一日目 プラン
「これは?」
「遺書、に見えなくもないけど」
「……遺書で『数学とは何か』を語りかける人いる?」
「『あのお方』ならやりかねない」
「否定は出来ないね。一年生、お疲れさま」
S高校、旧棟の理科準備室に部室を構える、自然科学探究部、略して『しかたん』に、夏休み中にもかかわらず集まった五人の部員が、一同顔を見つめあっている。
「一旦整理しましょう。早朝の活動開始時に理科準備室に入室後、藤田先輩が置き手紙を発見されたんですよね?」
「そうだ、『屋上に来い』と部長、坂井先輩の筆跡で一言だけ書かれてた」
「その後に命令を受けて、僕たち一年生組が屋上へ向かい、津村の謎技術でダイヤルのロックを解錠して侵入。端っこのフェンス近くに一足の靴と、その下に置き手紙が挟まっていました」
「不穏だな」
「ダイヤルのロック解除のことですか?ちなみに番号は4096です」
「そっちじゃ……いや、そっちもだけど部長の安否もね」
明らかに命を絶つことを示唆する状況に、真剣な表情をする二年生のしかたん副部長、
「というわけで、教員にバレる前に急いで部室に戻ってきたところです。僕に言わせれば、どうせ防犯カメラ見られれば1発アウトなんですから、もうちょっとじっくり見てもよかったのではと思いますが」
「先生からすれば、学校のセキュリティがJK一人にボロ負けしてる訳だからたまったもんじゃないよねー」
「お前が言うな津村」
先輩にも臆せず淡々と説明する、いかにも優等生といった空気感を纏わせている、
「ホント津村さんは凄いと言うか恐ろしいと言うか、流石だね。屋上には、他に何かあったかい?」
長机の向かい側に座った、岡田は柔らかな笑顔で後輩たちに質問する。
「はいはーい、ちょっと離れたところにもう一枚ありました!こっちは封筒ですね」
「あの、朝陽さん、それ僕が見つけたやつ……」
「いーじゃん誰でも、そんなに手柄欲しい?」
「諦めろ西村、こいつはそういうやつだ」
「あっうん、そうだったね」
「なにアサヒのことをこいつ呼ばわりしてるのよ樋口、私に数学で勝ってから文句言いなさいよ!」
「数学は今関係ないだろ!」
「まぁまぁ喧嘩せずにさ、とりあえず中身見せてくれる?」
昔の俺たちみたいだなぁと懐かしがりながら、岡田は封を切って中身を一瞥した。一瞬、困惑したような顔をして、苦笑しながらもう一人の二年、
「フゥーン、なるほどこれはなかなかだな」
「ごめん、数学関係あったみたい。これ数学の問題だね」
「え?」
「はぁ……?」
「マジっすか?」
それぞれ、三者三様の反応をする一年生。
「うん、まぁ言われてみればおかしなことではないかな。なぁ藤田」
「あぁ、なんせあの坂井先輩だからな」
「確かにそうですね」
「そっか師匠だもんね」
「……待て津村、いつ弟子入りしたんだ」
「え?入学式の日。スカウトされちゃった」
「何してるんだあの人……」
いかにも和気藹々とした声が狭い室内に響く。が、なぜだかすっと静かになった後、津村が口を開いた。
「そっか、師匠が……」
その先の言葉を続けるのは少々躊躇われたのか、津村は珍しく真剣な表情で黙り込んだ。
「まだそうと決まったわけじゃない。現に実際に飛び降りたわけではない、ですよね先輩方」
「おそらくね。少なくとも落下地点にそういった類の痕跡は無かったよ」
「問題はむしろ深刻かもな。行方不明な上、最悪の結末すら示唆されてるとなれば」
少し希望を示そうとした岡田に、現実を示す藤田。さっきまでの明るさは一転、地球の重力が倍になったかのような重苦しさが訪れる。
「師匠ってそんなことする人ですっけ?」
「さぁ、普段はそんな様子は見せなかったから、というか内心を語ることも一度二度しか無かったね」
そう言ってぼんやりと天井を眺める岡田。
「ともかく、副部長として、部長には居てもらわないと大変困る」
「そうか?現状、事務作業は全部お前がやってるだろ。あの方にやらせたらそれこそ困るからな」
「藤田先輩、しれっとひどいことをおっしゃらないでください」
「い、一切反論のしようのない事実を淡々と述べるのは、その、本人がいないとしてもどうかと思います」
