風は谷を渡る雲を追う
和之
第1話 父の店
それまで藤波は社会人として十年以上、自分を騙しながら会社勤めをしたが、性に合わないのが分かり、親父の調子も悪くなり、彼は実家に戻ることにした。
その前から人に使われるのが気に入らず、何とかこれなら人から文句を言われず、適当に客あしらいもすればそこそこ一人でやっていけた。
藤波は個性が強すぎて自我が激しく、それが表に出るところが、彼の社会生活では欠点として目立った。親父が急に悪くなったのもあるが、亡くなる前の一年半ほどの特訓で、何とか食材を工夫して親父が出していたメニューの半分ぐらいは作れるようになった。後は出来合い物で何とか賄いながら、以前のメニューの復活に取り組んでいた。
今日も先代からの常連に教えを請うて、段々おやっさんの味に近づいてきたと言われるようになった。しかしまだ大半は冷凍物を解凍して、市販の調味料を隠し味と偽って出していた。それでも客は残さず食べてくれた。この場合は手頃な料金も受けているが、親父が遺した人徳のありがたさが身にしみた。
数百メートル南西方向には祇園花見小路で、その辺りは深夜の一時でも人通りは多く、タクシーも頻繁に流している。此処は祇園の場末になり、接待や待ち合わせで祇園花見小路へ行く通り道だ。夜遅く十一時を過ぎると客足が遠退き、いつも十二時には店を閉めて暖簾を下げる。翌日は午後の三時頃から準備を始める。独身で借家でなければ贅沢をしなければそれでやっていける。常連客も十数人居て、日曜の定休日以外は毎日四、五人は来て売り上げに貢献してくれる。常連客に言わすと、なんぼ
この日の常連客は四人だが、やっさんと呼ばれる人は近所でなく、帰りの電車をいつも気にしながら呑んでいた。後の三人は還暦を超えて、その内の長老は八十を超えてると噂だが、それをやっさんは、バイデン大統領もあれでちゃんとやっている。いつも歳を言われるとみんな同じやとやり返している。
「そうは言うてもやっさん、大統領に近いのは歳だけで後は雲泥の差やでえ」
と源さんと呼ばれるじいさんがやっさんを比喩をしていた。
そこでみんな一緒やと笑った。残りも七十前後だから彼らに言わすと三十二歳の藤波は孫のようなもんだ。彼らにはもう歳より、残った人生をいかに有意義に過ごすか、その為に此処へ酒を呑みに来ている。
「毎日ここに来るのは年金があるさかいや、週に二回しか来やへんあの山崎のじいさんは年金ではやっていけへんさかい工事現場の警備員もやっとる」
「エッ、あのじいさんもう七十と
「しゃないがなあ、足らんにゃ年金が」
「同じ支給額なのに、ならどうして山崎のじいさんはまだ働かなアカンのんや」
「毎日此処へ呑みに来られるあの山崎のじいさんとわしらとは、借家と持ち家の違いや。あのじいさんは若い頃に住宅ローンせんと遊んでいたんや。その報いがきてるんや」
「大半の
「わしらみたいに毎日此処で呑んで寝るだけの生活を若いときから考えておかなあかんちゅうこっちゃ」
「そやけど、そっちの三人は此処の藤波はんと一緒で親の家を相続しただけや」
「そやなあ。やっさんは郊外に苦労してやっと定年前に家のローンを払い終ったんやなあ」
親父が良いなじみ客ばかり遺してくれたお陰で、小言を頂戴することもなく、味付けの指導までして貰った。そうしてくれるのは、連中にしてみれば五十代でぽっくりは 余りにも早い若い死で、遺された藤波をその分可愛がっていた。サラリーマン時代は付き合いで居酒屋にも行ったが、客が店の
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