(五)旅路

 光が、閃く。

 それは波を打つように空気を割って、またたく間に弾ける。消えた残滓を追うように次々と生まれた雷鳴の中心は、繊細な光の消失とは比にならないほどの轟音を立て、おびただしく駆け狂い、裂き焦がしては激烈な衝撃を地面に叩きつけ、大地をふるわせた。

「――っ」

 耳が、聞こえない。

 ソウは奥歯を噛み、ガクガクとふるえる身体をどうにか押さえつけるように、ちからを入れて踏みしめた。地面をわずかに擦り、どうにか両の足で立っている。くそ、と小さく吐き捨てる。きっとこの声は、ナギや黒影には届いていない。

 なぜなら、轟音でイカれたこの耳にだって届いていないのだから。

「だ、ああああああああああああああ!」

 クソほどに痛い。こんなのやってられるかと内心毒づきながら、それでもなお不快感と痛みに耐え続けた。だが、最大で雷撃を放つにはまだ遠い。ふざけるなよ、とさらに言葉を重ねて、ソウはいっそうちからをこめた。


 二週間だ。

 最初の補給地点を発ってから、二週間が過ぎた。ときに魔種を討伐しながら、毎日決まって瘴気症の予防に効く薬草を煎じて飲み、三日前には二つ目の補給地点で不足品の買い足しや整備をすませ、ふたたび森の中。旅路はつつがなく進んでいた。

 これらのあいだに、ソウは魔導武具なしで〈雷撃〉をはなつ訓練の一段階目、制御訓練を終了させた。雷撃の強さや範囲をあらかじめ想像・規定し、制御してはなつ、ということは、それほど難しいことではなく、今までの感覚をすこし修正して身体になじませるだけでかまわなかった。

 そこまでは順調だった。



――それでは今日から、訓練内容を切り替えましょう。


――今までは制御してはなつ、でしたが、今度はその逆。最初から全力で雷撃をはなち、疑似的に暴走させ、それを思い通りに収束させる、というものです。



「っくぅ、あ!」

 奥歯を噛む。耳元を割る轟音が激しく明滅して、すでに焼けた倒木へ、さらなる追いうちをかけた雷撃を横目に、岩場の上から、ナギが声を張りあげた。

「ほらソウくん、もっと本気出して! まだまだ最大出力には遠いですよ」

 かろうじて拾えた声はそれだけだ。

「んなこと言ったって、さぁ!」


 ナギの言葉から始まった第二段階目の〈収束訓練〉。この時間は、いわば拷問にもひとしいものだった。はじめから全力で、とは言うが、そもそもそんなことをしたら身体がもつわけがない。身体を焼き切らないように気をつかいながら、かつ疑似的に暴走させる作業は、ひどく神経と体力をすり減らすものだ。そのせいだろうか。この訓練で雷撃をはなっている間じゅう、まるでふたをされてしまったかのような感覚がつきまとっていた。

 激流が身体のなかで渦を巻き、まるで、尖った無数の石つぶや、獰猛な魚群が、こちらの都合などいっさい気にもとめず荒れ狂い、際限なく湧き続け、体内をめちゃくちゃに引き回しているようだ。身体の中は、すでにいっぱいいっぱいで、どうにか吐き出してしまいたいのに、どうしてかかたく閉ざされてしまっている。身体の内側から、心臓の脈動さえ押しのけて、皮さえ無遠慮に引き延ばして、膨張して――今にも、弾けてしまいそうな。

「くそったれ!」

 ソウは顔をしかめた。雷撃はますます不安定に形を変え、岩肌に弾けた。轟音が耳をつんざき、大地をふるわせる。今にも四肢が弾けとんでしまいそうだ。それでもどうにかしろというのだから、無茶ぶりにほどがある。いつもなら安心を覚えるナギの笑みが、今は鬼畜のそれにしかみえない。

