第六章

(一)残滓

 処刑台に、一人の女が立っている。

 騒がしい民衆の中で、黒影はその女を見上げていた。一言でたとえるなら、儚げな美人だ。会ったことはないが、妙な既視感があった。


 これは夢だ。明晰夢、というものだろう。

 夢と自覚できる夢は、とくべつなにかを思う必要がない。自分が生きている、とわかるからだ。生きていなければ、こんなふうに夢など見るものか。


「おかあさん! おかあさん!」

 やけに鮮明に聞こえる子どものかん高い声に、黒影は眉根を寄せた。となりをかすめるように、処刑台へまっすぐに走っていく小さな背姿。どうやら、あの処刑台の美人は、子どもの母親らしい。母と同じ色をした髪が、必死に揺れている。

 黒影はその色を、無感動に見下ろした。

 白色だ。


――あいつのせいで瘴気症が広まったんだ!

――魔族を殺せ! やっちまえ!


 民衆は処刑台の女へ数々の罵声と怒りを、憎しみを、波のようにぶつけ続けた。

 子どもの声など、膨大な社会の声をこえて母に届くことはない。

 それでも子どもは、幾度も呼んだ。

「おかあさん! おかあさん!」

 黒影はその場を一瞥した。

 絞首台からやや離れた位置に、積みあげられた薪がある。女は最終的に火あぶりとなり、見せしめとなるのだろう。

 ふと、絞首台の女がこちらを見た。どうやら、民衆のなかで必死にあがく我が子を見たらしかった。女は一瞬、泣きそうな表情を見せたが、すぐに唇を噛んで、首を横に振った。

「ライ、だめだ!」

 今度は青年の声だ。処刑台に駆けこもうとする子どもを力づくで抱きとめたその背中には、見覚えがあった。

 絞首台の女とよく似た奇麗な顔をしているが、青年の表情は険しい。

 どうやら、こんな顔もするらしい。黒影は漠然とそのようすをながめた。

「いやだはなして! 死んじゃう! 殺されちゃうよ!」

 おかあさんが。そう言いかけた子どもの口を青年がふさぐ。青色の上着で子どもの白い髪をおおい隠して、大人のちからでおさえこむ。

「ダメだ……ダメなんだ。いまは、いまだけは、」

 その声はふるえていた。まるで、青年が自分自身に言いきかせているようだった。

「あの人を、お母さんって呼んだら、ダメなんだ……!」


 ふ、と音が消えた。

 青年が処刑台を見上げたとき、母親はことさらやさしく微笑んだ。それは愛しい我が子らを温かく見守るようでありながら、同時に彼らのゆくすえを案じ、幸福を祈り、そして未来をともに歩いてゆけない絶望と悲しみをにじませたような。

 それでも女はなお、最期に微笑んだ。

 くちもとがわずかに動く。


――ごめんね。ライを、お願い。


「――――――、」

 青年のくちびるが、ほんのわずかにふるえた。声にも、音にもならない。咽喉を噛みつぶしたような、無声の息づかいだった。

 白い子どもは小さな手を伸ばし――そのずっと先で、ぶらり、と女の足が宙で何度か揺れ、そのうちに、静止した。

 割れんばかりの歓声。

 人々の喜びがあふれ、広場をつきぬけた。一帯をうめつくす喜び。抱擁。安堵。誰もが口々に罪人の死を喜び歌う。

 青年はくちびるを強く噛んで、腕の中で泣きわめく弟を抱えあげ、路地裏へ。逃げるように走っていった。

 歓喜に満ちた民衆は、まだ彼らに気づいていない。


 火が焚かれて、

 雨が降り、

 曇り空が続いた。


 幾日か過ぎたのだろう。

どこにでもあるような外套を羽織はおって、その青年は独り広場へ訪れた。

 すっかり面影のなくなってしまった遺体を見上げたとき、目深まぶかに被ったフードから、鮮やかな金色の髪が細く垂れた。

 その横顔にいっさいの表情はなく、ただ、かつて母だったモノを、じっと見上げている。


「これで安心だよなぁ」

 通りすがりの男が、青年に声をかけた。

「まさか、この街に魔族がいたなんて」

 もう一人の男が、おどけたようにいった。

「魔族が瘴気をふりまいてたんだろ? めいわくな話だ」

「うわさじゃ、国をおとしめるための計画だったって。おお怖い怖い」

「しかも、死にぎわに笑ってた、とか。なにかたくらんでんじゃねぇのか、まだ仲間がいるんじゃねぇのかって、そういう話よ。はやくとっつかまえてほしいよなぁ。じゃねぇと、仕事中も気が気じゃねぇって」

