裸電球

がらなが

1

 ここは部屋だ。アパートの、人が入る前みたいな無機質さを感じられる部屋。それもそうだ、この部屋には家具らしい家具は置かれていない。薄らと消毒薬の匂いがして、部屋の真ん中に吊り下げられた、裸電球だけがゆらゆらと揺れていた。


 俺はこの部屋が一体どこにあって、誰の部屋なのか見当もつかない。気が付いたらここにいた。

 大体の予測にはなるが、4畳くらいの広さだろうか。四方の壁と天井には白くてざらついた壁紙が貼られていて、壁には一か所だけはめ殺しの窓があった。窓の外はペンキでべったりと塗りたくったような、わざとらしいまでの雲一つない青空がそこに広がっている。気味悪いことに、窓はその青空を映すのみで、光を取り入れていなかった。


「ツキ、聞こえてる?」


 聞き馴染みのある声がしてきた。この部屋には俺以外誰も居なくて、部屋の真ん中で裸電球が揺れているだけなのにだ。まさかな、いや、でもまあ、一応確かめてみるか。電球に近づき、白くぼやけたガラス玉をコツコツと爪で叩く。

「おわ⁉ツキやめて、なんかガンガン響くから!」

 電球は俺の名前を叫んで細かく左右に揺れた。電球が作り出した壁のぼやけた光の線も、つられて揺れている。

「もしかして、カナタか……?」

「うん、そう」

 電球が喋っている。それも、十数年と付き合いのある幼馴染の声で。



「気付いたらここにいてさ、ほんと訳分かんないね」

 俺の知っている幼馴染のカナタは間違いなく人間だ。真っ黒な俺の髪と比べて明るい団栗みたいな髪色をした奴で、手と足の生えて光りもしない人間。

 それがどういう訳か、今は丸くて白いガラス玉の電球になっていた。幼馴染は状況に似合わずさぞ愉快そうに喋っている。どうやって喋っているのか見当もつかない。恐らくそれは本人もだろう。

「どうなってんだよ……」

「本当にねえ」

 状況に似合わずヘラヘラと笑う電球に思わずため息を吐く。カナタはそういうやつだった。教師に怒鳴られてる時も笑みを浮かべてて猶更怒られるような奴だったし、就職先がなかなか決まらなかった時も「なるようになるんじゃないかな」と言って鼻歌を歌いながら求人票を見ていた。

「なあ、俺達いつからここにいたか分かるか」

「さあ……、さっきも言ったように気付いたらこういう状況だったから。しかもこの部屋、時間の感覚よく分かんないだよね」

 窓に近づき外を見てみるが、太陽も見当たらず今が何時なのかも分からない。下の方を覗き、後悔した。そこには青色以外何もない。地面も、建物の壁も見当たらない。ただただ群青が広がっていた。

