花火職人:煌夜星華さん

◆新星の誕生 ~1年目の朝霧~


 夜明け前の薄暗がりの中、私は目を覚ました。部屋の窓から差し込む微かな光が、まるで花火の残光のように感じられる。私の名前は星華。20歳になったばかりの新米花火職人だ。


 起き上がると、鏡に映る自分の姿に少し戸惑う。短く切りそろえた黒髪に、まだあどけなさの残る顔。でも、この手は既に職人の手だ。薬品(*1)を扱う作業で荒れた指先を見つめながら、私は深呼吸をする。


「よし、今日も頑張ろう」


 声に出して自分を鼓舞すると、少し気持ちが引き締まる。


 朝食を済ませ、作業着に着替える。化粧は最小限にとどめ、髪は後ろでしっかりとまとめる。安全第一。それが花火職人の鉄則だ。


 工房に向かう道すがら、朝もやの中を歩く。まだ街は静かで、遠くに聞こえる鳥のさえずりだけが、新しい一日の始まりを告げている。


 工房に到着すると、先輩の火龍さんが既に作業を始めていた。


「おはよう、星華。今日は玉(*2)の仕込みだ。頑張ろうな」


「はい、火龍さん! よろしくお願いします」


 私は元気よく返事をしながら、内心では緊張していた。玉の仕込みは花火製作の要。ここで失敗すれば、打ち上げの時に不発や形の崩れにつながってしまう。


 作業台に向かい、慎重に薬品を計量し始める。硝酸カリウム、硫黄、木炭……それぞれの配合を間違えれば、色や形が狂ってしまう。私は何度も確認しながら、粉末を混ぜていく。


「星華、その手つきはなかなかだな。でも、もう少しリズミカルに混ぜるといい。こうやってな」


 火龍さんが隣で手本を見せてくれる。大きな手で器用に薬品を混ぜる姿に、思わず見とれてしまう。


「はい、ありがとうございます!」


 私は必死に火龍さんの動きを真似る。男性ばかりの職場で、唯一の女性である私。周りの視線を気にしながらも、ひたすら作業に没頭した。


 昼休憩。工房の外で、同期の閃也くんと弁当を広げる。


「星華、今日の玉の仕込み、上手くいってる?」


「うん、なんとかね。でも、まだまだ先輩たちには遠く及ばないわ」


「そうかな? 俺から見たら、星華の方が才能あるように見えるけどな」


 閃也くんの言葉に、少し照れくさくなる。でも、本当のところはまだ自信が持てない。女性だからといって特別扱いされたくはない。むしろ、それ以上の努力をして認められたいんだ。


 午後の作業は、打ち上げ筒(*3)の準備。重い筒を持ち上げるのは、正直きつい。でも、弱音を吐くわけにはいかない。歯を食いしばって、黙々と作業を続ける。


 夕方になり、今日の作業が終わる。疲れた体を引きずるようにして帰宅の途につく。家に着くと、まずはお風呂で一日の汗を流す。湯船につかりながら、ふと空を見上げる。


「いつか、私の作った花火で夜空を彩りたいな……」


 そんな夢を描きながら、私は目を閉じた。明日もまた、新しい挑戦が待っている。



◆咲き誇る花 ~5年目の夏空~


 真夏の朝日が昇る前、私は目を覚ました。窓から差し込む光が、今日の晴天を予感させる。25歳になった私、星華は、もう堂々とした花火職人と呼べる存在になっていた。


 鏡に映る自分の姿を確認する。短めのボブヘアは、作業の邪魔にならないよう整えられている。少し日焼けした肌に、引き締まった表情。5年間の経験が、私の外見にも内面にも刻まれていた。


