女子高生は、邪神うごめく夢の世界に転移してしまったので脱出するようです

藤原くう

第1話

 数学のテストで赤点をとったあの日、わたしは夢の世界へ転移した。


 意味わかんないと思うけど、わたしにもよくわかってないんだ。


 ……だから、ちょっと状況を確認させてほしい。


 夢の世界へ旅立ったのは、お母さんの声がよく響く、夏の夕暮れのことだ――。




 きっかけは、鬼のようなお母さんから隠れるために、おじいちゃんの蔵に入ったからだと思う。


 ちょっとした体育倉庫くらい広さには、本がいっぱい。


 雨後のタケノコみたいに乱立している本のタワーのうしろに隠れる。


 壁の近くは、墨汁をぶっかけたみたいに暗いし。見つかりっこないと思った


 うんしょと座って、じっとしていた。


 蔵の中はちょっとほこりっぽかったけど、ジメジメもしてないし、居心地がいい。


 隠れているうちに目が慣れてきて、目の前にクモがいることに気がついた。


 ちなみにわたしはクモが苦手だ。クモどころか、ありとあらゆる昆虫が大嫌いだ。Gという言葉を聞くだけで鳥肌が立ってくる。


 叫ばずにいられたのは、たまたま。


 でも、わたしのからだはうわっと飛びのいていた。


 背中には壁があった。


 ぶつかる。


 ずしん。


 その壁にしたたか体を打ちつけ――ない。


 壁がするりと回転し、わたしは闇のなかへ転がりこむ。


「うわあああっ!?」


 絶叫が口から飛びだしていって、遠ざかっていく。通りすぎていく救急車のサイレンみたいに。


 どれくらい転がったのかわからない。


 つるつるした階段に、何度も体をぶつけて、最後にどしんと重い衝撃がくる。


 やっと止まった。


「いたたたた……」


 思わず出たうめき声は、乱反射して、宇宙人の声みたいに不規則に揺れている。


 頭が痛い。いや、体中が痛い。


 痛いところをさすりながら立ち上がる。


 あたりは真っ暗。


 その中に浮かぶぼんやりとした白い光。それが、闇のなかでいくつも伸びている。


 丸の中に星。


 ――魔法陣。

 

「ゲームのしすぎかなあ」


 なによりも気になるのは、その魔法陣らしきものの上にいる人のこと。


 それに気がついた時には、おもわずぎょっとしちゃった。でも、その彼(もしくは彼女)は身じろぎ一つしない。まるで、等身大フィギュアのように。


 びくともしないその人は、魔法陣の中央――星のまんなかで胡坐をかいている。


 白色光に照らされているのは、濃い紫の袈裟。それですっぽり体を覆っていた。


 頭には歴史の教科書で見るような帽子。これも、パープルだ。


「あの……すみません」


 うつむいているその人に話しかけてみる。なんとなく、話しかけずらい雰囲気はあった。修行中のお坊さんみたいな。


 でも、ここがどこだか知りたいし。


「ここってどこなんですか、わたし、おじいちゃんの蔵に隠れてたんですけど、気がついたらこんなところにいて」


 わたしの言葉に反応はない――かと思ったら。


『汝』


「わっ」


 頭の中に声が響いた。ずーんと響くしゃがれた声は、まさか、テレパシー?


「な、なになに」


『汝』と闇におおわれたお坊さんは言いなおした。『夢の国へ行きたいか』


「夢の国……? それってディズ――」


『違う。夢の国』


 断固とした意志が返ってくる。言わせねーよ、とばかりに。


『いきたいか』


「なんだか有無を言わせない感じがしますけど、わかりました、行きます!」


 わたしは、×だらけの答案用紙をぎゅっと握りしめる。どうせ、このまま戻ったって、おかあさんに叱られるだけなんだ、


 それなら、夢の国だか何だかわからないけど、行ってやろうじゃないか。


 お坊さんは何も言わなかった。


 ただ、足元の感触がなくなって、わたしは闇のなかを落ちていった。






 まるで、アリスみたい。


 そう思ってしまうほぢ、長いこと落下していた。


 余裕があるんじゃない。闇のなかを落ちているという現実から逃げているだけ。


 暗闇。わたしのまわりにただよっている〈これ〉は本当に闇なんだろうか。


 ここは下も上も右も左も黒い。わたしの体なんて見えないはずだけど、そうじゃない。


 腕も見えるし、カットソーもよく見える。スカートだってローファーだって、おじいちゃんの形見の腕時計だって。


「あれ……?」


 ふと腕時計を見れば、デジタル数字がなくなって文字盤になっている。樹脂のベルトは渋い革ベルトになってるし、耳をすませばカチコチ音がする。


「おじいちゃんのが……」


 いや、それだけじゃない。


 学校指定の制服が、ごわごわの質素な服へ。スカートはうっすいズボンになって、靴は革靴のままだけどブーツみたいに重いし硬い。


 イヤな予感がして、スマホを取りだせば、ただの平たい石になっていた。


「な、なんで!?」


 驚いて、手にしていたものを落としてしまう。左手のスマホ(石)と、右手にぎゅっと握りしめていた答案用紙も。


 ひらひらチョウのように舞う紙切れは、もはや答案用紙などではない。赤いバツも9点という文字もΣも消え失せた、ただのパピルスだった。


「よっしゃ!」


 わたしはガッツポーズする。


 果てのないような闇のなかを落下しつづけながら……。

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