 肌が粟立つ感覚がして、顔を顰めながら窓から離れる。部屋には出口らしき扉もない。出来そうなことも無く、俺は電球の下に胡坐をかいて座った。

「窓の外どうなってたの?」

「気にしないでいい。別に普通だ」

「……相変わらず嘘が下手だね。目線泳いでるよ」

 見透かされて、思わず舌打ちをする。

「態度悪い」

「うるさい、気使ってやったんだから察しろ」

 立ち上がって電球を左右に振ると、カナタの活きのいい悲鳴が聞こえてきた。

 そういえばこの電球、取り外せるんだろうか。反時計回りにひねってみるが、びくともしなかった。


「ねえツキ、ここに来る前のことは覚えてる?」

「いや、全く」

「……そうだよねえ、うーん」

 カナタは一瞬黙ってから、考え込む。

 この部屋ではこいつの作る光しか光源がない。そのせいで部屋は薄暗いが、カナタの態度がずっと軽い感じだからか陰鬱な空気にならずに済んでいた。

「駄目だ。何考えたらいいかも分かんない」

 やけくそ気味に言い放つカナタの心境に合わせてか、電球が目に優しくない早さで明滅する。ほんとどうなってんだよこれ。

「ツキ、もうこうなったら気分転換でもしようよ」

「気分転換?」

 明滅が収まり、また電球はぼんやりと光り出した。気のせいか、さっきよりも光が弱い気がする。本当にちょっとした違いなので口には出さなかったが。

「そう。出口は無し、ツキの反応見るに窓の外もヤバい。おまけに俺は電球。こんなの考えたってもうどうしようもなくない?」

「まあ、確かにそうだけど……」

「なら、適当に時間でも潰そうよ。そのうち助けとか来るかもしれないじゃん」

「……分かった。で、なに話す」

「そうだねえ」

 少しの間部屋は沈黙で包まれる。外から何も聞こえてこないせいで、無音もいいところだ。

 静かすぎて耳鳴りがしてきた時、カナタが朝食の内容を聞くみたいに喋り始めた。


「人生で一番嬉しかった時っていつだった?」


 +


 俺は唸った。まだ20代そこらなのに、人生で一番嬉しかった瞬間を即答出来るやつがいるんだろうか。少なくとも俺は無理だ。嬉しいと感じた瞬間が皆無なわけでは断じてない。こういう、何かで一番を決めるのは苦手だったからだ。数値で測れるものであればすぐに答えようがあるが、嬉しかった時となるとそうもいかない。

「……参ったな」

「随分お悩みのようだね」

「当たり前だろ。随分難しい話振りやがって」

「そう?ぱっと出てこない?」

「俺が優柔不断なの分かってるだろ」

 年配の人間からは若造扱いされる年齢だが、それでも23年分の思い出が俺の脳みそには詰まってる。そこから1番を決めろって言うのか。

「分かった、手伝ってやるよ。例えば中学で懸賞が当たった時はどうだった?」

「……あったなそんなこと」

「箱根に行けたんだろ?俺だったら浮かれまくるけど」

「確かに嬉しかったが、一番かって言われると微妙だな……」


 顎を掴み必死に記憶を掘り返していく。そうしている間に、電球の光が突然消えた。光源が消えるとこの部屋は闇に包まれる。自分の指の先すら見えなくなった空間で、小さな呻き声が聞こえた気がした。

「カナタ……?」

 10秒もしないうちに再び電球に光が灯る。白いガラス玉の光は、さっきより確実に光が弱い。

「お前、大丈夫か?」

「……うん、平気平気。ちょっとぼーっとしてたわ」

 言葉に反して、語尾が尻すぼみしている。それでもカナタは取り繕うようにヘラヘラ笑った。

「……いやあ、ほんと変な所だわ」

「なあ、ほんとに大丈夫なのかよ」

「大丈夫だってば。それよりさ、後ろ見てみなよ」

「後ろ?なにもないだ……」


 背を向けていた方の壁を見て、息を呑んだ。そこはさっきまで壁のはずだった。白くざらついた壁紙が貼られていた壁。そこに今は、木製の古い扉があった。

「嘘だろ……」

「なんだろう、出口かな」

 カナタがぼそっと呟いた。なんだか、その声が随分掠れたようにも聞こえた。

 扉に近づき耳を当ててみる。中からは、カタカタと何かの音がした。

「多分、違うと思う……」

 息を深く吐き、気分を落ち着ける。ドアノブに手を掛けた。

「入るの?」

「なんか、ここから出られるヒントがあるかもしれないだろ」

「危ないのが中にいるかも知れないよ……?」

「変なこと言うなよ、入るの俺なんだから……!」

 宙に吊り下がりユラユラ揺れる電球を、部屋に放り込むことなんて出来やしない。俺が行くしか無いのだ。

 ドアノブの冷たさを手の平に感じる。この部屋の中に涎を垂らした化け物がいる嫌な妄想をしてしまい、それを振り払うように扉を押した。


「なんだよこれ……」

 幸い、部屋の中に化け物はいなかった。化け物はいなかったがその変わり、壁際のスクリーンに二人の子供が映し出されてる。

「カナタと俺、だよな……」

 二人の子供は、小さい頃の俺達だった。


 

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