘を鳴らした恋人たちは、永遠の幸福を手にする……」
鐘の設置場所に提示された説明文を読み上げながら、リィナ様が鐘を鳴らす紐を手放す。
「あなたこそ、いいの? ライナス置いてきちゃったけれど」
「いえ、私は、そういうのでは……」
「ふうん? 意気地なしね、ライナス」
……私は猫、ミミンの代わりなのだ。
猫に欲情する人でもないだろう。ライナス王子は。
「ま、私は、次期の『
鐘が設置されている台を軽く撫でながら、つらつらと語るリィナ様の声には覇気がなく、緩慢としている。
上の空。そう言い換えてもいいだろう。
「なんて、言ってみたりして」
「――ホセさんと、何かあったんですか?」
「何もないわ。そう、なーんにも! ないのよ」
一瞬、息を止めた後。
リィナ様が盛大に息を吐きだした。怨念すら込められていそうなため息を出し切ってから、憮然とした表情。
「求婚の件については、考えさせてほしい――だって。それで現状維持。ロベルトの護衛職を続けてて」
「それは……意外ですね……。ホセさん、どう見てもリィナ様の事がお好きですのに」
「でしょう!? だから絶対、二つ返事で了承してくれると思ったのに!」
ホセ氏がロベルト王子の護衛職を続けている以上、何かしらの理由で現状維持が選ばれたのだろうとは思っていたが。
制度上の理由であるとか、護衛職の後継者を選定する間だけであるとか。そういった理由だろうと予想していた。
まさかホセ氏が自ら『保留』を選んでいたとは。
「流されて結婚を決めたら、私にも失礼だから――って。別によくない!? それで私もホセも幸せなら、私に対して礼を欠くことなんて大した話じゃないわ!」
リィナ様が海に向かって、「ホセのバカー!」と叫んだ。
加えて二回、三回。バカバカバカ、と連続して罵声が響き渡る。
「流されて結婚を決めるのは、失礼に当たる……」
「ミヤ、どう思う? 言うほど失礼かしら。だって私もホセも、お互い思い合っているのに」
「私は……」
――その発想は、なかったから。
不意を突かれ頭を叩かれたような、驚きと衝撃があった。
失礼に……当たるのだろうか? なんだかんだで、貴族社会ではまだまだ政略結婚が主流だ。ロベルト王子とリィナ様の婚約(解消済みではあるが)にしたってそうである。政略結婚は『流されて結婚』とは違うのだろうか。
まして、リィナ様とホセ氏なんて。どこからどう見ても相思相愛の蜜月関係。
愛し合っている二人の関係を前提としてすら、流されて結婚を決めることが失礼に当たる、なんて言われたら。
それじゃあ、私は?
父の商売を継ぐ結婚相手を、まあ誰でもいいや、なんて。
そう考えていることを、失礼だなんて。思ってみたこともなかった。
「……私には、分かりかねます。その、ホセ氏はきっと、誠実なのだろうなとは……」
「そう……そうなのよ! ホセは誠実で実直で律儀で真面目なのよ。主人の婚約者だからって余所余所しい態度を取ったりしないで、いつも真摯に私の話を聞いてくれて、だから好きなんだけど――だけど!」
リィナ様が頭をかきむしる。
……なんか今、サラッと大惚気をされたような。
しかし、口をついて出ただけの誠実という言葉を、こんなにも真正面から受け止められるとは。
他者への印象とは、見る人によって大きく違うのだなと思い知らされる。
私から見たホセ氏は、飄々として掴みどころがなく、主人へも意外と軽口を叩くような。
誠実という言葉とは、そこまで近くにいない人物像だ。
――ホセ氏について、詳細に人物像を語れるほど。
私はホセ氏の事を知っているのかというと、それは違う。
そういう――ことでもある、のかな。
「……っはあ~! そう、そうなのよね……」
目一杯のため息を海面へ落としたのち、何かを納得されたご様子のリィナ様が。
海より視線を外し、私の方へ向き直られた。
「ありがとね、ミヤ」
「……? いえ、私はなにも……」
「話、聞いてくれたじゃない」
リィナ様が笑顔を浮かべた。先程までの怒りが嘘のように、眉尻が優しく垂れ下がっている。
「私、生まれも境遇もちょっと特殊じゃない? だから友達らしい友達って、いなくて」
リィナ様の境遇の特殊さを『ちょっと』などと言える人物は。
この国ではせいぜい、双子王子くらいではないだろうか……。
「ロベルトもあんなんでしょ? だから私の話をちゃんと聞いてくれる人って、お母様とお兄様以外ではホセくらいだったのよ」
リィナ様が目を細め、視線を斜め下へ向けた。
一瞬浮かび上がった愁傷の表情は、兄であるサウリ様へ向けられたもの、かもしれない。
推測が真実であることを確かめる術はない。すぐにリィナ様の顔に笑顔が戻る。
「だから――私、嬉しくて! 友達ってこんな感じなのね、って!」
「と、友達……」
「ええ、そうでしょ? 一緒に買い食いして茶屋ハシゴして、恋バナまでしちゃって……ふふっ、思ってた以上に楽しいものね、友達付き合いって!」
驚いたことに――言葉にされると、確かに『友達』そのものの行いである。今日の、私とリィナ様の行動は。
と、友達……。友達かあ……。
「あら、ミヤ」
リィナ様が私の手を取り、お互いの胸の高さまで導く。リィナ様の小さく細い指が、私の手の甲を覆い包んだ。
「あなた、笑っていた方が可愛いじゃない!」
――そう言いながら口元を綻ばせたリィナ様の笑顔には、私では到底、敵いそうもなかった。
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