第28話 【二式スカラのレポート――6/19/23:17】

ほどなくしておれは営倉から解放され、エンデバーとともに屋敷のある大コロニー船まで送還されることになった。

 アリルは引き続き騎士魔堂院に幽閉されたままで。

 引き離された――と表現していいのかわからない。

 あの子がおれにとって何なのかも、まだ掴めていないから。

 その場で抵抗する考えには至らなかった。

 説得はできなかったけれど、スプートニカもきっとあの子を丁重に扱ってくれているはずだし、伊斗ネオスや水剱キザナの手に渡るよりはうんとマシだから。

 それに相手がスプートニカなら、無理にいま連れ戻そうとしなくても交渉のしようがある。

 それが当代騎士としての役割だと自分に言い聞かせるしかなかった。

 ただスプートニカ配下のメルクリウス兵たちに連れられ宇宙港までたどり着いてみれば、そこでおれを待ち受けていたやつがいた。


「――やあ、災難だったじゃん二式スカラ。

 まさか騎士魔堂院の連中がああいう強引な手を打ってくるとは予想外だったもんね」


 水剱キザナだ。

 当代騎士がこんな夜遅くに、宇宙港にいるなんて不自然だった。

 おれだって警戒しないわけない。

 それに、おれにそんな皮肉を言うためだけにわざわざ見送りに来るほど、こいつが暇人とも思えなくて。

 おれたちの監視役として付き添ってきた三人組のメルクリウス兵は、接触してきたのが当代騎士だと認識して静観を決めこむ。

 真面目な顔して現金な子たちだ。


「うちのマスターは貴様が大嫌いです、どけ下さいまし。

 でないとこの愛らしくも儚げなエンデバーを命がけで守り抜くために、偉大なる我がマスターの六基の〈魔剣〉が火を噴きますよ」


 おれがなんか言うよりもはやく、エンデバーの悪口が火を噴いた。

 しかも主人に悪口の全責任をなすりつけるスタイルで。

 ただ奇妙なことに、キザナのやつは今回も専属メルクリウスやパートナーを連れていなかった。

 騎士魔堂院管轄下であるこの小コロニー船は治安良好とはいえ、彼みたいな当代騎士が深夜に公共施設内を一人歩きしているのには違和感しかない。

 水剱キザナは、おれから言うのもなんだが騎士としては弱小だ。

 〈魔剣〉を一基しか保有していないし、一騎打ちでなら負ける気がしない。

 だからある意味では、はなっからおれとやり合うつもりじゃないってアピールかもしれないけれど。


「あー、ごめんごめんエンデバーちゃん、ちょっと君んとこのマスター君を貸してよ。

 そっちのみんなもさ、別にいいっしょ。

 僕らのことあんま関心なさそうな顔してるし――」


 キザナが話しかけたのは、おれの後ろにいるメルクリウス兵たちだ。

 おれが違和感を持ったのは、こいつの物言いが無礼かどうかよりも、無駄口に応じるはずがないメルクリウス兵に奇妙な確認を求めた点だ。

 こいつは人類史上主義者である伊斗ネオスほどではないにしろ、メルクリウスを共存相手だと考えていない節があったのに。

 深夜を回って無人になった宇宙港ターミナル内の、淡い照明下に佇む三人のメルクリウス兵。

 この子たちのうつろな表情はそういう視覚効果を狙った演出らしいけれど、そこで何故なのか急にエンデバーが割って入ってきた――キザナではなく彼女らを警戒して。


「何かあるの、エンデバー」


「……――構内ネットワーク網に異常を確認、外部との通信手段が断たれています。

 状況に応じてID7および11で防戦し切り抜けてくださいマスター。

 退路は確保しますが、エンデバーもああなる可能性があります」


 緊迫感をにじませてメルクリウス兵を睨むエンデバーと、そんな彼女を見てもまだ緩んだままの表情を変えようとしないキザナ。

 状況把握が完全におよばないまでも、お喋りはもうおしまいになった。