「な、お前もそう思うだろ?」

 男らは、さらされた遺体の前で、青年に笑いかけた。

 びゅうと風が吹いて、外套が揺れる。腰もとにぶら下げられた猫面が顔を覗かせて、赤い紐が揺れた。傷だらけの彼の手のひらは、面をなでるようにそっとそえられている。

 青年はふりかえった。恐ろしく澄んだ蒼穹の瞳が、男らをとらえる。やわらかく、そしてごく自然にたずさえられる笑みのカタチ。

 黒影はその表情をよく見知っていた。

「ええ、怖いですよね」

 ソウは微笑む。

 まるで、心の底から安堵したとでもいうように。男らに合わせて、なんの違和感もなくうなずいてみせた。


 りん、と腰にさげた猫の面が揺れて鳴く。


――夢ではない。

 これは、ソウの過去だ。



 ――――。




「……――」

 重だるい。黒影は薄いまぶたをひらいて、にぶい身体を起こした。

随分ずいぶんなものを見せてくれる」

 ひたいの汗をぬぐって、わずらわしい髪をはらう。息をつく。

 あたりをざっと見まわすと、黒影の寝ていた場所は、床板の上に茣蓙ござを敷き詰めた天幕の中だった。ひとくちに天幕、といっても、今までの道中に持ちはこんでいた防水帆布タープを利用した簡易的なものとは、ずいぶん様相がちがった。いうなれば、簡素な家だ。

 全体は円形にかこわれた壁の上に、半球形の屋根がのせられたようなかたちで、見上げると、傘の骨組みのような部材が、放射状に天幕を支えている。その中心に割りいるように煙突が一本伸びていて、そこから視線を下ろすと、ちょうどかまどがある。

 かまの中にある液体は、ふつふつと煮たっていて、絶えず火の温もりがった。ゆえに、こうして温かいのだろう。

 いつしか書物で読んだ、遊牧民の移動式住居のようだ。

 黙々と理解を深めていると、折に、りんと鈴の音が響いた。

 木組みの扉を見やる。ぎ、と軋むような音が響いて、そこに、かがんで入るように、「ああ、黒影。起きたんだね」。ソウが顔をのぞかせた。

「目が覚めてよかった」とほほ笑む整った顔立ちは、どうやら母親ゆずりらしい。

 彼がいつもとちがうのは、その服装だった。立襟の長衣は、首もと、右胸、右わき――そして腰元の四か所をとめ、さらに腰巻をまいている。そして下衣も含め、足の動きを妨げないゆったりと広がる裾が実に特徴的で、全体を一瞥しても、服のつくりそのものがゆるやかに設計されているように思えた。

「ああ、これね」

 こちらの視線に気がついたらしく、ソウは一度、立ちあがってみせた。

「服も防具もボロボロになっちゃってさ。協会支部に行くまで新調できないし、とりあえず着るものが必要だったから、ナギさんに見つくろってもらったんだ。――と、そうだ。武器とお面、ひろってくれたんだよね。ありがとう。ナギさんからきいたよ」

 それらをかるく聞きながし、黒影はソウのようすをしげしげとながめた。いつも、あの青色の上着をきっちりと着こんでいるから、動くたびにひらひらと裾がたゆたうような、ある意味で華やかなその姿はものめずらしくもあるが――。

 黒影は眉根をよせて、わずかに目を細めた。

 依然として、のソウだった。

「熱は下がったよう見えるけど……調子はどう?」

 彼はこちらの態度を気にするふうもなく、持ってきた湯のみに、かまの中で煮たった液体をそそいで、さしだしてきた。それを受けとり、すんと匂いを嗅ぐ。ミルクの匂いだ。それから、花、あるいは果物といったような、甘い香りがする。いくらか冷めるのを待ってくちもとにはこぶと、まず塩味を感じた。茶葉の爽やかさ。すこし遅れて、ミルクのまろやかな甘みが広がってゆく。それが喉元をすぎると、身体の奥にじわりと温かさをにじませた。

「ミルクティー……か?」訊ねる。こんなものは飲んだことがない。

「うん。補給地点を担うのは移動民族オランなんだって。――彼らはこうして塩を入れて飲む習慣があるんですよ。……って、ナギさんが言ってた」

 彼は続けて、もうひとつの湯のみに自分のぶんをそそいだようだった。

「あちち」

 いくらか息を吹きかけたものの、それでもやはり熱かったらしく、すこしこまったように苦笑してみせる。

「――キサマの母親は、首を吊られたのか」

 黒影が訊ねると、ソウの指先がわずかにふるえて、静止した。彼にしてはめずらしく、動揺したらしい。前髪の隙間からのぞいた眉間、奇麗に通る鼻梁びりょうに、シワの影。彼の瞳孔は、こちらの一挙一動を注視している。整った顔立ちのなかで、蒼穹の珠のような瞳だけが、波立つように激しく浮きあがり、鋭い光をおびた。

