開業医:倉田和葉さん

◆初心者の戸惑い ―1年目の和葉―


 目覚ましの音で目を覚ました私は、まだ薄暗い部屋の中でしばらくぼんやりとしていた。時計は午前5時30分を指している。私、倉田和葉、28歳。開業医として働き始めてからもう半年が過ぎようとしていた。


 ベッドから起き上がり、カーテンを開ける。まだ夜明け前の空が、ほんのりと明るくなり始めていた。深呼吸をして、今日も一日がんばろうと自分に言い聞かせる。


 洗面所に向かい、顔を洗う。鏡に映る自分の顔を見つめながら、まだ眠そうな目をしっかりと開く。化粧道具を取り出し、丁寧にメイクを施していく。患者さんに不安を与えないよう、清潔感のある自然なメイクを心がける。


「よし、これでOK」


 自分に満足したように頷き、キッチンへ向かう。朝食は簡単に済ませることにした。トーストとコーヒー、それにヨーグルト。急いで食べながら、今日の予定を頭の中で整理する。


「今日は午前中に往診(*1)が2件、午後からは通常診療……」


 緊張感が走る。まだまだ経験が浅い私にとって、一人で患者さんの自宅を訪れる往診は大きなプレッシャーだ。


 6時45分、家を出る。車に乗り込み、診療所に向かう。道路はまだ空いていて、静かな朝の空気が心地よい。


 診療所に到着したのは7時15分。看護師の椿さんがすでに準備を始めていた。


「おはようございます、先生。今日も早いですね」


「おはよう、椿さん。はい、往診の準備をしたくて」


 私は少し緊張した面持ちで返事をする。椿さんは優しく微笑んだ。


「大丈夫ですよ。先生なら上手くいきますから」


 椿さんの言葉に少し安心する。白衣に着替え、診察室の準備を始める。


 8時、最初の往診に出発。車を運転しながら、患者さんの情報を頭の中で整理する。


「佐々木さん、85歳、女性。慢性閉塞性肺疾患(*2)で在宅酸素療法中……」


 到着した佐々木さん宅で、ご家族に迎えられる。


「先生、来てくださってありがとうございます」


 佐々木さんの娘さんが、安堵の表情で私を迎えてくれた。


「こちらこそ。それでは、診察させていただきますね」


 緊張しながらも、優しく声をかける。聴診器(*3)を当て、呼吸音を確認する。SpO2(*4)を測定し、酸素流量を調整。


「呼吸音はやや改善していますね。でも、まだ少し喘鳴(*5)が聞こえます」


 専門用語を使いながらも、できるだけわかりやすく説明するよう心がける。


 往診を終え、次の患者さん宅へ向かう。車の中で深呼吸をする。


「落ち着いて、和葉。一人一人の患者さんと向き合うんだ」


 自分に言い聞かせる。


 午前中の往診を終え、診療所に戻ったのは11時半。昼食を取る暇もなく、午後の診療の準備に入る。


「先生、お昼は?」


 椿さんが心配そうに声をかけてくる。


「大丈夫、後で食べるわ。今は患者さんの準備が先」


 そう答えながらも、自分の健康管理もしっかりしなければと反省する。


 午後の診療が始まる。次々と訪れる患者さんに対応しながら、時折不安に襲われる。


「この症状、本当にこの診断で合っているのかしら……」


 迷った時は、すぐに専門医に相談。プライドよりも患者さんの健康が大切だと、自分に言い聞かせる。


