あの夏の忘れ物

PROJECT:DATE 公式

消えた塩素の香り

七「あーあー…。」


夏休みが始まって約半月。

既に休みに慣れては

毎日外にお出かけしたり

一転、たまに1日家にこもって

テレビやスマホを見たりしていた。

オリンピックも終わり

番組も夏休み前と

同じようなラインナップになったところで

宿題などさらさらやる気もなく

ぼけっと座っていた

学習机から立ち上がる。


七「暇!」


お盆前に帰省を終え、

この夏のイベントといえば

後は気の滅入ることに宿題の消化しかない。

兄弟もバイトだのなんだの

忙しそうにしており、

暇で暇で仕方がない。

お盆ともなれば

友達とも予定がつかなかった。

痺れを切らして

階下にあるパパの探偵事務所の扉を

勢いよく開く。


一応掃除はしているらしいが、

相変わらず埃っぽい匂いがする。

今はお客さんが誰も来ていないようで、

パパは1人書斎机に深く腰掛けて

難しい顔でパソコンを覗き込んでいた。


七「パパ!」


パパ「あぁ…どうした?」


七「何してるのかなーって。」


パパ「仕事だよ仕事。いつもの通りさ。」


パパはそう言って

パソコンをぱたりと閉じた。

お仕事なのだし

私が身ちゃいけない内容とかも

あるのはわかるんだけど、

まだ子供だからと

避けられているようで

ちょっとむっとする。


パパ「テレビでもつけてゆっくりすればいい。」


七「飽きた!友達もお盆でみーんな遊べないし。」


パパ「まあ…仕方ないよな。」


七「ボランティアとかそういうお手伝いもお盆だとほとんどないし…。」


そこまで口に出してはっとする。

お手伝い。

その言葉が今は

謎が解けた後の真相と同じくらい

きらきら輝いて見えた。

そうだ。

ここはパパの探偵事務所なんだから

何かしら依頼はあるはず。

それこそ、大きな事件じゃなくとも

猫探しとかあるかもしれない!

猫とじゃれあえるかもしれない未来に

期待を膨らませる。

ととん。

数回床を踏んだ。


七「お手伝い!」


パパ「…はぁ…?」


七「お手伝いするよ!パパ忙しいでしょ!」


パパ「あぁ…じゃあお願いしようかな。洗濯物が少しあったはずだからそれと…」


七「ちーがーうー!」


パパ「えぇ?」


七「事件とか探し物とか…探偵のお手伝いしたいの!」


わくわくする。

どんなことを手伝えるのだろう。

もし。

もしもの話。

大きな事件の助手だとか、

尾行だとかを頼まれちゃったらどうしよう!