 そして〈魔剣〉起動に支障ないよう、おれもスイッチを切り替えた直後のことだ。

 ボールのようなものが二つ、ごろりと鈍い音を立てながらこちらの足もとに転がってきた。

 それらが白髪の少女の頭部だと理解できたときには、左右にいた首なしメルクリウス兵が切断面から鮮血を吹き上げながらくずおれていった。

 白い頬や髪に、真っ赤な返り血を浴びた少女が佇んでいる。

 それは彼女らと対峙していたエンデバー自身もそうだったけれど、崩れ落ちたふたりの首なし死体の狭間にまだ立ち続けられていた、最後のひとりもだ。

 騎士魔堂院の制服に身を包み刀剣型デバイスを携行した、少女型メルクリウス。

 ただよくよく観察してみれば、彼女だけ髪を両サイドで結んでいる。

 自身を着飾る意思表明。


「――紹介しとくよ。

 その子ね、水剱家の専属メルクリウスで、ボストークっていうんだ」


 目の前で起こった惨劇を、自ら暴露してみせたのが水剱キザナだった。

 だから瞬時に理解する。

 おれたちの前で許しがたい過ちを犯したのが、こいつ自身だと。

 でもどうしてそこまで平常でいられるんだろう。

 生々しすぎる血の臭いと凄惨な光景に、こっちはもう心が折れてしまいそうなのに。

 荒ぶる鼓動とともに、厭なものがせり上がってきそうな感覚。

 ボストークと呼ばれた水剱家仕えのメルクリウスは、軍用ナイフのような小型刀剣型デバイスをこちらに突きつけたまま微動だにしない。

 ふたりを殺めたのは彼女だった。

 今は主人の命令待ちということか。

 他に銃器型デバイスも所持しているみたいで、しかもキザナと挟み打ちとなれば厄介な状況だ。


「へへ、困ったことに予定外のスケジュールになっちゃってさあ。

 ちょっと雑だけど強硬手段をとるしかなかったんだよね。

 それもこれも、勝手なマネしてくれたスプートニカのせいなんだけど」


 いったい何の話だ?

 おれはボストークの動きを警戒するエンデバーに背を預け、キザナへと向き合う。


「…………あの子たちにお前のメルクリウスを紛れこませていたのか。

 どうしてふたりを殺した。

 どんな理由があろうとここまでする必要なんてなかった。お前が命じなければ!」


 ひとが、死んだ。

 かけがえのない命が失われたんだ。

 こんな許しがたい事態がこいつの意思によるものなら、このまま誰にも裁かれないまま日常に返せるものか。

 だが、怒りの熱を抑えきれそうにないおれとは真逆の、冷ややかな顔で水剱キザナが応じる。


「そうそう、そうなんだよ。

 リアリティあるよねぇ、血とかさ。

 めっちゃグロいじゃん」


 キザナは何の余裕なのか、〈魔剣〉を起動することもなく、かといってこちらに襲いかかってくる様子もなくて。

 ただ制服のポケットに手を突っこんで堂々と佇んだまま、他人事みたいな感想だけ述べてくる。


「……お前は何が言いたい」


「ボストークをそいつらに紛れこませてたのは、まあマジなんだけどさ。

 でも不自然って思わなかった?

 騎士魔導院の虎の子メルクリウス兵が、なんにも抵抗せずに首はね飛ばされちゃうわけないっしょ。

 やられちゃったふたりに何が起きたのか、エンデバーちゃんのほうはもう気付いてるっぽいけどね」


 そこで思いがけずエンデバーを促すキザナ。


「………………マスター、あの柱の裏にもうひとり隠れています。

 おそらく今回のは――」


「――おお~っとっとぉ! 登場前のネタばらしなんて観客の興を削いでしまわないかい?」


 ――この声には間違いなく聞き覚えがある。

 嫌みな靴音も。

 悪意など微塵にもなさそうな体をして、飄々と道化を演じられるあの男のものだ。


「お前……………………エッジ……ワース………………」


 どういうことだ?