 夕方6時、やっと最後の患者さんを見送る。疲れた表情で椅子に座り込む。


「お疲れ様でした、先生」


 椿さんがお茶を持ってきてくれた。


「ありがとう、椿さん。あなたがいてくれて本当に助かるわ」


 心からの感謝を伝える。


 診療記録(*6)の入力を終え、明日の準備を済ませる。帰宅したのは夜9時過ぎ。


「ただいま……」


 返事がないのは当たり前だ。一人暮らしの部屋に、今日一日の疲労感が満ちる。


 シャワーを浴びて、やっと一日の緊張から解放される。ベッドに横たわりながら、スマートフォンで明日の天気を確認する。


「明日も、がんばろう……」


 そう呟いて、目を閉じた。まだまだ未熟な私だけど、一人でも多くの患者さんを助けたい。そんな思いを胸に、私は静かに眠りについた。


◆成長の足跡 ―5年目の和葉―


 目覚めたのは、朝日が窓から差し込む少し前だった。時計は午前5時15分を指している。体内時計が、自然と目覚めの時を告げるようになっていた。


 私、倉田和葉、33歳。開業医として5年目を迎え、地域に根ざした「かえで診療所」の院長として日々奮闘している。


 伸びをしながらベッドから起き上がる。カーテンを開け、深呼吸。朝もやに包まれた街並みを眺めながら、今日一日の決意を新たにする。


 洗面所で顔を洗い、丁寧にスキンケアを施す。5年前と比べ、肌の手入れにも気を遣うようになった。メイクは控えめに。自然な表情で患者さんと向き合いたい。


 キッチンでは、栄養バランスを考えた朝食を準備。玄米ご飯に味噌汁、焼き魚と小鉢数種。かつての簡素な朝食とは打って変わって、しっかりと食事を取るようになった。


「今日は午前中に在宅緩和ケア(*7)の患者さん、午後は健康診断と予防接種……」


 頭の中でスケジュールを整理しながら、カバンに必要な書類を詰める。


 6時30分、家を出る。診療所まで徒歩15分。この散歩が、一日の良いリフレッシュになっている。


 診療所に到着すると、新人看護師の葵さんが待っていた。


「おはようございます、先生!」


「おはよう、葵さん。今日も一日、頑張りましょうね」


 葵さんの明るい笑顔に、こちらも自然と笑みがこぼれる。


 7時15分、在宅緩和ケアの準備を始める。末期がんの山田さん宅を訪問する予定だ。オピオイド(*8)の調整や、ご家族へのケアも重要な任務。


「山田さん、きっと痛みで眠れない夜を過ごしたはず……」


 胸が締め付けられる思いがするが、それでも前を向く。患者さんの苦痛を少しでも和らげたい。その一心で、診療バッグに必要な薬剤を詰める。


 8時、山田さん宅に到着。玄関で靴を脱ぎながら、深呼吸をする。


「おはようございます、山田さん」


 ベッドに横たわる山田さんに、優しく声をかける。痛みに歪んだ表情を見て、胸が痛む。


「先生……来てくれてありがとう……」


 か細い声だが、その中に安堵の色が見える。


 丁寧に診察を行い、痛みの程度を確認。オピオイドの量を調整し、新たな副作用対策の薬を処方する。


「奥さま、山田さんの様子はいかがですか?」


 付き添う奥さまにも声をかける。介護の疲れが顔に滲んでいるのが分かる。