「さあ、今日も燃えるぞ!」


 いつもの掛け声で自分を奮い立たせる。


 朝食を軽く済ませ、作業着に着替える。化粧は最小限だが、日焼け止めだけはしっかりと塗る。夏の屋外作業は過酷だ。


 工房に向かう道すがら、街はすでに活気に満ちていた。今夜は地元の花火大会。私たちの腕の見せ所だ。


 工房に到着すると、後輩の輝斗くんが駆け寄ってきた。


「おはようございます、星華さん! 今日の打ち上げ、楽しみですね」


「おはよう、輝斗くん。そうね、でも気は抜けないわよ。最後の確認をしっかりやろう」


 私は優しく微笑みながらも、厳しい眼差しを向ける。後輩の指導も、今では私の大切な仕事の一つだ。


 作業場に入ると、すぐに玉の最終チェックに取り掛かる。一つ一つの玉を丁寧に点検し、不備がないか確認していく。


「星華、三号玉(*4)の色合い、どう思う?」


 師匠の炎太郎さんが声をかけてきた。


「はい、確認します」


 私は慎重に三号玉を手に取り、中の薬剤を観察する。


「赤色の発色がやや弱いように感じます。酸化ストロンチウム(*5)を少し増やしてみては?」


「よく気づいたな。その通りだ。さすが星華、目が肥えてきたな」


 炎太郎さんの言葉に、内心で喜びを感じる。でも、まだまだ油断はできない。


 昼頃、打ち上げ場所の設営のため、現場に向かう。炎天下での作業は過酷だ。汗が滝のように流れる中、打ち上げ筒を一本一本慎重に設置していく。


「星華さん、水分補給を」


 同僚の閃光さんが冷たいお茶を差し出してくれる。


「ありがとう、閃光さん」


 一緒に働く仲間たちの優しさに、改めて感謝の気持ちが湧く。


 夕方になり、いよいよ本番間近。緊張が高まる中、私は後輩たちに最後の指示を出す。


「みんな、安全第一だ。何かあったらすぐに報告して。自分の担当以外にも目を配ること。そして何より、お客さんに感動を届けるんだ。頑張ろう!」


 夜空に打ち上がる最初の花火。歓声が上がる中、私は仲間たちと共に次々と花火を打ち上げていく。色とりどりの光が夜空を彩る。その中に、私が心血を注いで作り上げた新しい花火もある。