 何がどう繋がって、この二人が同じ場所に現れる展開に至った。

 支柱の陰から現れたのは、あのエッジワースだ。

 二式家襲撃事件の末に行方をくらませて、治安維持局の追跡から逃れ続けていたという船団初のテロリスト。

 あの夜のときと寸分変わらない、時代錯誤なスーツ姿にメガネスタイルで現れたエッジワース。

 ボストークの背後に立つと、活躍をねぎらうように彼女の肩を叩いてから、


「ああ、ごめんよお嬢ちゃん。

 ぼくったら、かけがえのない姉妹相手に過酷なマネさせちゃったよね。

 まったくもって水剱くんも罪作りな男だ――――ああ、ちょっと失敬。

 う、ぼべ……」


 ――突然くの字に半身を折り曲げたかと思ったら、盛大に嘔吐してしまった。


「あーあ、なにゲロっちゃってんの、おじさんってば。

 きったねーし緊迫感ないなあ」


「す、すまないね……でもぼくにはちょっと無理そうだよ、血を見るのには慣れてなくてね」


「ああ、あんたからいちいち突っこまれるのめんどいから先に説明しちゃうけど。

 エッジワースのおじさんはね、僕の――ざっくり言っちゃえば、支援者みたいなものかな。

 つまり僕たち、二式スカラにとってのいわゆる〝ラスボス〟ってやつ?」


 吐瀉物の前で膝を折った無様なエッジワースを放置して、水剱キザナがとんでもない事実を明らかにしやがった。


「――……ふざけているのか、水剱キザナ。

 だってさ、テロの緊急召集でおれと夕神さんを呼びつけたの、お前だったじゃないか!」


 何もかも、辻褄が合うようで合わなかったのだ。

 あの緊急召集も、騎士家絡みだったとはいえ三家だけで密談したようなものだから、確かに奇妙ではあった。

 おれがエッジワースの襲撃相手として選出されたのも、キザナの策略だったってことだったとしたら――

 ――全ては、水剱キザナがおれとエッジワースを引き合わせるためのお膳立てだったって言いたいのか?

 確かに水剱家の影響力をもってすれば、暗躍するエッジワースを隠蔽してこられたのかもしれない。

 エッジワースがキザナの支援者と言ったのは辻褄が合わないけれど、逆に豊潤な財力を持つ水剱家なら、エッジワースがあれほどの武装を整えられる資金だって提供できるはず。

 だとしても、水剱キザナが何の目的で犯罪者を支援したのか。

 何のためにメルクリウス兵を殺したのか。

 なんでそこまでして今のおれの前に現れたのか。

 全てがあの夜からつながっていたと言いたいのか。

 そんなの、すぐには理解できそうにない。


「なんでその子たちを殺したのかって?

 だってさ、だよ。

 モブキャラにまで感情移入するとかキモすぎっしょ――

 ――っくくくっ……あ、ありえねー」


 もうこらえきれないとばかりに噴きだして笑うキザナに、おれは意味もわからないままゾッとさせられていた。

 それに、こいつがいま口走った〝ゲーム〟って、どういう意味なんだ。

 おれたちが普段から口にしてきた〝ゲーム〟とは全然違う意味に聞こえて。


「――ふふふ、ねえ二式スカラ。

 僕はさ、このゲームを普通にクリアしちゃうなんてつまんないんだよね。

 ロータスが勝手にてめえのルールに押しこめやがって、ああしろこうしろってさ、こっちはいい迷惑だよ。

 だからゲームマスターを潰してさ、システムもろともブチ壊しちゃいたいんだよね――」


 たまらず押さえていた手のひらから覗く水剱キザナの顔――おれを逃さないとばかりに向けられたそれは、これまでの狂気でもなんでもない、強い意志と信念に染まった目だ。

 いつもの皮肉や悪ふざけのつもりではなく、本心と確信からここまでやってのけているのだとわかって、だからこそこいつは絶対に危険だと本能が警鐘を鳴らしてくる。


「…………何がゲーム、だって?

 何をどうしたい。

 ここまでのものを巻き添えにして、おれにお前の何をわからせたいんだ」


 ひとつだけ確実なことがある。

 こいつはおれを今ここで倒したいというわけではないらしい。

 おれの〈魔剣〉を奪うことにも関心がないかのような素振りだから、戦うのではなく問い質すしか選択がなかった。


「おおっと、ここからはこのぼくから解説させてもらうとだね――」


 そこで口を挟んできたのがエッジワースだ。

 この男は血の海に顔をしかめつつ、電子計量器メジャーのようなものを取り出すと、彫像のように立ちふさがるボストークの表情や体勢を、なめ回すように調べながら、


「――水剱くんが言いたいのはね、要するにさ、〝この世界自体がロータスの生みだした仮想現実空間だった〟――っていう隠された真実ファクトについてなのだよ。

 ああ、まだあくまで仮説段階なんで、今ちょうどこうして立証していってる最中ではあるんだけどね!」


 この男が言い放った平易な言葉が、スッと頭の中に溶けこんでいったはずなのに即座に拒絶反応が出た。


「――――――………………は?