 次に返ってきた言葉は、たった一言、「どうして」だけにとどまった。

「魔素回路に干渉したからだろうな。夢で、キサマの過去を見るハメになった」

 ため息をついて、黒影はソウに視線を投げた。

「母親は、魔族か?」 

「……君も、そんなことを言うの?」

 すぅ、と、まるで氷柱のように、冷えきるような殺意。射貫くような冷めた怒りだ。軽蔑するようでもあった。彼は変わらず泰然としている。微々ともふるえなくなった瞳孔は、まるで針で刺した穴のように細く、こちらを睨みすえている。

(……ほう)

 黒影はあぐらをかくと、そのまま頬杖をついた。どうやら、ソウの琴線に触れたらしい。これは、面白い。――で、あれば。つぎはどのようにつつけば、さらに面白いモノがみられるだろうか。笑みを浮かべながら、じっくりとようすをさぐる。

 しかしその興味はすぐにさえぎられた。ソウが視線をはずしたからだ。

「俺の母さんはふつうの人だったよ。山の出身だったから、まわりと価値観がちがうことに悩んでいたけれど、優しくて」

 彼の回答に、ちいさく舌打ちを返す。またこれだ。わずかに見える本心をすぐにひっこめ、努めて利口な人間であろうとする。ソウが示す感情すべてが嘘というわけではなかろうが、彼はとりわけ冷静に、情動を選別してから外へあらわしているように感じられた。

 ソウは一度視線をそらした。ややあって、またこちらに蒼穹の瞳が向く。

「隠していたわけじゃないけど」

 そんなふうに、すこしぞんざいに言って、

「いじわるな言いかたもほどほどにね」

 ご丁寧に釘を刺し、

「――で、見たなら、わかるでしょ」

 と、湯のみをかたむけた。ひとくち。呑み下して、

「そうだよ」

 としずかに声をつむぐ。彼は湯のみを膝の上に置くように、両手でつつんだ。うつむいた視線は、白く濁ったミルクティーを沈鬱ちんうつと映している。

「白い髪だったから、魔族だって。瘴気症をばらまいた元凶だって、いわれのない罪をきせられて、処刑された」

「白狩りか」

「うん」ソウはうなずいた。


――今から十余年前に起こった瘴気症の感染爆発パンデミック。多くの人間が瘴気症を患い、やがては白亜化して死んだ、世界規模の災禍。白くなってこときれた遺体が、今度はそれそのものが新たな白い死をまき散らすものだから、白はとうぜん、誰からも忌避された。そのうちに、白色はどのようなものでも瘴気症をひきおこすものだと誤解されるにいたった。

 感染拡大を抑えるために生活を制限され、我慢に我慢を重ねた住人たちの感情の矛先が白へ向くまでに、それほど時間はかからなかったという。


 かくして起こった悲劇こそ、〈白狩り〉だ。


 白い色を持つ者は瘴気まき散らす元凶として、連行・隔離され、殺された。ひとつの事例を皮切りに、その運動は感染爆発と同様に、あるいはもっと苛烈に全国各地へ荒波のように広まり、その容姿に白、あるいは白亜の外見特徴を有する者は、次から次へと殺された。とりわけ被害にあったのは、老いて体毛に白や銀、灰色などが混ざり始めた老爺ろうや老婆ろうばだ。

 住民たちが抱えこんだやるせない思いから始まったその運動は留まるところを知らず、ことさら過激になり、そのうちに、白亜化によって家族を失った者の一部が、白だけでなく、色素のうすい者たちもまた、同様に瘴気をまき散らすのだと主張し始めた。


 隣人が隣人を殺す。そういうことが日常になって、やがて生きるために人を殺し、生き残るために人を殺し、白い死体は増え、灰がつみあがり――そうして、青国、という国がひとつ滅んだ。青国は死灰の都と揶揄やゆされ、その名のとおり、風が吹けば灰が舞い、通りを歩けば、どうやっても白い死体を踏むことになる、と紙面で報じられた。

 この事態を受けて、ようやくめいめいの国は、このままでは我らが国もまた、青国の二の舞になるだろう、ということに気がついた。

 事実、〈白狩り〉は瘴気症の感染対策には、毛ほども役に立たない、という話はすでにあがっていて、医師連盟からは、国をあげて徹底した対策をこうじるべきだと何度も申し立てがあったらしい。医師連盟と連携し、特効薬の開発を先んじておこなっていた魔狩協会もまた、魔族の災禍などという曖昧あいまいなもので納得し、現状を空虚にゆだねるのならば、それはつまり、人類存続の道をつことと同義である、とくりかえし主張したそうだ。


