灯り

よしこう

第1話

石壁はどこか寒々とした感を与え、冷気は身を刺すように襲う。

 その少年はただ汚れた薄いガウンを羽織り、雪を器用によけて震えている。 

 灯油のランプがゆらゆらと揺れて、その度に少年の影もゆらゆらと動いた。

 一陣の風が吹き抜けた。少年はガウンを飛ばされまいと必死に掴んだ。

 ガタガタと音がした。

  馬車だ。

 馭者は少年を一瞥すらせず鞭を打って駆け去っていった。

 馬車の荷台から一枚の布が舞い上がった。それは雪の中で狂ったように舞っていて、少年はそれを逃さぬように、その小さく痩せ細った手でしっかりと掴んだ。

 冬の夜は長い。

 少年はまた、その体躯を石畳に横たわらすと、戦利品を自らに掛けた。

 灯油のランプはまだ細々と灯っていた。

 少年はその小さな光に自らを重ね合わせた。


少年は貧民窟から少し離れた街の石畳で暮らしている。


 貧民窟には暖かい場所はあるが、しかしひどく不衛生で、絶えず殺人が起こっていた。

 少年は争いが苦手だった。

 その痩せ細った手では、剣を持つことも、相手を押し倒すことも、何かを突き刺すことも出来なかった。

 だから少年は毎日のように貧民窟から少し離れた街の中でゴミを拾う。

 貴族や工場長のような、人間らしい暮らしをしている者たちは、まだ使える物であってもすぐに捨ててしまう。

 そうした者たちのおこぼれを少しだけ貰って、今日も少年は細々と生を繋いでいる。

 母のことはぼんやりと覚えている。

 腕に抱かれる温かい感触と、柔らかな視線。

髪は何色だっただろうか。艶々としていて、柔らかくて、まだ小さかった手でその髪の流れをなぞった。

 それに比べて父の記憶は幾分はっきりとしていて、軍人特有のごつごつとした手でよく少年の頭を撫でてくれた。

 青の軍服に身を包んだ父は金の装飾のされたサーベルを持って戦地に赴いた。

 丁度三年ほど前のことだ。敗戦の報せが血まみれの伝令とともにやってきて、その後父の行方は分からなくなった。

 最後にやってきた手紙にはいつも通り戦況のことなど書いていない。

 ただ息子への愛を綴った短い手紙だった。

 「どこかで生きているんでしょう?」

 そう少年はいつものように父に問いかけた。

 使用人から家を売るように勧められ、売ったお金を取られて逃げられたのが一年前、日々の暮らしに事欠くようになったのは半年前だ。

 それから少年は街でゴミを拾った。

 来る日も来る日も。

 ふと朝日が少年の目を刺した。

 光が雪に反射していつもより眩しい。

 昨日通りかかった馬車の轍はうっすらと雪で覆われ、それを暖かな日の光がゆっくりと融かしていた。

 少年の耳には懐かしい足音が響いてきた。

 馬のいななく声と高く鋭い喇叭の音。

 人々は目覚め、それぞれに身を抱き合って歓声を挙げていた。

 朝日に目が眩んだのだろうか。

 先頭に立つのは父のように見えた。

 驚いて目を擦ってみた。

 軍靴の音が近づくにつれて、馬のいななきが近づくにつれて、日の光が増していくのを感じた。

 父の声が聞こえた。

 あまりの眩しさに目を閉じた。

父のゴツゴツとした手が少年の頭を撫でた。


 

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灯り よしこう @yakatu

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