 ……仮想現実……?

 …………冗談を言っているのか?」


 とんでもないことを言い出してないか、こいつら。

 一瞬おれを挑発するために一芝居でもうっているのかと錯覚しかける。

 ここまでふざけた物言いに、巻きこまれたこっちまで馬鹿になりそうになってきて。

 でも、もしこいつらがこの世界のルールをゲームになぞらえていたわけじゃなくて、本気でこの世界自体がゲームだと信じこんでいるのだとしたら。

 こちらの困惑などお構いなしで、エッジワースはスーツのポケットからまた何やら取り出す。

 あれはあのときも使っていた、レトロなゲームコントローラー型デバイスだ。

 それを両手で弄くりつつ、何やら考察するような素振りでうろうろとしながら、まだまくし立て続ける。


「でもね、そう考えれば合点がいかないかい二式スカラくん?

 仮想現実だからこそ、人が死んでもなんてことない。

 だってゲームのモブキャラだからね。

 ほら、これだってゲーム――」


 コントローラーを必死に操作しながら、グロテスクな首なし死体を気安く蹴っ飛ばしてみせてから、自ら「ひぇっ」などと悲鳴を上げるエッジワース。


「――ああ、失敬。

 仮想現実だからこそ、現実世界の人間では物理法則的にあり得ないマジックが起こせる!

 きみたちの持ってる〈魔剣〉や摂理審判なんて、まさにそれの最たる現象じゃないか!」


 考察に考察を重ねるような悩める顔を見せつけてきて、


「ああ、そうそう。

 まず最初に根源的な視点で話すべきなのを忘れていた!

 原点回帰は大切だからね」


 なのに今度は何やらひらめいたような明るい笑みをして。


「そもそも論だ。

 そもそも仮想現実だからこそ、ぼくたち人類が宇宙を旅することができた――

 ――もしかしたら人類は、本当はロータスなんて手に入れていないとしたら?

 もしかしたら星間航行も有人宇宙飛行すらも、科学技術的にまだ実現できていなかったとしたら?」


 コントローラーを手にしたエッジワースが、ぐんぐんおれに迫りくる。

 あれほど〈魔剣〉の力を思い知っておいて、まるで警戒心がない異常性。

 武器ひとつ持っていないこのテロリストを前に、おれは何一つ抵抗できない。


「科学の歴史を丁寧に紐解いてみれば、実はそっちの可能性のほうが高いだろうなって推測できてしまう、悲しい現実があってねえ。

 ……ああ、確かに酷な現実だ。

 きみが自宅に引きこもりたくなるのも今になってわかる気がしてきたぞ……これも新発見だ!

 メモしておこう、メモメモ……と」


 そこでエッジワースは心底悲嘆に暮れたかと思えば、突然真面目な顔に戻ると、なんの意味があるのか床に落書きし始める始末で。


「…………フムフム。そもそもね、二式くん。

 本当のリアルワールドのぼくたちが、実はまだ地球圏で暮らしていると仮定したらどうだい?

 地球という惑星の、硬いベッドの上で今もぐーぐー眠ってる。

 あっちのは人工じゃない本物の重力の影響下だ。

 きみもぼくも、この世界ゲームPCプレイヤーはみんながそうだとしたら」


 そんな、狂気の沙汰としか思えない問いかけ。


「――さて、このように仮説してみると、二式くんはどんな気持ちになるのかな?

 二式スカラは、実は英雄候補でもなんでもない、冴えないおっさんだった――なんてね!

 目覚めたあとの現実がどれほど悲しいものだったとしても耐えられるかい?」


 ――あり得ない。

 そんな妄想じみた話、どこからどう信じろって言うんだ。


「ハハハ、ぼくは絶対に無理だね。

 そんな辛い現実、もう今にも発狂してしまいそうだ!