 当時、まだ幼く字の読み書きもままならなかった黒影は、あとから史実を読みあさっているうちに、これら出来事を書面で知ることになった。そのときは、たいそう馬鹿げた話だと眉根を寄せたものだ。

「魔族なんて――……暗黒期が終わってからの黎明期、そして現代にいたるまで、確認されているのはたった数件しかない。そして、そのどれもが、ひどく残酷で暴虐的だ」

 ソウは厳然と言った。

「だが、それでも国々は〈白狩り〉をほうっておいた。多くが階級制度で成りたっている国ばかりで、住民の怒りが、国でなく白色に向いたほうが、都合が良かったらしいな。底辺で殺しあえ、と」

「そういうこと」

 ソウはうなずいて、一度まぶたを閉じると、湯呑をかたむけた。ひと口、呑み下して、それから息をつく。

「君も知ってたんだね」

「史実に記されているていどにはな」

 黒影は答えた。

「だがそのていどの知識だ。渦中にいたとはいえ、ワタシはまだ幼く、さほど物事を認識していたわけではない」

「君の両親は瘴気症で亡くなったんでしょう? 白にたいして、なにも思わないの?」

「思うところはある。だが、憎いかと問われれば、愚問が過ぎよう」

「愚問? それはどうして」

「では問おう」

 嗤うように、言葉を返す。

「国はちがえど、ワタシは上流階級の家に生まれた貴族に変わりない。もっとも、今となっては腹のたしにもならん言葉だけの過去の身分ごみくずだが――、さて、キサマは貴族ワタシが憎いか?」

「上流階級の貴族という大きな枠組みでなら、」

 ソウはすこし、考えるように言った。

「……間接的に憎むこともあるかもしれないね。けれどそれは荒唐無稽こうとうむけいなもので、ただのやつあたりだ。だから、君個人のことを憎いかと問われれば、それはちがうかな」

「そういうことだ」

 頬杖をついて、うなずいた。


――むろん、このたとえは、公平や公正を基準に、善良であることを自らに定めるこの男だからこそ、通じるものだ。おおく、人というものは、深く激しく根ざした感情を割りきって、冷徹であり続けることは難しい。それが憎しみや怒りであるならば、なおのこと。


 黒影はぞんざいに続けた。

「ワタシは、両親の顔もろくに覚えていない。思うところはあれど、思いいれはすくない。それだけでしかない、というのが、いくら虚しかろうとも事実だ」

「さみしくないの?」

「さみしいという感情がどういうものか自認できれば、他者とよりあう道もあったのだろうな。それこそ、魔狩などとふざけたことはやらずに、兄の研究でも手伝っていたかもしれん。

 あるいは、献身的に世のため人のためと働いていたか、もし、瘴気症を患ったことがある娘を、奇特にももらいたいと言いだすやからがいれば、この身ひとつで嫁いでいたかもしれん――……いや、ないな」

「ないの?」

「ああ、ない」

 言いきって、それからまた、湯のみをかたむけた。くだらない話だ。

「黒影はさ、夢とかないの?」

 その問いに眉根を寄せる。

 ソウは苦笑を重ねた。

「殺しあいの約束は、ひとまず置いといてさ。将来はこうしたい、とか。そういうの」

「ない」

「はっきりしてるなぁ。もうちょっと考えてくれてもいいじゃない」

 こまったような笑みに対して、訊き返す。キサマはどうなんだ、と。ソウはすこし考えるように、視線を宙に浮かべた。それからわずかに金糸の髪が揺れる。

「ライが、」小さく紡がれた、引きこもりの弟とやらの名前。しかし、その先は続かなかった。彼がなにかをいう前に、あっけらかんとした調子のいい声が割りこんだからだ。

「おっはようございまーす!」

 扉を叩くこともなく、やたらめったら明るく天幕へとびこんできたナギのせいで、話の続きをあたらめて訊ねるのも馬鹿らしくなってしまった。頬杖をついたまま、目の前で軽快に話しを始める綿毛を、半眼で、投げやりに眺める。

「ああ、そうだ」

 ソウが思いだしたように立ちあがった。それを胡乱げに見上げる。彼はふりかえって、その美貌になよやかな笑みをたずさえた。

「黒影、ご飯は食べられそう? おかゆを用意してるんだけど」

 このわずらわしさだけは、どうにも面倒くさい。

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