数日ぶりに帰ってきた都は、相変わらず混沌としていた。紫陽花区は平民たちが肩を寄せ合って生活しており、晦が帰ってきた途端に、子供たちがわっと寄ってきた。


「お帰り晦様! 神庭はどうだった!?」

「王族のお姫様が毎日楽器を弾いてる場所なんでしょう? お花がいっぱい咲いてて、お船に乗って優美に」

「すごーい」


 子供たちがわらわらしている中、私はハラハラしていた。私は晦がどこから用意したのか、笠と布を被ってかろうじて顔を隠していたものの、傍から見ると不審人物だろう。

 晦は子供たちの言葉にひとつひとつ返事していると、ようやっと子供のひとりが私のほうに不思議そうな顔を向けてきた。


「あれ? この人は?」

「彼女かい? 私のお嫁さんですよ」

「誰がお嫁さんですか、はっ倒しますよ」


 思わず悲鳴を上げるものの、それに子供たちが顔を見合わせると、すぐに目をキラキラさせてこちらに寄ってきた。


「すごい! どこで知り合ったの?」

「で、ですからね……まだお嫁さんになるかどうかはですね……」

「ええ? でも晦様は悪い人じゃないよ?」

「まあ、悪い人ではないし、むしろいい人なんでしょうがね、まあ……」


 まさか番の呪いを上書きされたら必然的に婚約者になったなんてこと、説明する訳にもいかず、私はうがうがと口を開閉させていたら、晦は「ははは」と笑って手を叩いた。


「まあ、そろそろ日も暮れるから、それまでに食事をして寝てしまいなさい」

「はーい」


 そのひと言で子供たちは蜘蛛の巣を散らすようにいなくなってしまった。

 私はジト目で彼を睨んだ。


「……それで、これからどうするんですか。こうやって都に帰ってきた訳ですが」

「はい、これ以上の話は、一度家に帰ってからしましょうか」


 言外に「ここで話をするのは危険」と言いたげに返すので、私は渋々頷いて、一旦晦の家に帰ることにした。

 子供たちはさっさと食事の用意を済ませると、日が暮れないうちに眠る支度をしている。

 一方、私は晦と一緒に彼の部屋に向かうと、札を貼って防音の結界を張りはじめた。


「桐女王は、たとえあやかしに体を乗っ取られているとしても、春花国の女王であることには変わりありません。下手なことをすれば、反逆罪で捕まりますし、最悪武官を差し向けられて終わりです。倒すにしても、どうするんですか……」

「まずは、彼女があやかしに体を奪われていると皆に知らしめて、陰陽寮が動く大義名分を得ることが重要でしょうね」

「それですけど……神庭の件を公表するとか……でしょうか?」

「ええ。姫様は元々、神庭に出家させられていた身。あなたが公表すれば、それを無下にできる方もおられないかと思います」


 そりゃ私は王弟の娘で、私が言えばある程度の影響力もなくはないとは思うけれど。

 考えたものの、小さく首を振る。


「……難しいと思います。私は幼い頃に番の呪いを受けてから、王族らしい扱いを受けてはいません。私自身も朝廷の表舞台にはなかなか出ることができず、せいぜい私の相手をしてくれたのは武官くらいですから」

「ならば、その武官たちを巻き込みましょう。あなたの人となりを知っている方ならば、無下にはしないと思いますよ」


 武官をまとめて話を聞いてもらい、桐女王があやかしだと皆に立証する。

 考えてみたけれど、やっぱり楽観的過ぎる。そもそも、桐女王は叔母上の体を奪ってから、肉親にすら正体を悟らせずに人が変わったと思わせていたような存在だ。

 下手に武官を動かして、桐女王があやかしだと立証しようとしたら、普通に国家簒奪をもくろんだ女の汚名を着せられかねない。


「……少なくとも、神庭の結界がない場所でないと、意味がないと思います」

「ほう? と言うと?」


 私の思い付きでも、晦は黙って聞いてくれる。私は頷いた。


「神庭の結界内にはあやかしを飼っています。最悪の場合、そのあやかしを使って、桐女王はあやかしに乗っ取られた話を勝手に別の話にでっちあげるかと思います。それこそ……私があやかしに取りつかれて国家簒奪をもくろんだとか。そもそも朝廷で働いている人たちにとって、桐女王の権力は絶対のはずで、そもそも王族の女王が代々あやかしに体を乗っ取られていたなんて話を、そう簡単に信じてはくれないと思うんです」

