神託国



 クロトヴァの街はさとしが考えていたより活気の溢れる街だった。

 街の周囲を覆うようにそびえ立つ城壁を抜けると、昼時の賑やかな街の声が聞こえてきた。

 街は、中央に聳え立つ大きな時計台を起点に、八本の大きな通りが根を張るように伸びている。特に一番通りは、街一番の大通りらしく、行き交う商人や住民の声が常に騒がしく響いている。


 怜たちは活気の溢れる一番通りを、幾分か揺れの落ち着いた馬車で進んでいた。


「思ってたより賑やかなとこだな。てっきり戦争の影響で湿ってるのかと思ってた」

「この街は自由都市国家連合の一画だ。よそでは連合国とか呼ばれてるらしい。神託国しんたくこく以外で戦火を免れた唯一の国だ。それほど影響は受けなかったらしいな」


 馬車の酔いの激しい怜とボンボルも、綺麗に舗装の行き届いた通りの道を進む分には余裕があるらしく、穏やかに会話をしていた。


神託国しんたくこく?」


 聞き慣れない単語に、さとしは反応する。


「あぁ。神から国家としての役割を与えられたとか豪語してる国のことだ。まぁそんな国家二つしかねぇがな。この前話した城砦国じょうさいこくはその一つだ。あいつらは南部からの魔物の侵攻を食い止めるのが自分たちの役割だと言い張って、人間同士の戦争には深く関わらないと宣言してやがる」

「他国に侵攻しなければ自国への侵攻も受け付けないってスタイルか?」

「そうだな。まぁ城砦国みたいな一日中魔物と戦ってるような国の領土なんざもらっても大変だろうけどよ。——あと一つは神聖国しんせいこくだな。この二つが神託国だ」

「神聖国!?ヴェローラ神聖国か?」

「おう。なんだ兄ちゃん。神聖国は知ってたのかよ」

「……あぁ」


 ヴェローラ神聖国。怜がイスティフであった頃、千年前にも存在していた国家だ。


 国自体の国土は極めて小さなものだが、当時においても歴史と伝統を誇った由緒正しき国家であった。

 神代しんだいと呼ばれる特殊な一族を長に置き、大陸中央地域南西部分を国土としていた。

 際立った軍事力は有していないとされ、人口の大部分は聖職者であり、その他は町人や農家という小国だった。


 そのような小国が長い平和を維持して歴史を築いてきた理由は首都スラウレンにある。

 世界に三つしかない、神話の時代から存在すると言われる強力な神聖対魔結界。そのうち二つが首都スラウレンに存在する。


 一つは首都全域を覆うように展開された大規模な結界。この結界により首都内において魔物、瘴気しょうきの発生は完全に抑えられており、外からの侵入さえも許さない。

 そして、首都内でもう一つの結界を展開する場所——『封域ふういき』。


 スラウレン都市内に存在する『封域ふういき』は、多くの謎が残る場所だ。強力な封印が施されたその場所は、更に強力な神聖対魔結界に包囲され、念を押すように都市全体を覆う同じ結界に二重に囲まれている。


 なにが封印されているのか、なぜそこまでして念入りに強力な封印を施しているのか、イスティフの時代では判明していなかった。分かっていることとして、封印されているのは強大な『なにか』であること。


 封印の術式は複雑かつ強力であるが、それでもなお抑えきれない瘴気が『封域』からは常に漏れ出していた。


 大陸中の魔術師たちが束になっても解明できなかった強力な封印術。それを念入りに封じる、同じく未解明の結界も、いつ誰が施したのかも分からない。


 唯一、神聖国の長である神代しんだいと呼ばれる特殊な血を引く一族が封印に干渉することができ、維持、管理を務めている。


 それほどまでに高度な術に阻まれた『封域』から漏れ出す瘴気は、研究者たちの好奇心と忌避感を集めた。

 魔物の王が封印されているというものもいれば、あの世への入口が封印されていると宣うものもいた。ただ共通してみなが感じていたこと、それは——『人間にとって脅威になるものが封じられている』。


 触らぬ神に祟りなし——怜が過ごした世界で使われていた言葉だ。

 『封域』を国土内に有する神聖国には攻め入る国など当時いなかった。死の土壌が土地を荒らせば封印が解けるとも言われていた。ただただ謎の多い『封域』を皆が避け、神聖国は平和を築いていた。


「『封域ふういき』ってどんなとこなんだろうな」


 人によってどうとでも受け取れる聞き方でボンボルに尋ねてみる。千年前は謎多き場所であった『封域』も、この時代では違うかもしれない。


「あ?すんげぇ陰気なとこなんじゃねぇか?なにが封印されてるかも分かんねぇもんには触らない方が身のためだぜ。少なくともいいことは起きねぇ」


 どうやらこの時代においても『封域』は謎の多い場所という認識らしい。解明はまったく進んでいないようだ。


「木偶の坊は『封域』にはなにが封印されてると思うんだよ?」

「まぁ昔っから色々と言われてはいるよな。闇の眷属だとか大罪を犯したものの魂が囚われてるとか……あれを解いたら、かのイスティフも復活しちまうかもしれねぇな」

「……ハハッ」


 眉唾物の話を笑い飛ばすように話すボンボルに、怜は乾いた笑い声をあげるしかできなかった。

 少なくとも大罪を犯したものの魂が囚われているというようなことはないだろう。それなら怜は今この場にいない。もし本当にそうであるならば、誰かが自身の封印を解き放ち、この世に呼び戻したということだ。そんな暴挙に出るものなどいないだろう。ましてや厳重に警備されている『封域』に近づくことさえできない。