 ああ、そうとも。

 だからぼくたちがこんなザマになってるってわけだったのを失念していた……」


 ここでこんな茶番めいた話を聞かされる意味は何だ。

 何を根拠に事実だと言い切れる。

 なのに、こいつらはお構いなしで続ける。

 ウンザリ顔のキザナが、盛大なため息の後でこう結論づけた。


「〝僕たち騎士家ってプレイヤーキャラ〟はさ、生まれたときからゲームマスターである〈ロータス〉にバーチャルゲームをやらされてんのよ。

 十二の〈魔剣〉を集めて、英雄になれとかいうくっだらねークリア条件のさ。

 ふざけんなよ、って気持ちになるっしょ」


 まるでおれを説得なんかする気がないみたいな素振りで、水剱キザナはおれとエンデバーを押しのけると、すたすたとエッジワースの側に向かう。


「……だから。

 だからそんな辛い世界をぶち壊したいって。

 そう言いたいのか、お前たちは。

 何の根拠もなしに、おれたちやみんなを巻き添えにするつもりで」


 こいつらの起こした数々の行動は、つまりはそれが目的のようにしか聞こえなかった。

 今のおれでも、その理屈だけなら飲みこめる。

 万が一事実だとして、ろくな結末にならないだろう点も含めて。


「そうに決まってんじゃん?

 あと証拠だってちゃんとあるけどさ、あんた別にそーいうの話したげたって信じないっしょ。

 どうせ暴れまわる役回りしかねんだし」


 心底面倒くさそうな顔で吐き捨ててから、突然手を掲げる。

 構内の無人移送車がキザナのジェスチャーに応じてやってきた。

 四人乗りの無人移送車にキザナとエッジワースが乗りこんでから、取り残されたボストークにも同乗するよう指示した。

 ただこのまま去るつもりはないのか、行きがけの駄賃とばかりに余計な話をはじめた。


「この世界の秘密を知ったきっかけは――まあ話すと長くなんだけど、この世界の〝ひずみ〟、みたいなやつ?

 たとえば〝どうして歴史の記録が欠損だらけなのか〟とか。

 〝どうして僕たちは男女で生殖しなくなったのか〟とか、そーいうの。

 そんなのがいちいち気になって片っ端から調べまくってたら、自然とこの結末に行き着いちゃったってワケ」


 エッジワースの隣に肩を並べた水剱キザナが、さも何でもないことのように言い放った。


「最初はさ、ロータスの秘密を曝くきっかけがなくて、僕らジリ貧だったんだよ。

 でも偶然にも風向きが変わったのさ。

 エッジワースのおじさんが小細工してくれたおかげで、突然変異なスペシャルNPC――存在しなかった新キャラがゲーム内に出現しちゃった。

 こいつはスゴい突破口になるってね。

 ね、新キャラって、誰のことか気にならない?」


 それって、月王寺アリルのことを言っているのか?

 あの子が現れてから、ずっと停滞していたおれの時間が意味を取り戻しはじめた――そんな気がしていたんだ。

 でも――


「……やっぱじゃん。

 あんた、今どうせ月王寺アリルのこと想像したっしょ?

 今どき手垢の付きまくったボーイ・ミーツ・ガール願望とか、バーチャル世界でも男の承認欲求ってやつはほんとキモいもんだよねえ――」


 ――一笑に付したキザナの目つきは、おれを見下すでもなく冷淡に見すえるものだった。


「……的はずれもたいがいにしなよ。

 だってさ――新キャラってのは、この水剱キザナのことだからね」


 ぐちゃぐちゃにされた気持ちを、一撃で根底から覆すような言葉だった。


「………………は?

 なにを言ってるんだ…………だって、お前は…………」


 おれは昔から水剱キザナを知っていた。

 水剱家がどれほど長い歴史を持つ騎士家なのかだって、船団で知らないやつはいない。

 それに、まるであの子が特別でもなんでもなかったみたいな言い振りに、受け入れたくなくても体が勝手に反応して、頭がくらんで、膝で自分を支えきれなくなったおれはその場にへたりこんでいた。


「――マスター!? もしかして、またお身体が……――」


 駆け寄ってくるエンデバー。

 まただ。

 これすらもこいつらの言う〝ゲームだから〟なのか?

