高校生探偵シン、異世界に転移する

ならで

第1話 禁足地に行っただけなのに

「シン、だめだよ! 危ないよー!」


 そう叫んでいるのは幼馴染のアンナだ。大きな眼鏡を顔から滑り落ちそうにさせながら、必死で叫んでいる様子は俺の心には響かなかった。


「大丈夫だって。心配ならそこで待っててね」


 そういいながら、俺はずんずんと禁足地『ヤマオロチの藪』を進んでいく。


 一歩歩くたびに泥が跳ねあがり、学ランの足元が汚れていくのを感じる。家に帰ったら母に怒られるだろうと思いながらも、激しい好奇心は止められない。


 俺はさらに奥へと足を進めていく。


 禁足地とは、歴史的もしくは宗教的な理由で立ち入り禁止になっている場所のことだ。この『ヤマオロチの藪』もその一つだった。


 しかし、この場所は立ち入り禁止の理由は不明だ。色々な説はあるものの結局はっきりしない。俺はその理由が気になって気になって、とうとうこの禁足地に足を踏み入れることにしたのだ。


 思えば俺は昔からそういうたちの人間だった。幼稚園の時は台風で増水した川がどうなっているのか気になって家をこっそり抜け出した。小学生の時はクマが出て立ち入り禁止の山に、クマを見るために入り込んだ。どちらも運よく死にはしなかったが、周囲には大変な迷惑をかけた……。そして散々反省文をかいたものだ。


 高校生になった今なら無謀だったとわかるが、それでも俺はやっただろう。今俺がそうしているように。


 それくらい俺は自分の好奇心に弱い。知らないことを知るためなら死んでもいい、なんて思っているつもりはない。しかし周囲はそう思っているようで、明日にも死にそうランキングで俺は一位に輝いた。……ちっともうれしくない。


 でも俺は知りたい。知らないことを知らないままにするなんてもったいない。死にたいわけではないけれど、僕の中では知識欲が生存欲を抑え込んでいるのかもしれない。


 そんなことを考えていると、いつの間にかかなり奥まで進んできたようだ。足元はさらに悪くなり泥が緩い。立ち止まっていると地面に埋まっていってしまいそうだ。


 俺は足をひきぬくようにしながら、奥へ奥へと足を進める。


 すると、何か妙に新しく見える祠があった。白木で作られており、なにやら神聖な雰囲気がただよっている。


 禁足地になったのはもっとずっと前のはずなのに、なぜこの祠は新しいのだろうか。最近、管理者により建て直された? それだけ古いものだったのだろうか? こんなに守られているこの祠には、一体何が入っているのだろうか……。


 俺は祠に手を伸ばす。大丈夫。開けるだけだ。何か悪いことをしようとしているわけではない。


 俺は祠の扉に手をかけると一気に引っ張る。特になんのひっかかりもなく、簡単に扉は開いた。そして中をのぞくと、玉虫色に輝く小さな玉が、座布団のようなものの上に置かれているのが見えた。


「……なんだこれ」


 俺はその玉を手に取ってみる。もちろん罰当たりなことだとわかっていた。それなのに、なぜか手は動いてしまう。


 固く、冷たい。金属でできているのかと思いもしたが、それにしては軽すぎる。手のひらで何度か転がすが、これがなんなのかはまったくわからなかった。


―呑んでしまえ―


 そんな言葉が頭の中で響く。


 いやいや、吞むなんて。なんの脈絡もないじゃないか。そう思いながらも、俺の手はその玉を口に運び始める。


 嘘だ。俺はこんなこと望んでいない。


 しかし手は止まらない。口を固く閉ざそうとしても、何かが無理やり口を開いてくる。


「い、いやだ!」


 そう思わず叫んだ俺の視界の端に、アンナの姿が見えた。


 泥でぐしゃぐしゃの姿で、みつあみも半分崩れている。アンナは必死に僕に手を伸ばし、叫ぶ。


「だめ! シン、やめて!」


 しかしアンナの静止もむなしく、僕の喉を玉が通過した。なんの味もしない。だが、なぜか妙な満足感があった。


 そして次の瞬間、足元の泥が数多の人の手へと姿を変える。人の手は俺の体をつかみ、地面へと引きずり込み始める。


「シン、こっちへ……」


 アンナは俺に必死に手をのばす。俺もまた、アンナの手を必死に握った。やわらかく、小さい手だった。そんな彼女がこの藪の中を走るのはどれだけ恐ろしく、どれだけ難しいことだっただろうか。俺はアンナにそんなことをさせてしまったことを恥じた。


 俺の体はどんどん地面に沈む。アンナは必死にひっぱりあげようとするが、俺の体は持ち上がらない。このままではアンナまで沈んでしまうかもしれない。俺は意を決して、アンナに言う。


「アンナ、頼む、手を離してくれ」


「……でも!」


 アンナは涙を浮かべて首を振る。


「……大人を呼んできてくれよ。な?」


 そう言う俺はすでに肩まで地面に沈んでいた。


 アンナは少し思案したあと、キラキラと輝く目を俺に向けた。


「私、必ず戻るから! シンのこと、絶対助けるから!」


 そう言い残すと、アンナはすぐに走り出す。泥をまきちらし、藪の蔓を引きちぎりながら走る姿はどこか勇ましかった。


 俺は安堵の息をつきながら、ゆっくりと沈む。もはや息をするのがやっとだった。俺はここで死ぬんだな、そう思いながら俺は意識を手放した。






 そして次に目を覚ました時。俺は生きていた。


 しかし全く知らない空気、全く知らない景色。ここは俺の生きていた世界ではない。


 ここはいったいどこだ?


 学生服はそのままだが、見るも無残にぼろぼろだ。ドロドロだし、ところどころ引きちぎれている。ということは地面を通り抜けた先に、こんな世界があったのだろうか。


 俺は懲りることもなく、またも、知らないことを知るために走り始める。


 一瞬、脳裏にアンナのことが浮かんだが、すぐに消えてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る