作品5『ディナーにウソをおひとつ。』

安乃澤 真平

『ディナーにウソをおひとつ。』

たまには外食しようと思った。


いつもと同じ時間に仕事を終え、いつもと同じ電車に乗る。

いつもと大体同じ乗客と一緒に、いつもと同じ景色のホームに降りる。


いつもと同じ足音を聞きながらいつもと同じ駅の階段を下ると、

やはりいつもと同じ街中の音と灯りを見聞きする。


そしていつもと同じコンビニに寄ってあれこれ物色することが楽しみだった。

でもなぜかきょうは通り過ぎてしまった。


むしろコンビニの方が私の横を通り過ぎて行ったような気がする。

私の中の歯車が変わってしまったように、ふと外食しようと思った。


店はどこでもよかった。

吸い寄せられるように歩いて行った先には暗い商店街があって、

そこで営業しているお店はたった一つだけだった。


店先のイーゼルには、お一人様のみ、と縦に書かれてあって、メニューはない。

なんだかよくわからなかったけれど、

ここしかないからここでいいかと思って入ることにした。


「いらっしゃいませ。どうぞこちらにおかけになってお待ちください。」


絵に描いた執事のような店主が出てきてそう言った。

案内された席には、予約席、と書き加えられたお店の名刺が、

地球をかたどったメモスタンドに添えられていた。


「ここ予約席みたいですけど。」

「お客様が当店の前に立っていらしたのが見えましたので、

 きっといらっしゃるだろうと思ってただいま予約席にいたしました。」


そんなもんかと思ったが、なんだかそれが嬉しい。

変哲もない日常に、変哲もない自分。

人生で初めて特別扱いされたような気がする。


メニューは訊かなくても、ディナーコースの一択とわかった。

それは名刺にそう書かれてあったからで、

私が名刺を見たと気づいたらしい店主も料理のことは何も言わなかった。


ただ、気になる一文が、その名刺の裏に書かれてあった。


~ディナーにウソをおひとつ~


「これ、なんですか?」

「文字通りでございます。」


「ウソつかれるってことですか。」

「ええ。ただ少し違います。ウソをつく、だと少し聞こえが悪いですから。」


店主は空のコップを取りながら続けた。


「あえて、ウソを差し上げよう、かと思います。お気づきになられましたら、ぜひお知らせください。」


店主は私の困惑を楽しむように、水を出してくれた。


「これは水です。」

「もしかして、それがウソですか。」

「どうでしょう。」


店主は口ひげをつまみながら笑った。


それから次々と出されるコース料理は、

和食にフレンチ、そしてイタリアン、デザートは中華と折衷もいいところだ。

でも味も量も非常に良かった。


最後に出されたのは緑茶で、

「これは水です。」

とまた言われたので、

「やっぱりそれがウソですか。」

と訊くが、

「いえいえ、これは冗談です。」

などと言ってまた笑っている。


結局、何がウソなのか最後までわからなかった。


「ぜひまたお越しください。」


店主の言葉を背に受けながら、私は店を後にした。


おかしなお店だと思った。でも気さくな店主には心を惹かれた。

だからたまにはいいかとも思った。


そんなことを考えながら歩いていると、

そういえば店名をよく見ていなかったことを思い出した。


私は気になって、そのまま来た道を引き返して店名を確かめようとしたが、

困ったことに、いくら探してもその店を見つけることができなかった。


いつもと同じ暗い商店街で、落書きばかりのシャッターがいくつも並んでいる。


何て名前の店だったんだろう。

そう思うと、自分がどんな料理を食べたのか思い出せなくなった。

どんな店主と話していたのか。いくらだったのか。思い出せない。


「あれ、そもそもなんか食べたんだっけ。」


帰りの途中でコンビニに寄って、

レジの前で財布を取り出して中を覗いたら、

思っていたより五千円ぐらい少ない気がした。


あぁ、また何かに騙されたんだ。


そう思って納得がいった。


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作品5『ディナーにウソをおひとつ。』 安乃澤 真平 @azaneska

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