アポカリプスカフェテラス

白雪れもん

第1話天使と悪魔とコーヒーの香り

薄暗い照明とアンティークな家具が並ぶ、どこか懐かしい雰囲気のカフェテリア。ここは「アポカリプスカフェテラス」と呼ばれる場所。現実とあの世の狭間に位置し、死者たちが天国か地獄かの行き先を決められるまでの間、しばしの休息を取るために訪れる場所だ。


カウンターの奥には、店主のアルマが静かにコーヒーを淹れている。彼女は銀髪で、どこか神秘的な雰囲気を持つが、口調は穏やかで親しみやすい。アルマはこのカフェテリアを営んで数百年になるが、彼女にとって、ここでの一日一日は変わらない。


その日も、カフェの扉が軽やかな音を立てて開いた。現れたのは、迷い込んだばかりの死者だった。彼はスーツを着た若い男性で、戸惑いの表情を浮かべている。


「いらっしゃいませ、どうぞこちらへ。何をお飲みになりますか?」

アルマは微笑みながら、メニューを手渡した。メニューには、あらゆる種類の飲み物が記されているが、それらはただの飲み物ではない。選んだ飲み物によって、魂の行き先が少しだけ変わることがあるのだ。


「コーヒー、ブラックでお願いします。」

男性は少し緊張した声で注文した。


アルマは無言で頷き、丁寧にコーヒーを淹れ始めた。カフェ全体に、深いコーヒーの香りが漂い始める。


「ここは…何なんですか?」

男性が不安そうに尋ねた。


「ここは、次の世界へ行く前に少し休んでいく場所です。飲み物をお楽しみください。少しだけですが、心が落ち着くはずです。」


男性は少し安心したように、コーヒーカップを手に取った。彼は一口飲み、そして深く息を吐いた。コーヒーの温かさが彼の冷えた心に染み渡っていく。


その時、カフェの奥からもう一人の客が現れた。黒い翼を持つ悪魔のような姿だが、彼は親しげにアルマに話しかけた。


「アルマ、いつもと同じエスプレッソを頼むよ。」


アルマは軽く頷き、手早くエスプレッソを準備し始めた。悪魔は男性の隣に座り、にやりと笑った。


「お前、こっち側に来るのか?」


男性は驚いて顔を上げたが、アルマは静かに言った。


「まだ決まっていませんよ。ここはただの待ち合わせの場所です。あなたの未来は、まだ変わるかもしれません。」


カフェテリアには、ふわふわとした時間が流れ続ける。死者たちはこの不思議な場所で、短い間だけだが、自分自身と向き合うことになる。


そしてアルマは、そんな彼らを静かに見守りながら、今日もまたコーヒーを淹れ続けるのだった。


ある日の「アポカリプスカフェテラス」は、柔らかな午後の日差しに包まれていた。店内は心地よい静けさに満ちており、アルマはカウンターで新作のケーキを仕上げていた。今日はショートケーキを試作している。ふんわりとしたスポンジに甘さ控えめの生クリーム、そして新鮮な苺をたっぷりとのせた、見た目にも可愛らしいケーキだ。


「このケーキ、なかなか上手くできたかも。」


アルマは満足そうに微笑みながら、ケーキをカウンターに置いた。ちょうどその時、カフェの扉が静かに開いた。入ってきたのは、やや年配の女性だった。彼女は少しぼんやりとした表情で、アルマに気づかずに辺りを見渡している。


「いらっしゃいませ。どうぞおかけください。」


アルマの声に驚いたように、女性ははっとして振り返った。その目には戸惑いと不安が浮かんでいる。


「ここは…どこなのかしら?」


「ここは『アポカリプスカフェテラス』です。しばらくの間、ここで休んでくださいね。」


アルマは優しく声をかけながら、彼女を窓際の席に案内した。女性はおずおずと椅子に腰を下ろし、困惑した様子でアルマを見上げる。


「私は…どうしてここに?」


「大丈夫です、焦らないで。少しずつ思い出していきましょう。まずは、お茶かコーヒーでもいかがですか?」


女性はしばらく考えた後、「紅茶をお願いします」と小さな声で答えた。アルマは頷き、丁寧に紅茶を淹れて女性の前に置いた。そして、新作のショートケーキも一緒に提供した。


「このケーキ、私が作ったばかりなんです。よろしければ、どうぞ。」


女性はケーキを見つめ、そっとフォークを手に取った。口に運ぶと、ふわりとした甘さが広がり、彼女の顔に少しだけ微笑みが浮かんだ。


「この味、どこか懐かしい気がします。」


アルマは頷きながら静かに言った。「それは、きっと大切な記憶に結びついているのでしょう。ゆっくり思い出していってください。」


女性は紅茶を飲みながら、少しずつ自分の過去を思い出し始めた。彼女は昔、ケーキ屋を営んでいたこと、自分でケーキを焼いていたこと、そして大切な人々とそのケーキを囲んで過ごした日々のこと。


「でも、どうしてこんなに大事なことを忘れていたのかしら…」


彼女の目に涙が浮かんだ。アルマはそっと彼女の手に触れ、優しく言った。


「時には、大切な記憶が心の奥底に隠れてしまうこともあります。でも、こうして少しずつ思い出すことができるのです。それが、あなたの心の中でまた輝き出すように。」


女性はしばらく涙を拭い、やがて微笑みを取り戻した。「ありがとう…あなたのおかげで、大切なものを思い出すことができました。」


アルマは静かに微笑んで頷いた。そして、店内に静かな安らぎの時間が流れ続ける。


その後、女性はケーキを食べ終え、ゆっくりと紅茶を飲み干すと、まるで何かを決心したかのように席を立った。


「もう、行かなければならないのですね。」


アルマは優しく見送った。「はい、次の場所へ行く準備ができたのですね。でも、いつでもまたここに戻ってきてくださいね。」


女性は感謝の気持ちを込めてアルマにお辞儀をし、静かにカフェを後にした。


その後も、アルマはカフェテリアで静かに過ごしながら、次の訪問者を待ち続けるのだった。ふわふわとした時間の中で、今日もまた一つの魂が新たな旅立ちを迎えた。

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