不倫関係の依頼が多いとは知っているけれど、

それ以外のお話だって0じゃない。

あり得る話なんだ。

期待のあまり体を弾ませながら待っていると

パパは静かに視線を落とした。

暗い顔をしているように見えて、

それが何故だか全くわからなくて

机越しに顔をちょこっと覗き込む。

どうしたの、と

声にする前にパパが口を開いた。


パパ「駄目だ。」


七「えー。何で何で。探偵のお手伝いしーたーいー。」


パパ「駄目と言ったら駄目だ。」


七「なーんー」


パパ「何でも、絶対にだ!」


ぴく、として机から離れた。

数歩後ずさる。

それを見てか、パパは目を見開きながら

顔を迅速に上げ、

短く「すまない」とこぼした。


初めは私の身を案じて…だとか、

茶化すように、言い訳を言う子供のように

駄目だと言っているだけかと思った。

が、どうやら違うらしい。

パパの目が一瞬

とても冷たくて怖くて、

本気なんだってすぐにわかっちゃった。

どうしてこんなに怒るのかわからない。

しゅん、としつつも

やっぱり何でか気になって

聞こうとしたけれど、

「仕事があるから少しでてってくれないか」と

言い放たれてしまった。


七「まだ聞きたいことが」


パパ「すまないが、何も答えることはできない。2階か、外にでも行っててくれ。」


七「……はあい。」


普段温厚なパパだからこそ

よっぽどのことなんだろうなと思い、

後ろ髪引かれる思いで

探偵事務所を後にした。


このまま家にいても

悶々戻してしまう。

せっかくなら外に出て

気分転換でもしよう。

外は35℃を超える予報で

立っているだけで

汗が背中を伝うだろうけど、

室内で萎れて今日が腐ってしまうよりは

断然いいような気がした。


ポシェットを身につけて、

靴を履きつま先を鳴らす。


七「いってきまーす。」


大きな声で事務所にも聞こえるように言う。

けれど、聞こえなかったのか、

はたまた無視しているだけなのか

パパからの返事はなかった。

そんなに怒らせるようなことを

しちゃったんだろうか。

私が悪いような感じはしないけど、

帰ってまだ気分を害しているようだった

謝ったほうがいいのかな。


七「あんな怒ることないのに。」


近くの小石を蹴飛ばしてぶつくさ言う。

知らない道を探すため探検する気もおきず、

もし気が向けば

お盆の学校に行って、

さらに気が向けば忍び込んで

どんなものか見ようと思ったけど、

それすらする気にならない。


家の近くをぐるり。

それでも気は晴れなくて、

いつもよりもちょっとだけ

遠くへと足を運ぶ。

頭の中がぐるぐるするうちに、

何がぐるぐるしてたのか

わからなくなっていって、

しまいには目の前のお店や

周りに群生している植物、

飛んでる虫や鳥が気になって

いつの間にか楽しいで埋まっていた。


やっぱりこういう落ち込んだ日は

外に出るに限る。

暑かろうと何だろうと、

外に出たほうがいい。

暑いなら涼しいところを探して歩けばいいし

喉が渇いたら買えばいいんだもん。


今日は気分が良く、

電車に乗り数駅先まで移動した。

自分でも珍しいな、と思いつつ

窓の外やスマホを見続ける人、

うつらうつらするおじいちゃん、

お盆だからかいつもより多い

賑やかな子供が視界に入る。

冷房が心地よかったし、

人の会話が耳に入ってくるのがよかった。

今の私の家じゃ

ほとんどなくなってしまった。

何を言っているかわからずとも、

依頼者の人とパパが話している声が