「おっ!ヴァレミーさんの店が近づいてきたな。そろそろ到着だぜ兄ちゃん」

 馬車から身を乗り出したボンボルが報告してくる。

 同じく身を乗りだし外を見てみると、賑わう一番通りの一画に、それなりに大きな商店が目に入った。客の出入りも激しく、繁盛しているようだ。


「思ってたより立派な店だな」

「ヴァレミーさんはあぁ見えて堅実な商人なんです。今回も商品を自分の目でみたいとのことで皇国まで足を運びました。あの人がコツコツ築きあげてきた信頼で、一番通りでも大きな店を構えられるようになったんですよ」


 思わず本音が漏れた怜に、御者が答える。

 聞けば御者は、ヴァレミーの元で商人としての修行を積んでいるらしい。誇らしげに語る姿からは、師匠への信頼と人生への充足感を感じた。


「おう、師匠を信頼してるんだな!いいことじゃねぇか!」

 ボンボルは嬉しそうに笑い、御者に声をかける。


「はい、とても尊敬しています。素晴らしい師匠です」

「くぅー、いいことじゃねぇか!御者の兄ちゃんはいくつになる?」

「今年で二十四になります」

「若いな。まだまだこれからだな。頑張れよ!」


(やっぱこいつさばよんでね?こんな二十歳がいてたまるかよ)


 ボンボルへの疑いが晴れない怜であったが、クロトヴァの街への旅も終わりだ。

 皇国に発つまでに顔を合わせる機会のないかもしれない御者に声をかける。


「三日ほどだったが世話になった。名前くらい聞いていってもいいか?」

「はい。ラーヴェンといいます」

(ラーメンみたいな名前してやがる)


 後ろで吐き散らすだけの二人を道中心配してくれていた御者の名前を聞けたところで、馬車が止まった。


 馬車から降りると、それぞれに作業に移る商人の中から、ヴァレミーがこちらに近づいてきた。


「お二方とも道中はありがとうございました。まさかあんな群れに遭遇するとは。あの時護衛を依頼していなければ大事な商品を捨てて逃げ出していたでしょう」

 深く頭を下げるヴァレミーに、気恥ずかしそうに額を掻きながらボンボルが答える。


「いやなに、気にすんなよ。こっちも仕事だしよ。それに道中は悪かったな。こいつが吐き散らしやがって」

「お前もだろうが!!誤魔化そうとしてる!?無理無理!」


 怜に罪を着せようと試みるボンボルを怒鳴りつける。二人揃って吐き出すところはしっかり見られていた。無理がある暴挙だ。


「はっはっは。仲がよろしいようで素晴らしいことですな。こちら、約束の報酬です。先にお金だけお渡ししておきますね」


 先に、という言葉に違和感を感じるが、お金が入っているであろう小袋を受け取ったボンボルは、中身を見て頷いた。


「確かにいただいたぜ。それとこいつは相談なんだがよ、ヴァレミーさんの店って武器も置いてたよな?兄ちゃんにいい感じの剣を一本売ってほしいんだよ」

「それは全く構いませんが……いいんですか?私の店には確かに武器は置いていますが専門的に扱っているわけではないですよ?冒険者として活動なさるなら、ちゃんとした武器屋で選ぶほうが……」

「なぁに構わねぇよ。ヴァレミーさんの目利きは本物だろう?弟子があれだけ信頼してたんだ、あんたに頼んでおけば兄ちゃんにぴったりの剣も選んでくれるだろうよ」


 スッと目を細めたヴァレミーの感情は分からない。ただ、分かりましたと言うと、店の中へと入っていく。

 しばらくして戻ってくると、一本の剣をその手に携えていた。


「こちらでいかがでしょう?エックス様にはぴったりの一振りかと思います」


 ヴァレミーから手渡された剣を引き抜き、怜はその場で二、三度素振りをしてみる。


(うん。分からん)