 単なるバッドステータス扱いでしかないのか。


「――残念ながらね、二式くん。

 この水剱キザナという新キャラはね、ぼくがキャラメイクしてずっと操作してきたんだよ。

 だから水剱家なんて騎士家自体、最初からゲーム内に存在しなかったんだ。

 二式くんだってこういうの詳しいだろう、いわゆる改造データMODってやつ?」


 エッジワースが、変声期前の少年の声でそう言い切ってみせたんだ――水剱キザナ自身の喉を、実際に使って。

 途端、まるで意思が消え失せたみたいになった水剱キザナが、エッジワースのコントローラーにされるがままになった。

 厭でもあの夜のエンデバーを思い出させる、。


「あれれ、まだ信じてない? 信じないほうが非科学的じゃないかね?

 あの夜のとき、ぼくがそこのエンデバーくんを操ってみせたのだって、紛れもない証拠じゃないか。

 ああ、そこのメルクリウス兵ふたりが抵抗しなかったのも、実はぼくの仕業なんだよね。

 なんなら、もう一回エンデバーくんでテストしてみせようか?」


 無人移送車の座席側から、威嚇するようにコントローラーをカチャカチャさせる。

 おれを庇って支えようとしてくれているエンデバーの体温――彼女がまたあの男の好きにされてしまうことを想像しただけで、あのときの全てが奪われたかのような恐怖心がよみがえってきて。


「やめろ。そんなのだめだ……やめてくれ……」


 もう声がうまく出せなくなってきて、それでも最後の足掻きのように、どうしようもなくみっともなくおれは懇願していた。

 と、いつの間にか車から降りてきたエッジワースがおれ達の前に屈みこんでいて、不気味なほどにこやかに、こう切りだしてくる。


「では、落ち着いて聞いてくれたまえ二式くん。

 きみと月王寺くんのペアで、この仮想現実ゲームを盛大にバグらせてもらいたい――というのがぼくたちチームのプロジェクトの本質なんだ。

 偶然にもID13なんていうレアアイテムをゲットしたのはきみだぞ?

 きみたちふたりが力を合わせれば、おそらくはゲームマスターであるロータスをシステムダウンさせられるって、ぼくもすごく期待しているんだ!」


 うなだれたままだったおれが言い聞かされたのは、エッジワースの言う〝バーチャルゲーム〟を曝くための方法についてだった。


「マスターにはそんなことさせません。

 あなたがたは今まで散々ひどい行いをしてきておいて、今さらになって正体あらわして手伝えとか、そんなの応じられるものですか」


 それまで護衛に徹してくれていたエンデバーが代わりに反論する。

 寄り添うおれを抱く腕に力がこめられていた。

 エッジワースが相手では圧倒的に不利なのがわかっていても、それでもやり遂げるつもりなんだ。


「エッジワース……おまえが何をしたって、望むエンディングなんてこないぞ。

 本当にこの世界がバーチャルだったとしても……お前のやり方じゃ……誰も……救え、ない……」


 情に訴えようとしたところで、全てを〝ゲーム〟だと認識している彼らには通用しないだろう。

 時間稼ぎにしかならないのはわかっているのに、言わずにはいられなくて。


「残念ながらね、エンディングも何もかもが仮想現実にすぎないんだよ、二式くん。

 本当のリアルワールドにいるぼくたちに戻ることこそが、ぼくたちにとっての唯一のエンディングなのだからね!」


「…………嘘だ。

 お前に都合のいい現実世界なんて、どこにもあるものか。

 あの子は泣いていたんだ。

 怖い夢を見て、それでも夕神さんが抱きしめてくれたことがうれしかったって。

 あの感情も〝ありもの〟だったって言ってるのか」


「ああ、なるほど。

 こうして水剱くんを操っても信じてもらえないのは、そもそもぼくがエンデバーくんを操ったアレを先に見ちゃったせいか。

 じゃあね、こういう話なら、いくらきみでも目が覚めるんじゃないかな?

 つまりね、五大騎士家の五番目――グラムニール家のことって、どうしてきみたちは曖昧にしか記憶できていないんだい?」


 ふいに、おれを庇うエンデバーの腕の力が抜けた気がした。

 エッジワースのした話はよくわからないけれど、エンデバーには何か思いあたる節があるのだろうか。


「騎士魔堂院において、去年に実施されたはずの公式試合。

 そこで二式スカラがグラムニール家当代だったキュケス・グラムニールを殺してしまった。

 あいつは本当、ひどい事件だったよ。

 試合はそこで中止になって、きみは自宅に引きこもる結果になった」


 アリルは今どこにいるのだろう。

 騎士魔堂院にかけあって、何とかおれが助けださないと。


「そこでゲームマスターたるロータスは、バランス調整を施すことにしたみたいだね。

 ロータスの端末であるスプートニカを通じて、この仮想世界からグラムニール家の記憶をごっそりと抹消してしまった。

 といっても記憶領域サーバーのログにはキッチリ残っていたから、このぼくの目は誤魔化せないんだけどね?」


 ――おれが、アリルを助けだす?