それとなくした時は

ちょっと嬉しかったっけ。

大人になると何故か言葉数が少なくなる。

兄弟はもちろん、

パパも歳をとるにつれて

冷静さが増したような気がする。


七「…。」


ちょっぴり寂しいな、と

近くで沢山話している家族を見て思った。


徐に電車を降りて歩く。

目的地もなく、帰りたくなったら

その時ようやくマップを開こうとだけ考えて

ただひたすら楽しいを探した。


道路の模様、家の屋根の色、

雲の形、あまり見たことない地名の看板、

お店のアルバイト募集のチラシ、

夏休みにトマトを育てるあのセット、

袋に入れられて捨てられたゴミ、

落ちてるペットボトル、

ふわふわ落ちてきた羽毛、

怒鳴っている男の人、

綺麗なスカートを履いたお姉さん、

サッカーボールで遊んでる子供たち。


通学路でさえいつも見るたび

違うものが目に入るのだから、

今日知らない場所まで来ては

一層知らないものだらけで楽しい。


鼻歌まで歌って

歩いてしまおうかという時だった。


七「…?」


前から、白いTシャツに

黒のワンピースを身につけた、

ふわふわの髪をした人が歩いてきた。

癖っ毛なのだろうか。

後ろ髪が少し長いのか、

ひとつにまとめているらしい。

サンダルから見える足元は涼しげで、

夏らしい、とぼんやり思う。

鋭い目つきをしているけれど、

どうやらずっと俯いているようで

その眼光がこちらに刺さることはなかった。

ゆわり、ゆわり。

髪が靡く。


真横を通る。

その間も、何故か目を離すことができなかった。


七「…。」


「…。」


自然に見える程度に

お化粧をしているのか、

アイシャドウが仄かに見える。

そして、猫のような鋭い目つきを…





°°°°°





七「ここで待ってればいいの?」


「え、うん。新しく入るの?」


七「そうなの!コーチがね、先に行っててって言ってくれたんだけど、どこに居ればいいかわからなくって。」


「そっか。でも急にこのクラスなんだ?」


七「前ね、別のスイミング教室行ってたんだけど、変えたの!」


「そうなんだ。ここ、プール広いしね。」


七「ね!びっくりしちゃった。ねねね、名前なんて言うの?」


「私──」





°°°°°





猫のような。

心臓の動きに合わせて

体がどく、と跳ねた。

すれ違ってすぐ慌てて足を止めて、

そのまま踵を返し走って

その人の肩を掴んだ。


彼女は俊敏に振り返り、

目をまんまるにしてこちらを見ている。

すっ、と釣り上がった目尻、

すらっとした頬骨、鼻。

やっぱり。

どれも見覚えがあったんだ。


記憶の奥底から

意図せず浮かび上がってきた

その名前を呼んだ。


七「麗ちゃん…?」


「……!」


その人はみるみるうちに

さらに目を丸くした。

溢れてしまうのではないかと思うほど。

ひと呼吸。

浅く空気が行き来するのがわかった。

そして。


麗香「……七?」


彼女が。

麗ちゃんが、私の名前を呼んだ。

途端に嬉しくなり、

彼女の両手を握ってぴょんぴょん跳ねる。


七「そう!そうだよ!七だよ!わー、麗ちゃんだ!すごい、すごい!何年振り!?」


麗香「わかんない…小学生の時以来だから、下手すれば10年前後…?」


七「わ、わ!すごいよ!こんなところで会えるなんて!」


周りの人がこちらを

じっと見ている気がしたけれど、

そんなことはどうだっていい。

だって今目の前に麗ちゃんがいて、

何年かぶりに再会したんだから!