 高橋怜としても、イスティフとしても怜には剣が分からない。ただ重すぎるというわけではなく、剣の重量はしっくりくるものがあった。


「いいんじゃねぇか?……いや、めちゃめちゃいい剣じゃねぇか。兄ちゃんそれにしろよ」

「お前分かるの?俺さっぱりなんだけど。せめて説明くらい聞かせてくれよ」


 即断即決を求めるボンボルの目には、いい剣に映っているらしい。


「そちらは魔法を込めて造られた一振りです。特徴はなんといってもその頑丈さ!岩を打とうが鉄を打とうが刃こぼれ一つつきません」

「すんげー!こいつがあれば魔物なんて魔法を使わずともバッサバッサじゃねぇか!決めた!こいつにするぜ!」

「……問題は元の切れ味がすこぶる悪いことです。素人では魔物の皮膚さえ満足に刃を通せません。刃を研ごうにも頑丈すぎて全く研げないのです」

「え?なにこいつ?ばかなの?頑固すぎて一生鈍らなの?自分の力に溺れて自滅してんじゃん」


 どうやらこいつは無駄に頑丈なだけの斬れない剣のようだ。先ほど岩や鉄を打つと表現していたことに納得する。怜は遠慮しておこうと決める。剣という名の棍棒はお断りだ。


「いいじゃねぇかよ。兄ちゃんにピッタリの剣だ」

「ん?おい木偶の坊どういうことだそれ」

「今の兄ちゃんにはちょうどいいってことだよ。——全く斬れないってこともねぇんだろ?なら正しい剣術身につけたら斬れんじゃねぇか?それまでは練習だな。壊れねぇ剣ならいくら打ち込んでもいいじゃねぇか」


 最もらしいボンボルの意見に納得しかけそうになる。しかしさとしは本気で一端の剣士になるつもりはない。やはり適当に斬れ味の鋭い剣を一本だけ携えておこうと考えなおす。


「お代は兄ちゃんからもらってくれ。俺今本気で金ねぇんだ」

「は?俺が出すの?」

「当たり前だろ。兄ちゃんが使う剣なんだからよ。この報酬はだめだぞ。しばらくの俺の生活費だ」

「……確かに」


 買ってやるとは言われてない。自分の武器を自分で調達するのは分かるが、そこそこ名の売れた冒険者と豪語するボンボルが報酬の入った小袋を大切に抱きしめている光景に絶望する。


(冒険者ってそんな懐事情厳しいのか?これからその日暮らしが始まんのかよ……)


「そちらの剣でしたらタダでお譲りしますよ。エックスさんにも出来高払いをお約束していましたし、報酬もまだでしたから……いかがなさいます?」

「うん。これをもらう」


 ヴァレミーの提案に怜は即決した。

 これから使うかも分からない剣をわざわざ買うよりも、斬れない剣を報酬としてもらっておくことにした。

 これから待ち受ける金のない生活に無駄な出費は天敵だ。


「よーし、剣も決まったとこで……ヴァレミーさん、例のあれ……」

 言いにくそうなボンボルの言葉に、キョトンした表情をしていたヴァレミーだったが、あっ!と声をあげる。


「すみません。忘れていました。すぐにお持ちしますね!」

 再び店の中へと入っていくヴァレミーを見送り、怜はボンボルに声をかける。


「なぁ木偶の坊。例のあれってなんだよ?」

「……あれはあれさ。まぁすぐに分かる」


「大変失礼いたしました!こちらになります」

 すぐに戻ってきたヴァレミーの手に握られていたのは一冊の真新しい本だった。


「おぉ……これが……」

 本を受け取ったボンボルはなぜか感動したように声をあげる。


「はい、『アルスリア戦記』の長編でございます。原本には遠く及ばないと言われますが、なかなかの読み応えですよ」

「ありがとなヴァレミーさん。こいつを探してたんだよ。じゃあ俺たちは行くけど、まだしばらくはこの街にいるからよ。依頼とかあったら声をかけてくれ」

「こちらこそありがとうございました。その時は是非指名させていただきます。また街を発つ際にも、顔を見せてくだされば嬉しいです」

 約束だ、と言い残し、ヴァレミーと別れ通りを歩き始めた。


「なぁ木偶の坊。なんだよそれ」

「ん?『アルスリア戦記』の長編版だ」

「『アルスリア戦記』ってのがわからねぇ。……てかお前読書とかすんの?」

 本を持つ姿が一切似合っていないボンボルは呆れた顔をする。

「兄ちゃんは『アルスリア戦記』も知らねぇのか?ガキの頃ママに読んでもらわなかったのかよ?」


 『アルスリア戦記』とは、怜たちが立つ大陸アルスリア創世の歴史を記した物語らしい。

 時代毎の英雄たちが強敵を討ち払い、世界が進んでいく物語は子どもたちに人気があり、簡略化した本は広く人々の間で親しまれているようだ。

 編纂年、作者不明であり、創作物とは言われているが、少なくとも『魔神イスティフ』は実在したと言われているとのこと——


(俺が知らねぇのも当たり前か……なんたって俺がのってんだからな)


「まぁ楽しい御伽話だ。今度兄ちゃんにも貸してやるよ」

「いや、遠慮しとく」

 文字が読めないからではない。読めても怜は借りなかった事だろう。

「その楽しい御伽話をなんでもらってきたんだよ?」

「ん?あー、うん……そうだな……急にまた読みたくなったんだよ」

 その気持ちは分かるな、と感じた怜は、少し歯切れの悪いボンボルのことは気にならなかった。


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