 いよいよ集中力が切れてきた。ぴりぴりと表皮を刺激した痛みに、覚えのある熱感が手のひらへ触れる。ソウが痛みに耐えるように息を詰めた、その時。

「――……」

 ナギのとなりに立っていた黒影が、眉根を寄せて、わずかに頭を振ったらしかった。なにを言ったのかわからないが、おそらく、あまりの不出来さに、あきれて見る気も失せたのだろう。

 と、思いきや、次の瞬間。太陽を背に尖った岩場に黒影が立ちあがる。すらりと大太刀を抜いたのが、見えた。

「待って、」

 ソウはそれを見上げたまま、わずかに顔を引きつらせた。

 刹那。黒影はなんのためらいもなく岩肌を蹴り、飛び降りてきた。辺りを蹂躙じゅうりんする雷撃を裂き、たったひと息でソウの眼前に。大きく振り上げられた黒い切っ先が、閃光をまたたかせて、鋭利に尖る。大太刀の細い影が、ソウの頭上に狙いを定めた。

「ちょっと待っ――」

 明確な、殺気。

「殺す!」

「うわああああああああああああああああっ!」



***



「帰りたい……」

 ソウは泉に身体を浸したまま、うなだれるように情けない声をこぼした。

「言っておくけど、殴るだけでも人間は殺せるんだからね」

「なら死ね」

 黒影が、吐き捨てるように言った。組んだ腕の上で、白い指先をしきりにとんとんと打ちながら、まるでゴミでも見るような目つきで、こちらを睨み下げる。

「死ぬ気でやればできるだろう。理性が邪魔ならとりはらえばいいだけのこと」

「荒療治がすぎるよ。本当に君をまきこんじゃったらどうするのさ」

「あのていどで死ぬとでも?」

「ふつうは死ぬと思うけどなぁ」

 ギラリ。黒い三白眼がさらに鋭くソウを睨んだ。――まずった。余計なことを言ってしまった。ビリビリと立ちこめる殺意に、さらにげんなりとしながら、現実逃避をするように、晴れ渡る蒼穹を眺めた。

「いやぁ、順調ですね」

 視界に垂れこめた亜麻色の髪を、ソウは半眼で見上げる。

「ナギさんはなにをどう見て順調って判断しているのか教えてくれないかな」


 ソウはナギや黒影と話しあい、これらの訓練を、道すがら、折をみておこなうことにしていた。もちろん、できるだけ周囲に被害がおよばない場所を慎重に選んでいる。

収束訓練を黒影に手伝ってもらうのは、雷撃が制御しきれず、ソウが命の危機に瀕するか、あるいは周辺をまきこんでしまう場合のみ、とあらかじめ取り決めた。いわば、最後の砦だ。あえて条件をつけたのには、いくつか理由がある。

 ひとつは、黒影の身体への負荷が大きすぎることだ。いつ魔種と遭遇するかわからない場所で、ソウと黒影の二人が共倒れになっては元も子もない。

 ソウと黒影の相性――もっとも、魔素の相性がいいだとかいうのも、ソウにとっては、かなり疑わしく感じられたが――を冷やかし半分にあおっていたナギもまた、魔素回路への干渉は非常に危険な行為で、積極的におすすめできるものではない、とも説明した。

 大きい理由はそれに尽きるが――、


魔素回路に干渉されるあんなの なんて、毎回やってられるか)


 ソウは長く息を吐いた。思い返すだけでも、体内の深い部分が鈍く脈動し、奇妙な感覚がうごめく。あの低く囁く声も、かすかな息づかいも、彼女が触れ、なぞった、ささいな感触でさえ――そして、その感覚が妙に生々しいことに、さらに嫌気がさす。下手を打てば、これがもう一回あるかもしれない、なんて考えただけで吐き気がする。

(にしても、)

 ソウはうすく、冷ややかにまぶたをひらいた。

(現状は良くないな)

 ふぅ、とまたため息。


 第二段階目の収束訓練がはじまって最初のうちは、できうるかぎりのちからで雷撃を放とうとするたびに、、時には、そのまま意識を失ってしまうこともあった。その感覚をつかんで回避できるようになった今でさえ、気がつけば馬車の荷台でナギに介抱されている、ということも多い。