「夜中に何度も起きて……私もつらくて……」


 思わず涙ぐむ奥さま。その手を優しく握り、寄り添う。


「お二人のために、私にできることは全てさせていただきます。一緒に頑張りましょう」


 在宅ケアを始めた頃は、こんな言葉をかけることすらできなかった。5年の経験が、私に強さと優しさを与えてくれたのだと実感する。


 診療所に戻り、午後の健康診断と予防接種の準備を始める。待合室はすでに患者さんで賑わっている。


「こんにちは、みなさん。お待たせしてすみません」


 明るく挨拶をしながら、一人一人の表情を確認する。不安そうな方、痛そうな方……それぞれの状態を瞬時に把握する力が、いつの間にか身についていた。


 健康診断では、患者さんとの会話を大切にする。数値だけでなく、生活習慣や心の健康にも気を配る。


「佐藤さん、最近眠れていますか? 顔色が少し悪いようですが……」


 何気ない一言から、患者さんの悩みを引き出すこともある。診察室が、心の吐露の場にもなるのだ。


 予防接種では、特に子どもたちへの対応に気を遣う。泣き出す子どもを前に、かつての自分なら焦っていただろう。今は違う。


「大丈夫だよ、ちょっとだけチクッとするけど、すぐ終わるからね」


 優しく語りかけ、子どもの目を見つめる。恐怖心を和らげるため、ディストラクション法(*9)を用いて注意をそらす。


「わぁ、勇気があるね! えらいぞ!」


 終わった後は、大げさなまでに褒める。子どもの笑顔を見るのが、この仕事の醍醐味の一つだ。


 夜7時、やっと最後の患者さんを見送る。診療記録の入力を終え、明日の準備を済ませる。


「先生、お疲れ様でした。今日も素晴らしい対応でしたよ」


 葵さんの言葉に、照れくさそうに笑う。


「ありがとう。葵さんも頑張ってくれて、本当に助かったわ」


 帰宅したのは夜9時。疲れているはずなのに、体の中に満足感が広がっている。


 シャワーを浴びた後、リビングでハーブティーを飲みながら、今日一日を振り返る。スマートフォンに届いた婚約者からのメッセージを見て、心が温かくなる。


「明日も、みんなの笑顔のために……」


 そう呟いて、ベッドに横たわる。5年前の不安だらけの自分が、少しずつでも成長できているのを感じる。それは、多くの患者さんや仲間たちに支えられてこそ。感謝の気持ちを胸に、私は静かに目を閉じた。


◆地域の灯り ―10年目の和葉―


 目覚めたのは、小鳥のさえずりが聞こえ始めた頃。時計を見ると午前4時45分を指している。体が自然と目覚める時間が、少しずつ早くなっていた。


 私、倉田和葉、38歳。開業医として10年目を迎え、「かえで診療所」は地域になくてはならない存在となっていた。


 ゆっくりと起き上がり、窓を開ける。朝もやの向こうに、わずかに朝日が顔を覗かせている。深呼吸をすると、新鮮な空気が肺いっぱいに広がる。


「さあ、今日も一日、みんなの健康を守るぞ」


 自分に言い聞かせるように呟く。


 洗面所に向かい、丁寧にスキンケアを施す。10年の月日は、確実に肌に刻まれている。でも、それは経験の証。自信を持って患者さんと向き合うための勲章だと思うことにしている。


