第1話 追放されました

 暗く湿った空気が肌にまとわりつく。時折、洞窟の奥深くから響いてくる魔物たちの叫び声に震えながら、クロエ・ロックハートは暗い洞窟の底でうずくまり、泣くのを我慢していた。いや、少しだけ泣いていた。


「どうして、こうなっちゃったんだろう…」


 彼女が落ちてきた穴の出口は、頭上約5メートルのところにある。何度も登ろうと試みたが、洞窟の壁は苔でぬめっており、指に苔をたっぷり詰め込んでは尻から落ちて尾てい骨を痛めるばかりだった。


「はぁ…私、ここで死ぬんだな…」


 クロエは自分を裏切り、この穴に突き落とした仲間たちへの怒り、悲しみ、後悔、絶望といった様々な感情が渦巻く中で、どこかで自分の死を受け入れつつあった。


「子供たち、元気でやってね…」


 クロエは、自分がこうなってしまった経緯を思い返す。


 数日前、商業都市ジュクシンの大通り。賑わいの中で大勢の人々が行き交い、その中にはヒューマンだけでなく、ドワーフや獣人も混ざっていた。露店からはおいしそうな香りが漂い、活気が溢れている。


「コカトリスの焼き鳥どうよ!今朝串打ちしたから新鮮だよー!」


「奥さん、こっちの魚見てってよ!安くするよ!」


 そんな喧騒の中、ボロボロのマントを被った少女が一人。クロエ・ロックハートは、裕福そうな貴族風の男にわざとぶつかり、軽く頭を下げながらそっと彼の財布をすり取った。


「あっ、すみません…」


「気をつけろ!服が汚れるだろ」


 クロエは謝りながらも、心の中ではほくそ笑んでいた。男が違和感を感じ、財布を確認すると、それがないことに気づく。


「泥棒だ!誰か捕まえろ!そこのマントを被った奴だ!」


 クロエは素早くマントを脱ぎ捨て、駆け出した。白髪のショートヘアが印象的なハーフエルフの少女は、見るからに16、7歳ほどの見た目だ。


「おじさん、このお金大事に使わせてもらうね!」


 しかし、急いで逃げる中で、クロエは前方から来た黒いマントを被った男にぶつかった。とっさに財布を盗もうと手を伸ばしたが、彼女が掴んだ相手の腕は驚くほど硬く、クロエは振り払おうとしたが逆に掴まれてしまう。


「危ないよ、お嬢さん…(なかなかいい腕だ)」


「えっ…?」


 クロエは瞬間的に背筋が凍る感覚を覚えたが、すぐに振りほどいて逃げようとした。しかし、男の握力は驚異的だった。だが、次の瞬間、彼女の姿が突然消え、代わりに丸坊主の少年が男の前に現れた。


「えっ、おじさんなんですか?」


「いや、申し訳ない。人違いのようだ」


「ごめんなさい、急ぐので」


 少年はすたすたとその場を離れていったが、その背中を見送る男は、ぼそりとつぶやいた。


「(素晴らしい技術だ…)」


 建物の影に隠れ、クロエはマスクを外した。さっきまでの少年の姿は、彼女が用意していた変装だったのだ。


「変装、用意しといてよかった…」


 クロエの心臓はまだドキドキと鳴り続けていた。あの男には、全てを見透かされていたような不気味さを感じた。


「気を取り直して…今日はご馳走を買って帰ろう」


 薄暗い路地裏で、孤児たちがクロエの買ってきた焼き鳥にがっついていた。


「クロエ、ありがとう!」


「おい、それ俺のだぞ!」


「シュンちゃんの方が大きい!ずるい!」


「たくさん買ってきたから、ゆっくり食べな~。あっ、あとこれ小遣い」


 クロエは、子供たちに金貨を一枚ずつ手渡した。


「大事に使いなよ」


 彼女自身もこの子供たちと同じように育った。商業都市にも孤児院はあるが、それは身分のある者のためのもので、身寄りのない子供たちは路地裏で肩を寄せ合って生き延びている。クロエは、この子たちに少しでも楽をさせてあげたいという気持ちを抱いていた。


 クロエは現在、不良冒険者パーティ「ブラッククロウ」に所属している。Cランクという、中堅どころの冒険者パーティだ。リーダーは剣士のガイルで、彼の素行や態度は悪いが、腕は確かだった。


 その夜、クロエは「常闇の壺」という酒場で、ガイルたちと前回のクエストの報酬を山分けし、次の作戦会議を行った。


「おいおい、クロエ。これで本当に全部か?」


 ガイルは、クロエが手にしている袋をちらつかせ、ニヤリと笑った。


「ガイル、何が言いたい?」


「いや、疑って悪かったな。これが、お前の取り分だ」


 ガイルは金貨を数枚クロエに投げた。


「ちょっと…まさかこれだけ? 均等に分ける約束じゃなかった?」


「お前は宝箱の鍵を開けただけだろ? ダンジョンでの戦闘には役に立たなかったんだから、これで十分だろ」


 クロエは他のメンバーがくすくす笑っているのを見て、嫌な予感を抱いた。


「次の目標はこれだ。『古代龍(エンシャントドラゴン)の秘宝』だ」


 ガイルが語り始めた。


「そんなお宝、近くで出たの?」


「確かな筋からの情報だ。間違いない。これを手に入れれば、一生遊んで暮らせるぞ、クロエ」


 クロエはその話に半信半疑だったが、子供たちのためにも挑戦してみる価値があると考えた。


「ねぇ、本当にこの道で合ってるの?」


 クロエが松明を掲げながら、暗い洞窟を進む。後ろには、ガイルたちが続いていた。


「間違いない。さっさと進め」


 クロエは、徐々に湿度が増す洞窟の奥に進んでいったが、行き止まりにぶつかる。


「ちょっと待って。この先は崖になってるわ…一旦戻って装備を整えよう」


 しかし、その言葉が終わる前に、クロエは背中を押され、崖の下に落ちていった。


「あるわけねぇだろ、お宝なんて」


 ガイルの冷たい声が耳に残る。


「ガイル…?」


 クロエは、暗い穴の中に落ちていく。

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