 ソウはこの二段階目の訓練にまず必要な、、ということが、できずにいた。

 うまくいかない原因としては、黒影が言っていた「理性」が邪魔をしていることもあるだろう。だが、それだけでないような違和感をソウは覚えていた。たとえば、できうるかぎり全力で雷撃を放つ、としたときに、魔導武具がある場合だと、不快感はあれども気をうしなうほどのことはない。それが、魔導武具を手放したとたん、まるで蓋をされてしまったように、激流が身体のなかに閉ざされてしまい、まるでソウ自身も水中に沈められてしまったかのように苦しくなる。

 ソウは、これらの根本にあるちがいと、魔導武具なしで雷撃を最大限に放つことができない原因をずっと考え探っていたが、いまだ明確な答えも、手がかりも得られずにいた。


(また、壁だ)

 いつもこうだ。ひとつできるようになると、またすぐに、こうして、こなせるようにならなければいけないことが現れる。

 水面から腕を上げて、ひたいを冷やすようにソウは顔をおおった。触れた肌はひやりと冷たいが、ひたいの熱を受け取ると、じくりと火傷がうずくようだった。水けがきれると、また皮膚が張りつめて、ひりひりと焼けるように痛む。

(大丈夫。ひとつひとつ、できない原因は潰せばいい)

 いままでだって、そうしてきた。だから、同じことだ。

(けど、)

 たまに、ほんの一瞬だけ、脳裏をよぎる。

(いつまで、がんばればいいんだろう)

 やりつづけることが、なにもかも途方もないことのような。そんな気がして。

 新しくできた雷撃傷が、身体の中をヒリヒリと焼きつけている。

 ただ、痛い。

 ひりひりと。

 じくじくと。

 肌の外側から。肉の内側から。

 ただ、焼けていく。


 ソウは細く均一に、息をはいた。それから一度、身体をゆるめるように力を抜く。無駄に力が入ったままではうまくいかないだろうし、ずっとそうしていてもよけいに疲れるだけだ。ソウは、腰元に手をもっていった。一緒くたに水に浸かっていた猫面を持ち上げて、手もち無沙汰にながめる。りん、と音がして、それをしばらくの間きいていた。

「けどさ」

 ソウはおもむろに声を流した。

「これを一回やるだけで、身体ボロボロになるんだけど」

「だろうな」日陰に入った黒影があきれたように言った。

「どうにかならないのかなぁ」

 ソウはため息をつく。それから、木陰に目線を投げた。「なにかいい方法ない?」

「知らん」

「冷たいこといわずにさ、相談にのってよ」

「そうではない」

 さしこんだ黒影の否定。ふと、彼女の黒いまなざしと目が合う。

「ワタシはキサマのように、雷撃のような――いわば、〈攻撃型〉と呼ばれるような真似まねはできん。だから、わからんと言っている」

「それってどういうこと」

 ソウは息をつきながら、また遠い空をぼんやりと眺めた。空が奇麗だな、などと半ば思考を放棄しながら、清流の流れる感覚だけを追う。

「最後まで言わんとわからんのか」

「今なにも考えたくないの。俺をいたわって」

 すると、黒影はめずらしく長いため息をついた。

「言っただろうが。ワタシはもとより魔素量が少ないと。キサマのように、魔素を利用してその性質を展開するには、まず根源となる魔素が必要になる。ワタシにはソレがない」

「それで?」

「ワタシは保有魔素の多くを体外に展開していない。否、できない。つまり、キサマがおこなっているような、放出して制御、あるいは制御して放出という過程がないに等しい。そも、性質がちがうのだから、どもならん」

「性質?」

「キサマ、本当に他人に興味がないな」

「君ほど他人を無視してはいないと思うけど」

 黒影は息をついた。ややあって、顔をそむけると、すげなくいう。

「……ワタシは〈防御型〉だ」

「聞きまちがい?」

「叩っ斬るぞ」

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