「西村くんの方が師匠にひどいこと言ってるって。いくら師匠の時間管理能力が限界下回って低いとはいえさー」
「君たちさぁ、それと藤田。そういう話ではないんだよ」
苦笑しながら、これらの陰口を一切聞かなかったことにした岡田は、彼らの疑問に対して至極明快に答えた。
「理由はシンプルだよ。あの方のカリスマ性なしでは、しかたんは崩壊するからだ」
聞いた残り四人は静かに頷く。
「よし、それじゃあプランを練ろうか」
「アイサー」
資料をテーブルの上に広げる。不穏な手紙、封筒に入っていた数学の問題、そして、各々のスマートフォン。たとえ真似事に過ぎないとしても、大人チックな会議というイベントに、少年少女は心を躍らした。一年生ながら、参謀と呼ばれている樋口が司会をする。
「現在の不明点は二つあると思われます。一つは、この数学の問題は何を意味しているのか。もう一つは、動機です」
「もう一つあるだろ、樋口。どうやって屋上にあんな用意ができたのかだ」
「確かにそうだね。さすが藤田、冴えてる」
「キモい、褒めるな」
「素直じゃないなぁ」
この二年生コンビも、しかたんの醍醐味だ。はぁ、とため息を吐きながら樋口が司会を続ける。
「分担、しましょうか」
「どうしよっか樋口くん、人数が素数だけど」
「普通に三で割れないって言えばいいでしょ津村さん……」
「てことは一人足せばいいんだよね」
そこで、岡田はすっと息を吸って、言った。
「黒川先輩をお呼びしよう」
「……マジかお前」
「えっと藤田先輩、黒川先輩、とは?」
「受験勉強に専念すると言って、昨年度の最後で辞めた先輩だ。坂井先輩とは双璧とか呼ばれてたな」
「何かにつけて異名をつけたがるのは高校生の悲しき性を感じるね。まぁそう呼ばれるぐらいには、親交も深かったし、何より数学が得意なんだ。適役と思わないかい?」
あの方と双璧と呼ばれるてことは、癖の強さには覚悟が必要だな、と察する一年一同の顔を見て、岡田は言う。
「大丈夫、僕が交渉する心配しないで」
「そうもいかなそうだぞ、岡田」
「なんで?」
そこから、マリアナ海溝よりも深いため息を吐きながら藤田はつぶやく。
「三年の知り合いによると、家にこもりきりらしい。」
「えー、僕が頼めばやってくれるんじゃない?いくら受験生とはいえさ」
「多分ただ勉強に専念するだけじゃない、絶対何かあった。しかたんメンバーだと家に行こうにも拒否られる可能性がある」
「じゃあ?」
「無垢な顔した一年たちに、しかたんの話題を一切出さずに交渉する必要がある」
しかたん関連に地雷がある可能性は否定できないからな、と藤田は付け加えた。面倒事を押し付けられる気がした一年生たちは、次々に不満の声をあげる。
「ちょっと待ってください、初対面の引きこもりに家から出て手伝えと交渉?無理です」
「樋口にサンセーでーす。少なくともアサヒは絶対にやりたくないですね」
「だろうな、つってもこの場合は津村が適任なきはするが」
「……いや、ここは西村くんだ」
いきなり指名された西村は、三秒間フリーズしたのちに、驚愕の声を上げた。
「ちょっと待ってください、僕に交渉なんて無理です無理です無理ですって、大体僕が初対面の人と話すなんて人生に五回ぐらいしかありませんでしたしそもそも……」
「六回目、頑張ってきてね」
「いやだーーーーー!」
「お、おい、なんでこいつにしたんだ」
「理由かい?簡単だよ藤田、黒川先輩には数学が一番効く」
得意げな顔で宣言する副部長に、ため息をつく藤田。バイカル湖程度の深さにはなっていた。
「ふーんじゃあ対数学は西村、残りはどうします?」
「学年別に分けようか。俺たちが状況証拠から推理、特に屋上侵入の謎の解明かな。そして君たちが聞き込みを中心に動機を特定してくれるかい」
「こいつかー」
「こいつですか」
「仲良いね君たち」
『仲良くないです!』
この返しは仲が良くないとできないだろうと、当人以外の三人は思った。
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