麗ちゃんは跳ねる私の手を引いて、

道の邪魔にならないよう

近くにあったコンビニの近くまで行った。

「暑いし何か飲む?」と

炭酸のジュースをひとつ奢ってもらった。

その間も私はあれやこれや

懐かしいねなどはしゃいでいたのだけど、

麗ちゃんは昔から…と言えばいいか、

冷静でかっこよくて、

そんなにはしゃいでいなかった。


七「綺麗、大人っぽい!」


麗香「どうも……七もね?」


七「ほんと!?私、もう高校生になったよ!高校1年生!」


麗香「わぁ…そりゃ大きくなるか。なんか…そっちは相変わらずって感じだね。」


七「そう?相変わらず…?」


麗香「元気だねってこと。」


七「うん、ずっと元気だよ!麗香ちゃんは今いくつ?あれ、何歳上なんだっけ。」


麗香「私は今大学1年。」


七「じゃあ3つ上なんだ!大人だ、大人だ!」


麗香「確かに法律的にはそうだけど、全然。」


七「お酒飲めるの!?」


麗香「それは20歳になってからね。」


七「大学1年生だと、えっと…」


麗香「留年してなきゃ19になる歳だから。お酒とタバコは大学2年から。」


七「そうなんだ!飲みに行こうってやつ、沢山してるのかと思ってた!」


麗香「どこで知ってくるんだか。」


麗ちゃんは呆れるように言いつつも、

けれどちょっと口角を上げて

そう言っていた。


私と麗ちゃんは小学生の頃、

一緒のスイミングスクールに通っていた。

いつからか同じ階級になって、

それから一緒に大会に出て。

それ以降、あまり麗ちゃんを

見なくなったんだっけ。

彼女とはいい別れ方をした記憶がなく、

何か苦いものだった気がするけれど、

その程度の記憶しかない。

小さい頃にあったことって

だいたいそういうものだろう。


麗香「水泳はまだやってるの?上手だったもんね。」


七「ううん。ずっと前にやめたよ?」


麗香「そうなの?」


意外だったのか、

また目を丸くしてそう言う。

彼女は買ったお茶を飲んでから

また口を開いた。


麗香「泳ぐの早かったし続けてると思ってた。」


七「うーん、なんか…パパだったかな、やめさせられちゃったの。」


麗香「そうなんだ?」


七「うん。泳ぐの好きだったしもっとやりたかったんだけどなー。」


もしかしたら探偵事務所も

経営不振だとかで

経済的に安定しなかったのかも。

今になってそう言った

お金のことだったのかな、と

推測することはできるけど、

当時は…今もだけど…

理由を教えてもらえなくて

悲しかったことは覚えている。


七「麗ちゃんは?何でやめちゃったの?」


麗香「あー…ね。そうだなー…。」


言葉を選んでいるのか

口の隙間から声が漏れている。


麗香「中学生になる前だったし、勉強に集中しようかなって感じだったっけね。」


七「そうなんだ!勉強得意なの?」


麗香「苦手ではないね。」


七「すごい!何でできるの?」


麗香「案外面白いところもあるからね。興味ないやつはとことん面倒なだけだけど。」


七「今度教えて!あ、夏休みの宿題全部!」


麗香「それは無理だけど…でも試験前とか受験とか、私が忙しい時期じゃなければ手伝えるよ。」


七「ほんと!?」


麗香「うん。」


七「じゃあ、また会える!?」


麗香「あー…まあ、多分。」


七「やったー!」


ぴょんぴょん飛び跳ねてから気づく。

炭酸を買ってもらってたんだった。

開けるのはもう少し後にしよう。


七「そーだ、麗ちゃんのお家、この辺なの?」


麗香「ううん。ちょっと用事があって。」


七「何の用事?大学?あ、バイト?」


麗香「…友達の家…かな。」


七「へー!大学の人なの?」


麗香「ううん。高校時代の。」


七「高校の時の!すごーい!今でも連絡取るんだ!高校の友達って一生の友達って言うもんね。」


麗香「うん。」


七「遊びに行ってきたの?一緒にお昼食べたりしたの?」


麗香「そんな気になる?」


七「うん!だって麗ちゃんのことだし!」


麗香「そう。」


麗ちゃんは余った分のお茶を鞄に入れ

「そろそろ行こっかな」なんて言う。

急いでいたのかな?

炭酸ジュースを握りしめたまま

歩き始めてしまった麗ちゃんの背中を追い、

隣をてとてと歩く。


七「ねーねー、何してたのー。」


麗香「何でもよくない?」


七「そんな言いたくないようなことしてたのー?」


麗香「はぁ…。」


七「ねーえー。」


麗香「友達、足を悪くしてるの。だから、お見舞いとちょっと手伝い。」


七「そうなんだ!これからも行くの?」


麗香「多分。」


七「そっかー。いいよねー、その友達も麗ちゃんがきてくれてきっと」


麗香「良くないよ。」


七「え?」


麗香「良くない。」


麗ちゃんは歩くスピードを早めた。

行き先は駅の方らしい。

徐々に人が増えていく。

置いていかれないように

小走りで隣に居続けた。


七「何で?」


麗香「何でも。」


七「だって、お見舞いとお手伝いでしょ?嬉しいじゃん!」


麗香「七がわからないようなこともあるの。」


七「そりゃわからないよ!久しぶりに会って、ちょっと話しただけだもん!」


麗香「だからこそ、軽率に突っ込んで欲しくない話なの。わかって。」


七「えー…わかんない。聞かなきゃわかんないじゃん。」


麗香「そっか。」


七「そうだよ!ね、もう帰っちゃうの?」


麗香「うん。」


七「また会える?会おうね!絶対!」


麗香「また何かがあればね。」


最後、麗ちゃんは振り返って、

少しだけ目を細めた。

それが、私には優しく笑いかけて

くれているように見えて、

遠くなっていく彼女に手を上げて振った。

麗ちゃんも小さく手を振ってくれた。

安心した。

多分、多分だけど、

また会える気がした。


どうして急に

そっけない態度になっちゃったのか

どうしてもピンとこない。

でも、麗ちゃんが言っていたように

軽率に触れて欲しくないところに

触れちゃったんだろうな。


七「…。」


まさか、麗ちゃんに会えるなんて。

あの夏の、塩素の染む残り香が

今では微塵も感じられなかった。


きゅ、と鞄の紐を握る。

知りたい。

麗ちゃんがあんなふうに

話をしない理由、

その裏にある事実を何かしら。


知りたい。

そう思ってしまった。

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