 打ち上げが終わり、片付けを終えた頃には深夜になっていた。疲れきった体で帰宅の途につく。家に着くと、まずはシャワーで汗を流す。


 ベッドに横たわりながら、今日の花火を思い返す。お客さんの歓声、仲間たちとの連携、そして夜空に咲いた美しい花――。


「まだまだ、上を目指せる」


 そう呟きながら、私は目を閉じた。明日からは、より大きな花火大会の準備が始まる。新たな挑戦への期待に、胸が高鳴るのを感じながら、私は眠りについた。



◆輝く銀河 ~10年目の冬空~


 真冬の早朝、星空がまだ瞬く中、私は目覚めた。窓の外は一面の銀世界。30歳になった私、星華は、今や花火業界で一目置かれる存在となっていた。


 鏡に向かい、整えられたショートヘアをさっと梳く。年齢を重ねた分だけ自信に満ちた表情。そして、10年の歳月が刻んだ細やかな技術の跡が手に残っている。


「さて、今日もきらめく宇宙を創造しよう」


 いつもの言葉で自分を鼓舞する。この言葉は、私の花火づくりに対する哲学でもあった。


 朝食はしっかりと取る。今日は重要な打ち合わせがある。メイクは薄めだが、凛とした雰囲気を醸し出すよう心がける。


 工房に向かう道すがら、雪を踏みしめる音が心地よい。真冬の花火大会。それは夏とはまた違った魅力がある。


 工房に到着すると、後輩たちが既に準備を始めていた。


「おはようございます、星華師匠!」


 かつての同期、閃也が声をかけてくる。今や彼も一人前の職人だ。


「おはよう、閃也。今日の打ち合わせ、緊張してる?」


「はい、少し……大手企業からの特注ですからね」


「大丈夫よ。私たちの技術なら、どんな要望にも応えられるわ」


 自信を持って答える私。しかし内心では、この仕事の重要性に身が引き締まる思いだった。


 会議室に入ると、既に取引先の方々が待っていた。


「お待たせしました。花火工房『星天』(*6)チーフデザイナーの星華です」


 私は凛とした態度で挨拶し、プレゼンテーションを始める。


「今回のテーマである『銀河の輝き』を表現するため、新しい技術を開発しました。星屑をイメージした極小の光点(*7)を、大きな花火の中に織り込むのです」


 会議は白熱し、技術的な質問が飛び交う。私は一つ一つ丁寧に、しかし自信を持って答えていく。


「星華さん、その革新的なアイデア、素晴らしいです。ぜひお願いしたい」


 取引先の言葉に、胸が高鳴る。


 昼食は工房の皆で取ることにした。


「みんな、いい知らせよ。新しい企画が通ったわ」


 歓声が上がる中、私は次の指示を出す。


「でも、これからが本番よ。今までにない花火を作り上げるの。全員の力が必要です」


 午後からは、新しい花火の試作に取り掛かる。薬品の配合を慎重に調整し、極小の光点を作り出す技術の開発に没頭する。


「星華さん、こんな感じでしょうか?」


 後輩の輝里が、試作品を持ってきた。


「うーん、もう少しね。粒子をもっと細かくして、光の持続時間を延ばしてみて」


 細かい指示を出しながら、私も自ら実験を重ねる。何度も失敗を繰り返しながら、少しずつ理想の形に近づいていく。


 夜遅く、ようやく満足のいく結果が出た。


「みんな、ありがとう。素晴らしい仕事だったわ」


 疲れた表情の中にも、達成感に満ちた笑顔が見られる。


 帰宅途中、雪が静かに降り始めた。家に着くと、まずは温かい風呂に浸かる。湯船の中で、ふと10年前の自分を思い出す。


 あの頃は、ただがむしゃらに頑張るだけだった。でも今は、後輩たちを導き、新しい技術を生み出す立場。結婚や出産はまだ先の話だが、この仕事に打ち込める幸せを感じている。


「まだまだ、極めるべきいただきがある」


 そう呟きながら、私は目を閉じた。明日からは、新しい花火の本格的な製作が始まる。夢と現実が交錯する世界で、私はまた新たな挑戦に向かって歩み始める。


(了)


注釈:

(*1) 薬品:花火の色や効果を生み出すための化学物質のこと。

(*2) 玉:花火の中心となる球状の部分で、打ち上げられて空中で開く。

(*3) 打ち上げ筒:花火を空中に打ち上げるための筒状の装置。

(*4) 三号玉:直径約9センチメートルの花火玉。中型の花火で、一般的な花火大会でよく使用される。

(*5) 酸化ストロンチウム:赤色の花火を作るために使用される化学物質。

(*6) 星天:「ほしぞら」と読む。星華が働く花火工房の名前。

(*7) 極小の光点:非常に小さな光の粒のこと。ここでは新しい花火技術を指す。



◆コロナ禍を乗り越えて ~花火職人たちの座談会~


 冬の作業を終えた後のある夜、星華たち花火工房「星天」のメンバーが集まった。暖かい鍋を囲みながら、彼らは過去を振り返り、未来を語り合う。


 星華が口火を切った。


「みんな、覚えてる? あの頃のこと……」


 その言葉に、部屋の空気が一瞬止まったかのように感じた。


 閃也が静かに頷いた。


「ああ、忘れられるもんか。コロナ禍で花火大会が次々と中止になって、本当に辛かったな」


 輝里が小さな声で付け加えた。


「私なんて、まだ修行を始めたばかりだったのに……突然仕事がなくなって、どうしていいか分からなくなりました」


 星華は深く息を吸い、ゆっくりと話し始めた。


「そうね。あの時は本当に厳しかった。大会の中止が決まるたびに、心が折れそうになった。でも……」


 彼女は一瞬言葉を切り、皆の顔を見回した。


「でも、私たちは諦めなかった。覚えてる? オンライン花火大会を企画したこと」


 炎太郎が笑いながら言った。


「ああ、あれは大変だったな。花火を打ち上げて、それをライブ配信するなんて、今まで誰もやったことがなかったからな」


 輝斗が興奮気味に付け加えた。


「でも、あれがきっかけで新しい可能性に気づいたんですよね。花火をより多くの人に届けられるって」


 星華は頷きながら続けた。


「そう、その通りよ。あの経験が、今の私たちの強みになっている。遠隔地への中継や、バーチャル花火大会の技術……みんなで苦労して開発したものが、今や私たちの売りになっているのよ」