「ふむ……つまりは貴族や仕官している者たちを迂闊に巻き込むのはよくないと」

「はい……だから逆に、なにも知らせずに桐女王があやかしだと化けの皮を剥げば、討伐の名目が立つと思うんですが、どうでしょうか?」


 これは思い付きであり、朝廷で直接戦ったところで勝ち目がないから、なんとか少しでも勝ち目のある場所に彼女を引きずり出したいという意図があった。

 私の提案に、晦はしばらく考え込むと、ふと思いついたように口を開いた。


「だとしたら、あざみ姫を巻き込みましょうか」

「……彼女は薄月と別れさせたばかりでしょうが。それに自分の使える女王があやかしに乗っ取られていたなんて教えるつもりですか?」

「違いますよ。彼女は祭事頭です。彼女に桐女王が出てこないといけない祭事をつくってもらうのです」


 神への奉納。陰陽師の派遣。結界の維持。

 それらのためにはどうしても祭りが必要であり、中には女王が参加しなければいけないものだってある。

 しかし朝廷の外に女王を出さないといけないとなったら、なかなか難しいもののようにも思えるけれど。


「……女王が必要な祭事を急遽用意するって……なかなか難しくはありませんか?」

「いえいえ。私、これでもちょっとすごい陰陽師ですし。一日いただければ、必要な祭事を作り出すことは可能ですよ?」


 ……そういえば。この人生き霊で移動できるわ、武器なしであやかし退治できるわ、根本的な問題として霊や式神を普通に肉眼で見えるわと、普通に規格外なのだった。

 日頃の混ぜっ返す言動を知っていたら忘れがちだけれど。

 私は思わずジト目を向けながら、溜息をついた。


「……なら、お任せします」

「はい。ならばお任せください。姫様」


 そう言って晦は、いきなり私の手を取ると、私の手の甲に口付けを落としてきた。


「……なんですか」

「いえ。せっかく元の体に戻ったのですから、このまま唇をいただけないでしょうか?」


 なんなんだこの人。

 私はペチペチと抗議で彼の手を叩く。


「なにがですか! 私の体が目当てですか!」

「……姫様、言っていること、割と過激なこと言っているのはお分かりですか? 私、さすがに少々心配になるんですが」

「知りません知りません。話し合いが終わった途端に口づけ迫ってくるとか、なんなんですか!」


 思わず威嚇して髪の毛を逆立てていたら、晦はあっさりと返した。


「いえ。先程も言ったでしょう。祭事を作り出すために、ちょっと頑張らないといけませんから。今晩は私眠れませんし。励ましのために姫様から情けを頂きたいのですが、いかがでしょうか?」


 それに私は少しばかり目を見開いた。

 ……なにをする気かは知らないけれど、もしかしなくっても寝ずになにかしでかす気なのか。

 私は少し考えると、結局は彼の頬に一度唇をくっつけた。それを了承と取ったのか、晦は私の唇の輪郭を人差し指でなぞると、啄んできた。

 あまりにも長いこと繰り返すので、だんだんと息が苦しくなってきた。そもそもこの人、なんでこうも慣れているのか。

 この人、引き取ってきたのは子供たちばかりだけれど、もしかしたら薄月のように女性たちを引き取って、ひとりやふたりくらいは恋仲になったことがあるのかもしれない。

 そこまで考えると、なんとも言えずにもやもやとする。中身のない求愛も、形ばかりの求婚も、ただ心が凪ぐばかりで全くときめきが足りなかったのに。この人は私をいつも助けてくれた、そこにだけは彼の真心を感じた。今日茶化すようにせがんできたのも、また無茶をするためなんだろうと思うと、胸が苦しくなった。


「……うう」

「……姫様?」


 苦しさのあまりにとうとう嗚咽が漏れはじめたところで、やっと晦は唇を離し、驚いたように私を見下ろしてきた。


「式神のときならいざ知らず、体に戻ってからの口付けは、嫌でしたか?」

「……私はあなたに、なにも返せていませんから」

「すみません。言葉が足りなくて、私には意味がわかりません」

「……晦にとって、私は都合がよかったのかもわかりませんが。訳がわからないまま私のこと婚約者にするし、訳がわからないまま口付けしてくるし。言葉は全部空っぽだし。私もあなたのなにがそこまで好きなのか全然わからないんですよ」


 晦は一瞬目を丸くしてから、私を見下ろす。


「姫様、私の言葉全く届いてませんでしたか?」

「訳わからないまま魂抜かれて、どうしてその言葉を素直に信用できるんですか。後々から助けられたとわかりましたけど、普通に意味わかりませんよ。ただあなたは説明しないまま、私のことをまた守るんだなと思ったらやりきれなくなっただけです」

「……すみません。姫様。私は、まだあなたに嫌われたくありません。もうしばらく、お待ちください」


 晦はそう言ってから、私の前髪を梳いてから額に口付けを落とした。


「姫様は休んでいてください。ひと晩で終わらせますから」

「……だから、いったいなにをするんですか」


 結局最後まで、教えてくれることはなかった。

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