 メイクは最小限に。ナチュラルな印象を大切にしながら、清潔感と信頼感を醸し出すよう心がける。


 キッチンでは、夫の遼太郎が朝食の準備をしていた。


「おはよう、和葉。今日も早いね」


「おはよう。ごめんね、いつも朝食の準備をお願いして」


「いいよ。君の仕事を少しでもサポートしたいからさ」


 結婚して3年。互いの仕事を理解し、支え合える関係に感謝の気持ちでいっぱいになる。


 朝食は和食中心。玄米ご飯に焼き魚、小鉢に季節の野菜。栄養バランスを考えながら、体に優しい食事を心がけている。


「今日は在宅医療連携会議(*10)があるんだったわね」


 食事をしながら、今日のスケジュールを確認する。地域の医療・福祉関係者が集まる重要な会議だ。


 6時15分、家を出る。診療所まで自転車で10分。この時間が、一日の活力を与えてくれる。


 診療所に到着すると、看護師長の椿さんと、後輩医師の朝陽先生が待っていた。


「おはようございます、和葉先生!」


「おはよう、椿さん、朝陽先生。今日も一日、よろしくお願いします」


 10年前、一人で始めた診療所が、今では複数の医師と看護師を抱える小さな病院のようになっていた。


 7時、朝のカンファレンス(*11)が始まる。


「では、今日の往診予定の患者さんについて確認しましょう」


 私が口火を切る。一人一人の患者さんの状態を詳しく確認し、最適な治療方針を話し合う。


「斉藤さんの血糖値が気になります。インスリン(*12)の調整が必要かもしれません」


 朝陽先生が意見を述べる。彼の成長が頼もしい。


「そうですね。私が往診の際に確認します。朝陽先生は、今日の外来をお願いできますか?」


「はい、任せてください!」


 信頼できる仲間がいることで、より多くの患者さんに寄り添えるようになった。そう実感する瞬間だ。


 8時、往診に出発。最初の訪問先は、ALS(*13)患者の中村さん宅。人工呼吸器を装着しながら在宅療養を続けている方だ。


「おはようございます、中村さん」


 筆談ボードを使って、中村さんとコミュニケーションを取る。声を出せなくても、目の輝きから多くのことを読み取れるようになった。


「奥様、介護の負担は大丈夫ですか?」


 家族の健康にも気を配る。10年の経験が、患者さんだけでなく、家族全体を診る目を養ってくれた。


 往診を終え、11時に診療所に戻る。外来診療を引き継ぎ、朝陽先生は在宅医療連携会議に向かう。


「久しぶりですね、和葉先生」


 待合室で声をかけてくれたのは、10年来の患者さん、田中さんだ。


「ええ、お元気そうで何よりです。最近はどうですか?」


 診察室に案内しながら、気さくに会話を交わす。長年の付き合いが、医師と患者の垣根を低くしてくれる。


 午後3時、在宅医療連携会議に参加するため、市の保健センターへ向かう。


「皆様、本日はお集まりいただき、ありがとうございます」


 会議の司会を務める私。地域の医療・介護・福祉の連携をより強固にするため、活発な議論が交わされる。


「在宅看取り(*14)の体制強化が急務です。24時間対応の訪問看護ステーションの増設を提案したいと思います」


 私の提案に、多くの賛同の声が上がる。10年前は思いもしなかった発言だ。地域全体の医療を考える立場になっていることに、身の引き締まる思いがする。


 会議を終え、夜7時に診療所に戻る。最後の患者さんを見送り、カルテの記入を済ませる。


「和葉先生、お疲れ様でした。明日の在宅緩和ケア研修会の資料、確認お願いします」


 椿さんが声をかけてくる。


「ありがとう、椿さん。すぐに確認するわ」


 若手医師や看護師の教育も、今では重要な仕事の一つ。明日の研修会の準備に取り掛かる。


 帰宅したのは夜10時過ぎ。疲れているはずなのに、充実感で体が熱い。


「ただいま」


「おかえり、和葉。お疲れ様」


 遼太郎が温かい笑顔で迎えてくれる。


 シャワーを浴びた後、リビングでハーブティーを飲みながら、今日一日を振り返る。


「ねえ、遼太郎」


「うん?」


「私、この10年間で本当に成長できたと思う。でも、それは患者さんや、みんなのおかげなの」


 遼太郎は優しく微笑んで、私の手を握った。


「君は素晴らしい医師だよ、和葉。これからもずっと、みんなの健康を守っていってね」


 その言葉に、心が温かくなる。10年の歳月が育んだ技術と、人としての深み。そして、新たな決意。


「明日も、地域の健康を守るために……」


 そう呟いて、私は目を閉じた。明日はきっと、また新しい挑戦が待っている。そんな期待を胸に、静かに眠りについた。


(了)


注釈:

(*1) 往診:医師が患者の自宅を訪問して診療を行うこと。

(*2) 慢性閉塞性肺疾患:長期の喫煙などが原因で起こる肺の慢性炎症性疾患。

(*3) 聴診器:患者の体内音を聴くための医療機器。

(*4) SpO2:経皮的動脈血酸素飽和度。血液中の酸素量を示す指標。

(*5) 喘鳴:呼吸時に聞こえるゼーゼー、ヒューヒューという異常音。

(*6) 診療記録:患者の診療内容や経過を記録したもの。カルテとも呼ばれる。

(*7) 在宅緩和ケア:終末期の患者に対し、自宅で行う痛みや症状の緩和を目的とした医療。

(*8) オピオイド:モルヒネなどの強力な鎮痛薬の総称。

(*9) ディストラクション法:注意をそらすことで痛みや不安を和らげる方法。

(*10) 在宅医療連携会議:地域の医療・介護関係者が集まり、在宅医療の課題や対策を話し合う会議。

(*11) カンファレンス:医療従事者が集まって患者の治療方針などを話し合う会議。

(*12) インスリン:血糖値を下げるホルモン。糖尿病の治療に使用される。

(*13) ALS:筋萎縮性側索硬化症。運動神経が侵される難病の一つ。

(*14) 在宅看取り:終末期の患者を自宅で介護し、最期を迎えさせること。



◆峰空太郎さんから


 消防士の峰空太郎です。倉田和葉先生には、本当に命を救っていただきました。あの日のことは、今でも鮮明に覚えています。


 私が勤務中に突然の胸痛に襲われたのは、ちょうど3年前の夏のことでした。救急要請の出動から戻ったばかりで、仲間たちと休憩していた時のことです。突然、胸に激痛が走り、息ができなくなりました。同僚たちがすぐに救急車に乗せてくれましたが、その時の恐怖は言葉では言い表せません。


 救急車で運ばれた先が、和葉先生の「かえで診療所」でした。到着したとき、私の意識は朦朧としていましたが、和葉先生の落ち着いた声が聞こえてきたのを覚えています。


「大丈夫ですよ、峰さん。今から心電図を取りますね」


 その声に、不思議と安心感を覚えました。痛みで苦しんでいる中、和葉先生の冷静な対応と温かい眼差しが、私に希望を与えてくれたのです。


 検査の結果、私は急性心筋梗塞(*1)と診断されました。和葉先生は迅速に判断し、すぐに専門病院への救急搬送を手配してくれました。その際、先生は救急隊員に的確な情報を伝え、私の状態を詳しく説明してくれたそうです。


 後で聞いた話ですが、和葉先生の迅速な対応と正確な診断が、私の命を救う大きな要因になったそうです。専門病院の医師も、「初期対応が適切だったおかげで、重篤な状態を避けられた」と言っていたとか。


 入院中、和葉先生は何度も見舞いに来てくださいました。多忙な中、時間を作って顔を出してくれる先生の姿に、深い感銘を受けました。単に症状を診るだけでなく、患者の心に寄り添ってくれる。そんな和葉先生の姿勢に、医療への信頼を深めました。


 退院後も、和葉先生には定期的に診ていただいています。生活習慣の改善や、ストレス管理についても丁寧にアドバイスしてくださいます。先生との対話を通じて、自分の体と向き合う大切さを学びました。


「峰さん、消防士という大切なお仕事、これからも続けていけますよ。でも、自分の体も大切にしてくださいね」


 そんな和葉先生の言葉に、何度励まされたことでしょう。


 和葉先生のおかげで、私は再び消防士として現場に立てるようになりました。命を救う立場にある私たちが、時には命を救われる側になることもある。そのことを身をもって経験し、より一層、命の尊さを実感しています。


 今では、救急搬送の際に「かえで診療所」に向かうと、なぜか安心感を覚えます。和葉先生の存在が、この地域の医療の要となっていることを、肌で感じています。


 先日、消防署で救急救命講習会があった時、和葉先生に講師として来ていただきました。医療従事者と救急隊員が連携することの重要性を、自身の経験を交えて熱く語る先生の姿に、同僚たちも深く感銘を受けていました。


「一人でも多くの命を救うために、私たちはチームなんです」


 そんな和葉先生の言葉が、今でも心に残っています。


 和葉先生、本当にありがとうございます。先生に出会えたことで、私は命を取り戻しただけでなく、人生の大切さを再認識することができました。これからも地域の健康を守り続けてください。そして、時には自分の健康にも気をつけてくださいね。


 私たち消防士も、和葉先生のような素晴らしい医師がいる限り、安心して任務に当たることができます。これからも、地域の安全と健康を守るため、共に頑張っていきましょう。


 和葉先生の存在が、この街の大きな希望の光となっていることを、心から感謝しています。


(*1) 急性心筋梗塞:冠動脈の血流が突然途絶え、心臓の筋肉(心筋)が壊死する重篤な疾患。



 はじめまして、三島フランソワと申します。倉田和葉とは医学部時代の同期生で、親友でもあります。和葉のことを語らせていただく機会を得て、大変光栄に思います。


 和葉との出会いは、医学部の入学式の日にさかのぼります。フランス人の父と日本人の母を持つ私は、当時まだ日本の大学システムに不慣れで戸惑っていました。そんな時、和やかな笑顔で話しかけてくれたのが和葉でした。