 閃也が真剣な表情で言った。


「そうだな。あの時、くじけずに新しいことに挑戦し続けたから、今の俺たちがあるんだと思う」


 輝里が少し照れくさそうに付け加えた。


「私、あの時の星華さんの姿を見て、すごく勇気をもらいました。どんなに厳しい状況でも、前を向いて歩み続ける姿に……本当に憧れました」


 星華は少し驚いた表情を見せたが、すぐに優しい笑顔に戻った。


「ありがとう、輝里ちゃん。でも、私一人の力じゃない。みんながいたからこそ、乗り越えられたのよ」


 炎太郎が深くうなずいた。


「そうだな。あの頃は本当に大変だったが、逆境がチームを強くした。新しいアイデアを出し合って、試行錯誤を重ねて……あの経験が、今の『星天』の基礎になっているんだ」


 輝斗が熱心に言った。


「僕、あの時のことを思い出すと、まだ胸が締め付けられるような感じがします。でも、同時にすごく誇らしい気持ちにもなるんです。私たちは諦めなかった。そして、新しい道を切り開いた」


 星華はグラスを掲げた。


「そうね。私たちは、花火を愛する気持ちを忘れなかった。そして、その思いが新しい可能性を生み出したのよ。みんな、これからも一緒に頑張りましょう」


 全員がグラスを合わせ、部屋に温かい空気が満ちた。


 閃也が少し照れくさそうに言った。


「星華、覚えてる? あの時、君が言った言葉」


 星華は少し考え込んだ後、柔らかな笑顔を浮かべた。


「ああ、あれね。『花火は、どんな暗闇も照らす力がある。だから私たちも、この暗い時代を照らし続けよう』って」


 輝里が目を輝かせながら言った。


「その言葉、私の心の支えになりました。どんなに辛くても、花火には人々を元気づける力があるんだって、信じ続けられました」


 炎太郎が静かに付け加えた。


「そうだな。あの頃、我々は花火の新しい可能性を探り続けた。オンライン配信だけでなく、病院や介護施設での小規模な打ち上げも始めたんだ」


 輝斗が熱心に言った。


「そうですね! あの時の小さな打ち上げ、患者さんたちの笑顔を見たとき、本当に胸が熱くなりました」


 星華はしみじみと語った。


「そう、あの笑顔が私たちの原動力になったのよ。どんなに小さくても、花火には人々の心を癒す力がある。その確信が、私たちを前に進ませてくれた」


 閃也が真剣な表情で言った。


「あの経験があったからこそ、今の俺たちがある。技術面でも、精神面でも、大きく成長できたと思う」


 輝里が頷きながら言った。


「本当にそうですね。困難な時期を乗り越えたからこそ、今の私たちの絆がある。そして、花火に対する思いもより深くなった」


 星華は皆を見回しながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「みんな、私たちはあの時を乗り越えた。そして、それは単に耐え忍んだだけじゃない。新しい可能性を見出し、花火の未来を切り開いた。この経験を胸に、これからもっと素晴らしい花火を作り出していこう」


 全員が力強く頷き、部屋には希望に満ちた空気が広がった。彼らの目には、まだ見ぬ花火の輝きが映っているようだった。


 星華は静かに続けた。


「そして、忘れないでほしいの。私たちの花火は、人々の心に希望の光を灯す力がある。だからこそ、どんな困難が待ち受けていても、私たちは諦めずに前を向いて歩み続けよう」


 その言葉に、全員が深く頷いた。彼らの表情には、未来への確かな自信が輝いていた。コロナ禍という困難を乗り越え、さらに強くなった彼らの絆。そして、花火への情熱。それらが、これからの「星天」を、そして花火業界の未来を、より一層輝かせていくことだろう。


 座談会は夜更けまで続き、彼らは過去の苦難を振り返りながらも、未来への希望に満ちた語らいを交わし続けた。その夜の星空は、彼らの心のように、どこまでも広く、そして輝いていた。

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