第6話 夢に描いた家


「…………もしそうだったら、どうします?」


 青年は『にやっ』という効果音がよく似合う意地の悪い笑みで、案理を見下ろしてくる。


「そうね……。お手紙を食べるヤギさんと同じようなものとして、あなたをもてなすことにするわ。経緯がどうあれ、お招きしたのは私だもの。そのくらいはして当然よ」


 だが、その程度のことで動じる案理ではない。少し眠たげな瞳の奥に宿る光は、闇に冴える刃物のよう。


「具体的には?」


「あなたのお食事用に、水風船を用意してあげると言っているの。きっと売っているでしょう。今はネット通販で色々な物が買えてしまう時代だもの。高度な文明を築き上げた先人たちと、私の寛大な措置に感謝することね」


「…………冗談です。すみませんでした。僕が食べてしまったわけではありません」


 あっさり白状した青年は色を失っていたが、元の肌も青みの強く出ている肌色をしており、長きにわたって地下室で監禁生活を強いられてきたのだ――――なんて言われたら、うっかり信じてしまいそうなほどに、彼は日焼けとは無縁だった。

 

「わかればいいの。それで、水風船はどこに消えてしまったの?」


 全裸の青年が粛々と謝罪するさまがおかしく、案理はだらしなく緩む口元を必死に押さえた。『本当は勝ち誇った笑みを見せたかった』と、本人も思っているとかいないとか。


「…………さあ、それが僕にもよくわからなくて」


 答えるまでには妙な間があった。


「そんなことあるかしら?」


 青年はふいっと視線を逸らしたが、案理は一歩、二歩と距離を詰め、彼の視界に入り込む。


「じゃあ、逆に聞きますけど。貴女はお風呂に入るときに、ずっと目を開けてますか?」


 開き直った様子の青年は、質問を質問で踏み倒した。


「……うとうとして、湯船に浸かっている時間の半分以上は閉じてしまっているかも……」


 素直な性質の案理は、途端に自信なさげに視線を彷徨わせ始めた。


「そういうことですよ」


 青年はわざとらしくため息をついたが、その表情は穏やかで、呆れではなく安堵を孕んでいるようだった。


「どうしてあんなものにこだわるんです? ただのがらくたじゃないですか」


 棘のある声だ。視覚イメージに起こすのであれば、全面を鋭い棘に覆われているかのような。


 案理の関心がひたすらに自分ではなく水風船に注がれていることが気に食わない――――といったような解釈さえ可能かもしれない。


「あんなものって……。そうかもしれないけれど、気に入っていたから残念で…………」


「残念?」


 わずかに動いた眉に、瞳の奥を駆けていった閃光。


 それは些細な、ほんの些細な変化だった。ここまでの会話をすべて傍受していた者がいたとて、気付いていたかどうか疑わしい。


「ええ。とても素敵な絵柄だったでしょう? 『あんなおうちに住んでみたい』と思ってしまうような、夢に描いていたような……」


 胸元で指を組む案理の頬は、薔薇色に染まっていた。


「…………ふふふ。そうですか。?」


 口元を覆い隠した青年だが、深い笑みは目元にも及んでいた。

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