「こんにちは、倉田和葉です。フランソワさん、何か困ったことがあったら、遠慮なく聞いてくださいね」


 その一言で、私の不安は一気に和らぎました。和葉の温かさと気配りは、当時から際立っていたのを覚えています。


 医学部での6年間、和葉は常にクラスのムードメーカーでした。厳しい勉強の中でも、彼女の前向きな姿勢と笑顔は、周りの学生たちを勇気づけていました。特に解剖実習(*1)の時期は、多くの学生が精神的にも肉体的にも追い込まれる時期でしたが、和葉は常に冷静さを保ち、周りの学生たちをサポートしていました。


「この御遺体の方も、私たちに医学を学んでもらうために、尊い決断をしてくださったのよ。その思いに応えるためにも、しっかり学びましょう」


 和葉のその言葉に、多くの学生が奮起したものです。


 臨床実習(*2)が始まってからは、和葉の患者さんへの接し方に、私たちは多くを学びました。彼女は単に症状を診るだけでなく、患者さんの人生背景や心情まで深く理解しようと努めていました。


 ある日、末期がんの患者さんの担当になった時のことです。多くの学生が声をかけるのをためらう中、和葉は毎日その患者さんの元を訪れ、話を聞いていました。


「フランソワ、患者さんの痛みや不安に寄り添うことも、医師の大切な役割なのよ」


 和葉のその言葉は、今でも私の心に深く刻まれています。


 卒業後、私はフランスの病院で研修を積むことになり、和葉は日本で開業医としての道を歩み始めました。離れていても、私たちは定期的に連絡を取り合い、互いの成長を喜び合いました。


 和葉が開業して5年目の時、日本に一時帰国した私は彼女の診療所を訪れる機会がありました。そこで目にしたのは、患者さんから深く信頼され、地域に根ざした医療を実践する和葉の姿でした。


 待合室には和葉手作りの季節の装飾が飾られ、患者さんたちの笑顔が溢れていました。診察室では、和葉が一人一人の患者さんに丁寧に向き合う姿が印象的でした。


「フランソワ、私は患者さん一人一人の人生に寄り添える開業医になりたいの。それが私の選んだ道よ」


 和葉のその言葉に、私は深く感銘を受けました。専門医としてのキャリアを追求する私とは異なる道を選んだ和葉ですが、その決断に心からの敬意を表しました。


10年が経った今、和葉は地域になくてはならない存在となっています。彼女の診療所は単なる医療機関ではなく、地域の健康を守る砦となっているのです。


 最近、日仏医療交流プログラムで再び日本を訪れた際、和葉の診療所で講演する機会がありました。そこで目にしたのは、若手医師たちを熱心に指導する和葉の姿でした。


「医療は常に進化し続けています。でも、患者さんの心に寄り添う姿勢だけは、いつの時代も変わらない大切なものです」


 和葉のその言葉に、若手医師たちが真剣な眼差しで聞き入っている様子が印象的でした。


 和葉、あなたとの20年来の友情を心から誇りに思います。君の医療に対する情熱、患者さんへの深い愛情、そして地域への献身は、世界中のどの医師も見習うべきものだと確信しています。


 これからも、それぞれの地で医療に携わる私たちですが、互いに刺激し合い、高め合っていけることを嬉しく思います。あなたの診療所が、これからも多くの人々の希望の灯りであり続けることを、心から願っています。


 そして、いつかまた日本を訪れた時には、一緒に昔話に花を咲かせましょう。その時まで、健康に気をつけて。君の笑顔が、多くの人々を癒し続けることを願っています。


Merci beaucoup, ma chere amie. Prends soin de toi.(ありがとう、親愛なる友よ。お元気で。)


(*1) 解剖実習:医学生が人体の構造を学ぶために、実際の御遺体を解剖する実習。

(*2) 臨床実習:医学生が実際の医療現場で、患者さんの診察や治療を学ぶ実習。

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