 当たり前じゃないか。

 あの子からその程度の恩は受けたはずなのだし。


「――あらら、やっぱきみでもダメなのか。

 二式くんの意識にもプロテクトがかかったまま現実逃避しちゃってる。

 ちゃんと覚えてられるの、チートしたぼくだけみたいだね……いやはや、残念無念」


 大げさに驚いたり嘆いたりしながらまくし立てるエッジワースを無視すると、車上で魂が抜けた顔をしたのままのキザナが目に入り、ゾッとするしかなかった。


「まあ、あんたにここまで秘密を教えてやって、すぐに飲みこんでくれなんて望んでないからさ。

 でももう時間がねんで、僕ら先に居住区で〝祭〟をはじめちゃってるから。

 だからさ、あんたは最後に登場しなよ。

 最高のヒロインを連れて、最強の英雄らしく颯爽と、ね」


 途端にいつもの人格に戻ったキザナがそれだけ言い残すと、合図して移送車両が発進する。

 勝手に降車したままのエッジワースをここに置き去りにして。


「ああっ――――ちょっと待ちたまえよ重大インシデントだよ水剱くん――――――!?」


 鈍いモータ音を響かせて遠ざかっていくキザナたちを駆け足で追うエッジワースの、意味不明な寸劇。

 薄暗いターミナル内ではあっという間に見えなくなる。

 やつらの向かう先は居住区行きの連絡船だろう。

 そして気味の悪いほどの沈黙が宇宙港に戻ってきた。

 遠巻きに届けられるのは、機械の無機質な唸り声だけ。

 打ち捨てられた少女たちの死体と赤い血溜まりが非現実さを煽り立てていて。


「――――ジャミングされていたネットワーク網が復旧、騎士魔堂院と治安維持局の双方への通報は済ませました。

 マスター、いかがされますか。

 このままあの男たちを追いますか」


 エンデバーは立ち上がると、連中が去ったほうを見すえながら言う。


「あの男たちの話を信じますか。

 メルクリウスであるエンデバーにはそれを判断する機能がありません。

 エンデバーはマスターのおそばで、目の前の障害を切り開くのみです」


 ごく冷淡な発言だったのに、おれを振り返った顔が、どことなく痛みをこらえているようにも見えて。

 流された血の意味を知っているからだ。

 エンデバーはなるだけ冷徹なロボットを演じようと務めているだけで、本当は人間と何ひとつ変わらないのをおれは知っている。


「うん、わかってるよエンデバー。

 でもさ、きみにはいつもどおり〝誤主人様〟のままでいてほしい」


「…………こんな状況なのにそんなこと考えてるなんて最低ですね誤主人様は。

 別に、うれしくなくはないですけれど」


 そして、それはおれだって同じなんだ。

 つらくて泣き出しそうになろうとも、手足を動かして目の前の問題を解決していかなければずっとつらいままで続いていく。


「たとえこれがエッジワースの言うゲームだったとしても、おれはプレイヤーのままでいい。

 アリルだって同じ気持ちのはずだ」


 まだあの子は騎士魔堂院にいるはずだ。

 いますぐに戻って状況説明すれば、スプートニカなら船団を守るために行動してくれるかもしれない。

 共通の敵が、あのエッジワースだから。

 でも先んじて大コロニー船に帰還したエッジワースたちが、あっちの居住区で何をしでかすつもりなのかわからない。

 そもそもエッジワースはテロリスト――大量虐殺犯だ。

 目の前の血の海を見ただけでも、起きうる未来をありありと証明してくれていて。


「行くよエンデバー。

 やつの計画を止めよう。

 おれたちだけじゃなくて、みんなでだ」


 しかめっ面のエンデバーに精一杯の笑顔で返してやると、おれは彼女の手を引いて駆けだした。

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