疾風剣

よしこう

第1話

 起伏の激しい山道の両脇は木々に覆われ、ところどころから漏れ出る月光は、朧げに二人の行き先を示している。

 卜伝は山路を歩きながらずっと愛弟子のことを考えていた。

 良くできた弟子だった。

 若き日の義輝に稽古をつけたとき、私の言う事をよく聞き、すぐさまそれをやってみせた。

 室町将軍家の次期将軍であることなど稽古のときにはおくびにも出さず、むしろそれを家臣が誇って見せたとき、少しだけ嫌な顔をしていた気がする。

 家柄を除いてはごく平凡の、いや、とりわけ剣の才に冴えた、そういった青年だった。

 彼は若き日の自分に少し似ていた。

 鹿島神流という剣の道、それを極めるという大願を持ちながら城主という身分に囚われていたときの私に。

 全てを捨てることのできた私と、それを許されなかった義輝公。

 彼は将軍としての矜持を全うした。

 師匠として誇るべきことだ。

 だが、言いようの無い虚しさが心の中を覆っていた。

 今は乱世である。

 義輝よりもずっと若い、幼ない子どもの死体を見ることも珍しくない。

 しかし、あの長いようで短い稽古の時が私の心を曇らせたのだろうか。

 早馬が駆けてきたとき、私は豪族に稽古をつけていた。報を受け取ったとき、私は大粒の涙を流した。

 高弟たちも皆泣いていた。

 力戦したという。

 だが、あまりにも悲惨なその最期は一の太刀の理想からは程遠いものだった。

 「国に平和をもたらす剣」卜伝の理想を目を輝かせて聞いていた青年は、平和への夢を胸に秘め、三好長慶の家臣、松永久秀の率いる軍勢に討たれた。  

  「京へ向かう」 

 そう卜伝が言ったのも報を受けてすぐだった。

 いつもは高弟を八十人も引き連れている彼も今日ばかりは少し彼らと距離を置いていた。

 「三好方も苦労が尽きぬな。義輝公の闇討ちでは飽き足らず、儂の命も狙うて来るとは。」       

 塚原卜伝は編笠の紐を締め直した。

「左様、殺気が漂ってござる。」 

 そう答えたのは、高弟の松岡兵庫助則方である。

 卜伝は、威厳に満ちた堂々たる口調で言った。   「出て参られい」  

 一瞬林の梢が揺らめいたかと思うと、刀身が月光に照らされキラリと光る。

 その刹那、ザッ、という音を立てて、一斉に黒装束の剣客が、四方から飛び出してきた。

 卜伝は徐ろに刀を抜くと傍らの兵庫助に目配せする。

「さぁ、参ろうか」

「ちとわからせてやらねばなるまい」


「承知。推して参る」 


 兵庫助も鯉口を切った。

 月夜に照らされた刀身が怪しげに光る。

 卜伝は飛んできた矢を弾き飛ばした。老人には似つかぬ軽快な足取りで、剣客の元を駆け抜ける。

 剣客の首領が  「者共、怯むな、奴を殺せ」

と絶叫すると、三人ほどが卜伝に斬りかかった。

 卜伝の体は一度沈み込み、そしてそのまま地面と水平に刀が滑っていった。

 刀と刀がぶつかり合う鈍い音が林の中をこだまのように響いた。

 軽々と 「そちらにこれはまだ早い」 

 そう言ってにやりと笑うと卜伝は体の軸を右に寄せると老人とは思えぬ腕力で刀身を傾け     「去れや下朗」                 と一喝しながら逆袈裟斬りに斬り上げた。

首領が目配せをすると、意を汲んだ剣客の一人が、背を向けて駆け出した。

「させるか」 と叫んだ兵庫助は逃げる剣客に落ちた刀を投げつけた。

 その刀は過たず敵の脊柱に深々と突き立ち、増援を呼ぼうとした剣客を葬った。

 しかしその時、何人かの剣客が笛を吹くと、その音とともにさらに十人ほどの剣客が姿を現した。「流石に分が悪いの」  と言い捨てると、卜伝は死体から素早く刀をもぎ取り、木立に向かって駆け出した。 

 逃がすものかと剣客の首領は

 「出合えや者共、卜伝を逃がすな」

と大音声で叫び、郎党をけしかけた。 

 その時である。

「師匠をお守りせよ」 

 と怒気をはらんだ声で叫んだ者があった。

「何奴」  と首領が叫ぶとその男は、

 「我は諸岡一羽、卜伝様の助勢に参った。者共、懸かれ」

 と叫んだ。

 刹那、十人ほどの門弟が一気に黒装束の剣客に斬りかかった。

 「一羽お主、今宵はついて来ぬようにと言っておったであろうが」

 そう不機嫌そうに言い放つと山道を駆け抜け、逃げる首領に追い縋り、

「お逃げなさるな」

 と冷ややかなに言った。

首領は

「卜伝を殺せ」  とあらん限りの声で叫び、手下に命じた。 


しかし、もはや誰も答えるものはいなかった。


山道にはまだ生温かい剣客共の骸が転がるだけである。

首領は、絶望に顔をひきつらせ、絶叫すると卜伝に斬りかかっていった。

卜伝はそれを軽々と避けると

 「太刀筋が乱れておるな」  と笑って見せた。

首領は顔を引き攣らせると無茶苦茶に剣を振るった。

 卜伝は侮蔑を含んだ目でそれを見ると一閃して刀を弾き飛ばしてしまった。

 首領は意味のわからぬ奇声を発しながらやみくもに卜伝に殴りかかっていった。

 月は丁度雲に覆われ山道は闇で支配された。

 首領は骸に毛躓き、それでもまた立ち上がって卜伝に向かっていった。              

 「勝てぬと分かっておろうに」

 そう言うと卜伝は刀身を水平に構え、一歩踏み込んだ。

 辺りを心地よい風が吹き抜けた。

 そう感じた瞬間刀の鋭利な切っ先は首領の喉笛に吸い込まれるように入っていった。

 首領が倒れた後にはただ静かに不如帰の鳴く音の響くだけである。

 卜伝は静かに目を閉じ義輝のことを想う。

雲の合間から薄く月の光が差し込み山道を照らし出した。 

「手向ける花などいらぬよな」

 そう独りごつと卜伝は刀の血を拭った。


雲の合間から顔を出した月に向かい、不如帰が飛んでいくのが見えた。

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疾風剣 よしこう @yakatu

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